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カモメは異端か?

チェーホフの「カモメ」が、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(日本人です。)の演出でシスカンパニーが上演したので、シアターコクーンにまた行った。例によって群馬の銘酒、水芭蕉とオツナ寿司を差し入れで持って。

そのせいかどうかはわかりませんが、お蔭で、いつも10列前後の中央通路側の特等席を頂ける。
俳優も良かった。ニーナ(主役の恋人)は蒼井優で、アルカージナ(主役の母親)は大竹しのぶ、トリゴーリン(アルカジーナの愛人であり、ニーナを愛人にする)は野村萬斎であった。主役のトレープレフは生田斗真であり、どうもジャニーズ出身らしい。
蒼井優は、芝居を観る前から、コマーシャルなどで見て、実は個人的にファンであった。今風に鼻筋が通り過ぎていないところが好きなのである。
それにしても、いつもながら長いセリフをトチらずに良くも演じるものだと感心する。
舞台のフィナーレでは、『大切なのは、絶望の中でも耐え忍ぶことだ』、と言うようなチェーホフの決め台詞を言ったように思う。

この言葉は三河出身の身としては非常に良く分かる。(吉川英治の小説、徳川家康とか思想家、志賀重昴の三河健児の歌をご参照ください。)

カモメと言えば、“カモメのジョナサン”が1970年代始めに流行りましたね。孤高を貫くところなどは、どこまでもカッコいいのだが、結局、異端は追放されるという事でしたね。

白鳥は悲しからずや
空の青、海の青にもそまず漂う。

若山牧水のこの短歌も思い出深い。
確か中二の教科書に載っていて、国語の女性教師が、「あんたたちには未だ分からないだろうが、これは人生を自分らしく生きる事の孤独さを言っているんだよ。」と話してくれたことは、先生のメガネ顔と一緒に良く覚えている。
当時はその意味は良く分からなかったのだが、なぜかその短歌と先生の言葉だけは忘れることはなかった。
当時、先生は、二十代後半か三十代前半で、今にして思えば、中々行けた先生だったんだと、思う。付き合ったら、最近では中々お目にかかれない癒されるタイプだったのかもしれないなあ。もっとも、もう余裕で80代になっておられるだろうが。

中嶋みゆき作詞作曲で研ナオコが歌った、“カモメはカモメ”も、
変われない自分が、一人空(海)を行く孤独を歌っている。

カモメは、何処でも異端の孤独者として登場するのはなぜだろうか。

カモメは基本的には群れており、カラスの方が群れていないが、孤高を言うのにカモメであるのはなぜなのか、良く分からない。

人は外界に適応した態度、行動をとらないとうまく生きていけない、つまりペルソナを発達させ、変容させなければ摩擦が起き自分の能力すら、うまく発揮できないのである。

馴染まないものは異物であり、生物では免疫学的に抗原抗体反応で排除される。

これは人間社会でも同様である。異物は目障りであり、分かった風なことを言う輩でも、口先で何と言おうと、結局は排除しようと行動する。特に体制を自ら作った人間には、異端は体制破壊者に映り、耐えられないことなのだろう。

元々病原菌的な性質を持った小生は、今までの人生、各ステージで最後には異物になり果て排除されてきたのであるが、今日現在も、とうとう精神科医療の中でも、また現在の勤務先病院の体制の中でも異物になりつつある、というか異物として認知されたようである。

そうであるなら、この状況で何かを痕跡として残さないと、ただの異物、病原菌で終わってしまう。

それならそれでもかまわないのではあるが。

しかし、異物であり続けた故に、異物性を自分の中に取り込んで新たな自分を作り上げなければ、60代半ばで精神科に転科した意味はなくなってしまう。

自律機能主義を実証する意味でも、新しい自己を実現して行くしかないと、今は強く思うのである。

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