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ソチオリンピックが終わって

ソチオリンピックが終わって、日本中の熱狂も収まり、少し静かになってきたが、メディアでは話題を、スポーツ欄から芸能欄に移し、感動物語で、もう少し視聴率を稼ぎたいところなのだろう。

オリンピックは始まるまでは、あまり盛り上がる風でもなかったが、いざ始まってみると選手の活躍もあってか日本中が大いにわいた。

浅田真央選手がショートプログラムで失敗をした後、フリープログラムで渾身の演技を見せた時、日経新聞がその日の夕刊で、どの選手よりも大きく、今までのスポーツ記事では見たこともないような大きさで浅田選手の写真を載せた。

目をかっと開いて、まなじりを決した、まるで仁王か般若のような顔をした浅田選手の迫真の演技の写真を載せ、「真央、魂の舞」と大きく見出しを付けたのだ。

この写真が、今回のオリンピックのすべてを物語っていたと思う。

スポーツ紙ではなく、日経が紙面を割いて、浅田選手の思いと国民の感動を伝えたのだ。

この写真記事は、胸に迫るものがあった。

同時に日経新聞のセンスを見なおした。

ご覧になった方も多いかと思うが、あの写真は今年の報道写真のピカイチになるのではないかと思う。

オリンピックでは、多くのドラマがあり、負けては泣き、勝っては泣いた。

様々な言葉も残った。

羽生選手や高梨選手のような、年齢を思わせない完成された人格を示す人もいれば、森元首相のように、年齢を感じさせない軽率な人格を示した人もいた。

レジェンドという言葉が、ちょっと流行言葉になった感がある。ホンダの車の名前で知られたような言葉だが、始めはジャンプの葛西選手の頑張りに送られたように思うが、だんだん広く使われるようになった。

レジェンドになる、歴史に残る、と言うように。

10代の子供のような選手が、「自分はこれで歴史に名前が残ると思うが、、、」と言う台詞を聞いた時、ちょっと違和感を感じた。自分で言うか、と。

そういえば、身近にもそんなこと言ってる人がいたなあと思いだした。「自分は、今や00のレジェンドと言われているが、、、」と自画自讃したのだ。本当は、そんな話は誰も聞いていないし、思ってもいないのだが、自分を高く評価させたいために言うのだろうか。

その類の言葉は、誰もが認める業績と、リスペクトがあって、時間の経緯の中で評価が定まってから、人が言うことであって、自分からいうことではないだろうと思う。

自ら言うような人は、おそらく自己評価が異様に高く、業績も水増しして語るような人だろうから、人からはリスペクトされず、所詮レジェンドになりはしないのだ。

それを自覚しているから、自分で言うしかないのかもしれないが。

10代の青年では、そのような物言いの思慮分別の判断は仕方ないかもしれないが、人生円熟の域の大人の発言としては傍目にも見苦しいと思ったものだ。

オリンピックで過熱すると、いつもメダルをめぐって、オリンピックと選手個人と国家の関係が話題になる。

オリンピックは発祥の由来からして、国家同士のメダル獲得競争ではないのだから、選手に過大なプレッシャーを掛け過ぎてはいけない、いや税金で練習もし参加もしているんだから、それなりの責任はあるなど、周りはお気楽にいろんなことを言う。

が、私達は忘れっぽいが、過去にあった、ある事実を思い続けることは大事だと思う。

国民や、地域や、国家(この場合は、自衛隊という組織の)の期待の重圧に耐えきれず、自殺したマラソンの円谷選手のことだ。これは国が、国民が一人の選手を、間違いなく殺したという事実だ。

メダルへの思いは、個人にとっても社会にとっても複雑な問題で、どう対処すべきか簡単には答えは出ないだろうが、時に深刻な問題を引き起こす。個人に、少なからず犠牲を強いることは間違いない。

例えば、まだ若い高梨選手のこれからの4年間を想像するだけで、胸が痛む。親であれば,我が子にジャンプなんかさせるのではなかったと悔やむのではないかとさえ思う。

ましてや、開催国となる東京オリンピックでは、選手達に、スポーツすることの本来の苦しさ以外の事で苦しめることになるのではないか。スポーツとは本来そんなことのためにするものだろうか、オリンピックの価値と意味を、少し引いて今一度考えなおした方がいいように思う。

今から東京オリンピックを世界歴代一のものにするとか都知事は息まいているのだから、この先が思いやられる。

そうはいっても、やはり選手のパフォーマンスなくしてオリンピックの価値はないであろうし、選手達の戦う姿と、これまでの艱難辛苦、血の滲むような努力への共感が、世界中の人々の支持の源泉であることは確かであろう。

オリンピック成功の評価は、決して施設の立派さでも、開会、閉会式のセレモニーの派手さでも、花火の数でもなく、選手が与えてくれる感動であることは、今回のオリンピックが改めて教えてくれたと思う。

それは、人間がアプリオリに、本性として持つ、たゆまない上昇志向への共感であろうか。

所で、オリンピック・パラリンピックと一言で言うが、冬季はパラリンピックはないのであろうか。

全く報道されないが、3月の中旬から始まる予定らしいのである。パラリンピックは政治的配慮で口にはされるが、実態はメディアもほとんど取り上げようとしない。

パラリンピックの選手も、いや、彼等の方が、より多くの苦労、努力をしているに違いないというのにだ。

こんなところにもオリンピックの建前と本音のギャップが垣間見える。

さて浅田選手には次期オリンピックにも頑張ってもらいたいか、もう引退した方がいいか、いらぬ世話ながらアンケートとったらどのような結果になるとお思いであろうか。

僕は。引退を勧める意見が多いのではないかと思う。

なぜなら、真央ちゃん良く頑張ってお疲れさま、という意見と同時に、真央ちゃんの応援は、応援する方も身が入りすぎて疲れてしまい、これ以上は持たない、という意見も多いのではないかと思うからである。 

真央ちゃんは、今や日本国民の孫であり、娘であり、妹であり、姉であって他人ではないのだ。

 

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