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境界人として生きるー精神病院を退職するにあたって

早いもので、形成外科をやめ、精神科に転科して3年が過ぎました。

先に異端者について書きましたが(2013.10.16)、今の自分は形成外科と精神科の「境界人」なのかなあ、と思っています。

難しい科学理論を、巧みな比喩で、出来るだけやさしく噛み砕いて、
中学生でも分かる程度に解説してくれる科学哲学者、物理学者の竹内薫が、自身が文系と理系を勉強した経歴から、物理学界、哲学学界のどちらからも異端児扱いされ、また、大学や研究機関に属さず独学の士であることから、専門家と素人の境界に生きていると謙遜して、自らを「境界人」と述べているが、不遜にも、それにならって言うのでありますが、、。

今の専門知識の量は、どちらが多いかわかりませんが、学問的業績を言えば、形成外科では、今でも通用する有効な自分の作った理論、概念、手術法がいくつも残っているのに対し、精神科の業績は全くのゼロですので、自分の意識に反して、周りはまだ形成外科医だろうと言うのかもしれません。

それに精神科はあくまでも独学であり、まさに素人との境界を彷徨っています。

それに加えて、私は今の勤務先病院を12月一杯で退職するので、もう専門は何も持たない、ただの年金受給者という方が相応しいのかもしれません。

(ホームページの履歴が虚偽になりますが、そのうちに全面的に改定しますので、しばらくはお許しください。)

このホームページでも述べてきましたように、精神医学を勉強する時に、量子論を脇におきながら見てきましたから、自然界や精神界に超越的なものを設定せざるをえなくなり、勢い興味は哲学、宗教的なものに行きがちです。

それはそれとして、今後の趣味、道楽として勉強することにして、ライフワークとしての今後のテーマは、精神医学と形成医学のフュージョンを目指して、一つの学問領域、臨床領域を作ることにあります。

マズローの言うような大上段に構えた「自己実現」ではなく、
かといってフランクルの言うような超越的な、「意味への意思」でもなく、どちらかといえば、ユングの言う「影」を取り込むように、自然体で、境界人だからこそ行いうる領域を歩んで行けたら、老いてから精神医学を学んで良かったと思えるかな、と思っています。

 

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