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読書日記―その2

27.岸見一郎、古賀史朗「嫌われる勇気」ダイヤモンド社、2014
一時帰国中の息子が、彼の地でキンドルで読み、感ずるとこあってか、読むと良いよ,と言って、プレゼントしてくれた本である。
 フロイトの一番弟子でありながら、フロイト流の心因論、因果論から離れて、個人心理学を樹立したアルフレッド・アドラー心理学の解説本であるが、フロイトやユングの解説本の様に、独特の難解な心理学用語はいっさい使われておらず、しかも哲学者(岸見一郎?)と青年(古賀史朗?)の問答形式で書かれており、アドラー心理学のエッセンスをわかりやすく解説している。アドラーはフロイトやユングの関係では、必ず出てくる名前なので、私も17.岸見一郎「アドラー人生を生き抜く心理学」、NHK出版、2010位は読んでいたが再読してみると、その趣旨は、この本で得心が行ったところも多い。非常にわかりやすく、構成も良く出来ているお勧め本である。逆境を因果論でなく目的論でとらえ自分を変える勇気を持つように言っている。「嫌われる勇気を持て」というのが、そのキーとなるメッセージであろうが、個人的には何の意図で息子がこれを私に薦めてくれたかに関心が向いたが(息子からのメッセージは何か?)、アドラーの教えるところでは、その理由は僕の課題ではなく息子の課題であり、僕はこの本をくれた事実をどう受け取るかかが問題であるということになるから、深くは考えないでおこうと思った。(僕の絶え間ない人間関係の躓きを子供心に心配しているのかもしれないが、、。)
 また、アドラーの考え方は、これから僕自身が,持論の自律統合性と霊性との繋がりを整理し、美容精神医学の考えを深化する上で、非常に参考になった。

28.心屋仁之助「折れない自信をつくるシンプルな習慣』朝日書房、2014
「嫌われる勇気」を読み終わった頃、丁度、新聞広告で、キャッチィーな文章が目に留まり、読んでみた。著者は有名な心理カウンセラーで著書も多いらしいが、上記の岸見一郎の様な、学問的背景を持った重みというか、深みが感じられないというのが率直な印象であった。多分アドラー心理学からも影響を受けているのであろうが、良いとこ取りの様に言葉が軽く感じられたのである。「自信が持てない、続かない」がキーワードのようである。

1.鈴木エドワード「神のデザイン哲学」小学館、2013
僕は建築が趣味で、昔から建築関係の雑誌を読むのが好きであった。鈴木エドワードは、「モダンリビング」などに時々出てきて、そのイケメンぶりと相まって、彼のポストモダンの脱構築主義的な建築は中々魅力的であった。ハーバード大学院から丹下健三事務所と経歴も華麗で、おまけにトライアスロンに出るなど肉体派のスポーツマンでもあった。年恰好が同じながら、僕がまだくすぶっていた頃、彼は既に社会的に成功しており、田舎者のおのぼりさんが、華やかな東京っ子を見るような劣等感で彼を見ていた記憶がある。
その彼が、「神のデザイン哲学」という、魔力的なイメージの著書を出したので、早速読んでみた。
 彼の思想哲学を、近代の建築の流れと自らの履歴に合わせて語るのだが、日経新聞の「私の履歴書」風とは違い、思想的に内容の深いものであり、正直驚いた。
 神(のような)の存在を信じ、「自然の仕組み」を「神の建築GOoD DESIGN」と名付け、自然の造形の素晴らしさを、自然界に存在するフィボナッチ数列と黄金比、フルクタル現象の具体例をあげて説明し、バイオ・ミミクリ―(生物から学び、その原理を応用する学問)の重要性を言っている。
彼の建築に多大な影響を与えたバックミンスター・フラーについては、その思想、業績を詳細に述べ、フラーの「ワールドゲーム」(全員が勝者になるような物質的なユートピア考想)や「More With Less」(最少経費で最大限の効果)の思想に共鳴している。
 ジャック・ベンベニストの水の記憶事件(ネイチャーに掲載された論文が後日、編集長によって内容を否定された。)から、リー・H・ロレンツェンの波動水の話、江本勝の水の結晶の話に及び、いずれも肯定的な見解を示している。
量子論のノンローカリティ(非局所性)の証明(多分ジョンベル、アラン・アぺルのことと思われる。)からシンクロニシティを導き、それはゼロポイント(絶対零度では原子の活動も止まるとされる)のエネルギー(真空エネルギー)が関与するとしている。さらにゼロポイントエネルギーフィールドとインドのアカシックレコード(個人の運命の預言書)を同じものであるとし、人の直観、インスピレーション、記憶などは、このフィールドの中に保存されている光の情報が他の光と干渉する現象と推論している。
そして人間はゼロポイントフィールドの意識の海から生まれるとし、物質から意識が生まれるのではなく、物質の前に意識が存在し、意識が物質を産むのではないかといいます。また、ユングの集合的無意識をスースフィア(精神圏)に絡めて説明している。
 かように、話題は建築を中心に置きながらも、物理学、生物学、心理学と多岐に及び、人間の精神に関心の焦点を当て、それを先端科学で解明しようとするのが基本的な姿勢であるように見える。心が水と波動に関係し、量子論の同時性、シンクロナシティで解明しようとするところは僕の考えに非常に近いものがあり、大いに励まされたのである。

2.藤森照信「天下無双の建築学入門」ちくま新書、筑摩書房、2008
 著者は日本を代表する建築史家で、世界の建築の歴史、建築物の薀蓄では右に出るものはいない、元東大教授の大家である。
赤瀬川源平、南伸坊らと、「路上観察学会」を作り、その活動は週刊誌に連載され面白かった記憶がある。それは、もう30年近く昔の話である。
 彼の建築家としてのデビューは比較的遅く、僕が知ったのは10年程前に、確か、芸術新潮で特集が組まれてからである。
長野県茅野市の実家の隣家が諏訪大社の神官であった縁で、「神長官守屋資料館」を設計し、その特異な発想が評判になり、ツリーハウスの茶室「高過庵」、茶室「空飛ぶ泥船」と話題作を連発する。いずれも実物を見ているが、細川元首相の湯河原の別邸にもあるという茶室だけは見ていない。
さて本書であるが、建築史家ならではの着眼から来る、さながら「建築学もの知り手帳」である。言っていることは学問的なのであるが、語り口の軽妙さと、比喩の卓越さでユーモアにあふれ、全編退屈させない非凡な力量を見せている。
縄文式茅葺き屋根住居を自ら建設し、縄文時代と現代の作成日数に考察を加えたり、男子トイレの朝顔復活の主張と称し、トイレの社会学的な考察をして笑わせ、露天風呂を露出風呂と言い換えるなど、ユーモアを随所に見せていて、エッセイとしてもかなり楽しめる。
実は、著者とは個人的にも面識がある。僕の蓼科の家は茅葺で、そろそろ吹き替えの時期が来たので、これから将来を見た時、藤森様式の屋根が良いだろうと思い、相談したのである。夏休みに茅野の実家に帰省された時、我が家を訪ねてくれたのである。予想通りの、気さくで飾らないお人柄で、僕の作ったパスタを美味そうに沢山食べて頂いた。お酒は飲まれないそうだが、弟子のためにとお土産にワインを持ち帰られた。本書を読みながら、そんな楽しかった思い出がよみがえったのである。?

 

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