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「相補性」という原理ー量子論、ユング心理学、形成外科学から

平衡という単語は、本来、化学などで用いる科学用語であったが、分子生物学者の福岡伸一が、動的平衡という言葉で、広く生命、自然、環境、社会に生起する諸々の現象を説明するキーワードとして巧みに用い、今や生命、宇宙の摂理、哲理を説明する絶妙な言葉になっている。

量子論では、物質の根本理念に「相補性」を置いているように見受けられる。

相補性とは、相反する事物が互いに補い合って一つの事物や世界を形成する考え方をいう。

量子論においては、物質は粒でもあり、波でもある、という相反する性質を持っていることや、位置と速度の片方は曖昧になるというハイゼンベルグの不確定性原理を、ボーアはコペンハーゲン解釈で自然の相補性によるものと説明している。 

一方ユング心理学でも相補性は、心理機能や元型の働きの重要なファクターである。

ユング心理学では、ヒトの基本的態度を外向的,内向的に分けたが、基本的態度と外的に観察しうる行動には差異があり、常に一面的な行動によって貫かれているとは限らないとし、意識の態度が外(内)向的であると、無意識の態度は内(外)向的で、意識の態度が強調されすぎると、無意識は補償的に働き、それらは相補的な関係にあるとしている。

ヒトには条件によって左右されない原則的に不変な心の活動形式としての心の機能があるとし、思考、感情、直観,感覚の4つに区別した。

それらは人により各々が主機能、補助機能、劣等機能として対立的にまた相補的働き、劣等機能を発展させるという。

ユングは無意識には人類共通の無意識(集団的無意識、普遍的無意識)があるとし、無意識内の心的過程に対処する共通した表現様式を元型と呼んだ。

外的態度の元型をペルソナ、内的態度の元型をアニマ、アニムス、とし、それらは相補的に働くという。

男性のペルソナは、男らしく論理的であるが、アニマは弱々しく非論理的であるといい(ユングの時代の話です。)、これが心像としては女性像になって現れるという。???

医学では、相補性をどのように用いているかはよくは知らない。

我々は皮膚の血行を研究する中で相補性みられという概念を見つけ、それを補完関係にあるとして、指摘してきた。

皮膚への血行は、基本的には筋肉の栄養血管が筋膜を貫いて皮膚に流入するが、筋肉を貫いて皮膚に行く枝と、筋肉のヘリを回り込んで皮膚に行く枝がある。

片方が太いともう片方は細く、互いに補完し合って皮膚への血行をまかなっている。

解剖書には記載がないほどの細い血管で、どうでもよいようなものであるが、形成外科学の臨床ではこの種の血管の発見は、皮弁再建術に大きな変化、進歩をもたらしたのである。

どのような場合にどちらが優位になるかは、つかんでいないが、血行の平衡が関係しているのではないかと思われる。

このように相補性という概念は、物質の根本から、心の働き、血行の仕組みに共通する概念であるが、おそらく、もっと広い学問領域、自然、社会現象に見られる概念ではないかと推測する。

勝手な思い込みではあるが、動的平衡と並ぶ生命、宇宙の摂理を語るキーワード、原理の一つではないかと思う。

日常社会でも相補性は卑近にみられる現象である。

恋人同士、夫婦でも、似たもの同士よりは、無いものを補い合う関係のほうが、上手く行き長続きするのではないだろうか。

近頃テレビ界の大物タレントが失脚しましたが、(ご縁で彼夫婦を存じ上げていたのですが)彼を知る誰もが、あの細君が健在であれば、こんな事態にはならなかっただろうに、というのが大方の意見の一致するところであったと思います。

それほど相補性の見本のようなご夫婦でした。

自戒を込めて、男女の関係を例に挙げ、相補性の意義を提案してみました。

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