8.「天野祐吉のCM天気図傑作選」朝日新聞出版、2013
ソフトな語り口で辛辣なコメントを言う老人が良くテレビに出ていた。
広告評論家というような肩書きであったように思うが、出ると番組が必ず締まるという実力者でもあった。
広告批評という雑誌のオーナーでもあり、朝日新聞に永いこと「CM天気図」というコラムを連載していたというから、筋金入りであったと思う。
その天野祐吉が昨年の10月に他界した時はニュースにもなった。惜しまれて亡くなる稀有な老人でもあった。
そんな彼の30年に及ぶ膨大なエッセイの中から選りすぐりの157編が収まり、作家の橋本治がプロローグを書き、後輩のCM作家と妻がエピローグを書いて、追悼文集のようになっている。
エッセイはさすがに、どれも面白いのだが、12.9.5の「求む不良老年」では、今のCMでは出演する老人が、まるで酸素もあまり吸わないよう遠慮勝ちに生きているような人ばかりになってしまったと嘆く。
昔サントリーのCMで活躍したアンクルトリスのような「少し偏屈だが気はいいところもあり、義理人情にもろいが、一面では合理主義的だったり、女嫌いなところとエッチなところが同居している」ような老人がCMから姿を消したと嘆き、近々こんな新聞広告を出すと言っている。
『求む不良老年、60歳以上、お節介好きの健康な男女、愛敬ある皮肉屋優遇、過酷なCM現場作業。礼金等一切保証なし、委細面談。』
出来ることなら、是非応募したかった。
22.吉本隆明、ハルノ宵子「開店休業」プレジデント社、2013
吉本隆明と聞くと、我ら世代には「共同体幻想論」を思い出し、強面の左翼系思想家と思うが、実生活では町内の商店街に下駄を履いて買い物に行ったり,惣菜屋の店先で串揚げが揚がるのを待って買って帰ってくるような、家庭的なフツー以上にお父さん的な面もあったらしい。
娘では有名な作家吉本ばななを連想するが、実は漫画家の姉がいて、この女史が実に鋭い観察力の持ち主で、的確、絶妙に父親像を描いている。ハルノ宵子の名前で、この本の共著者でもあり、文中のイラストも描いている。
この本は吉本が、雑誌「danchu」に連載した原稿に、一篇づつハルノがエッセイというか追想文を寄せる筋立てになっている。
実は吉本は一昨年の3月に逝去したのである。
吉本の、以外と思えるほどのホノボノとした文章に、辛辣だが愛情あふれるハルノの文章が実に良いハーモニーを醸し出している。
時にハルノの方が冴えている場合もある。
加えてこの本には面白いエピソードがある。
Danchuの連載が40回目を迎えた時、吉本がもう書けないといい出し、編集者がでは終わりにしますかと問うと、では「開店休業」にしましょうと言って、突然掲載を中止し、11か月後に突然、予告も無しに再開したそうである。
本書の書名はここに由来するという。
編集者の余裕も良き時代だったのでしょうか。
全編本当に面白いので、選ぶのは難しいが、娘たちが‘命の粉‘と呼ぶ味の素にまつわる話を紹介しよう
味の素の発明者が東工大での吉本の先輩であったことから、義理か友情か分からないが、当初より異常な味の素信奉者で、信州では梅干しに砂糖をかけて食べる風習があると聞くや、吉本は梅干しに醤油をかけ、梅干しが見えなくなるほど味の素を振り掛けて食べていたそうである。
イラストでは「梅干しin(not? on)味の素with醤油」となっている。揚げ物にでも何にでもたっぷりかけるので、周りが注意すると、「これは純粋なうまみ成分の抽出物だ。」と言い、全く耳をかさなかったという。
勢い、食べ物の話は、少年時代の回想に繋がって、彼の人となりが垣間見えて心が和むのである。
23.「dancyu日本一のレシピ」プレジデント社、2013
小生は雑誌「dancyu」の1991年の創刊時よりの愛読者である。このころから男も料理なるものすなる、という時代に入ったような気がする。
今や男の料理は持て男の条件ともいうから、僕も今だったら相当いい線行けたかもしれない、と我が人生のスタート時期が早すぎたことが悔やまれてならない。
「danchu」が時々、特集号、永久保存版を出す。「日本一うまい店」だの、「ワイン大賞」など、結構内容の濃いものが多い。
特集号「日本一うまいレシピ」を書棚で見つけた時は、直観で、これは持っていて損はないと、内容も見ずに買って来た。
めくってみると、なんと巻頭は2014.02.20グルマンライフに書いた「ピェンロー(扁炉)白菜鍋」であった。読者アンケートでNO,1であったらしい。料理を紹介した妹尾河童氏が30年の年輪を重ねて、同じポーズで写真に載っていて、思わず時間の流れを我が身に重ね、鏡で我が面をしみじみ見てしまった。
悪人面である。老人面である。一人前に気が滅入るのも僭越ではあるが、良い顔に老ける理由も思い当たらないから、諦めた。
さて、扁炉であるが、最後に入れるのは、なんと春雨になっている。30年前は確かビーフンであったはず。なんという変節か!ま,30年も経てば、美貌も人生観も変わってしまうのだから、これくらいは仕方ないとするしかないのかもしれない。
最近は、会っていないが、懐かしい顔ぶれもみえた。現在は「ポンチ軒」のオーナーになった斎藤元志郎氏とか、「竹やぶ」の阿部孝雄氏など、いくつも懐かしいエピソードがあり思い出満載である。
「日本一のレシピ」で、実際に作ってみて、感心したモノの中で一つあげるとしたら、「ナリサワ」の成沢由浩シェフのポークソテーかな。ソテーというよりローストと言った方が良いように思うが、ソテーとなっている。豚肉ロースの塊をリソレ(表面を焼き固める方法)してアロゼ(フライパンのバターオイルを掛けながら低温で焼く)するフレンチの伝統的な調理法の復活である。フライパンで作るローストビーフと同じような手法であり、手技はそれほど難しくはないが、問題は焼き上がりの判断である。指で押して弾力を見て判断するとあるが、難しいので、例の金串法(肉の中心に金串を差し込んで、下唇で温度を感じる古典的な方法)か、ミートサーモメーター(50?60℃を目指す)で測る方法が確かである。
塩麹で下味をつけるのと、最後に蜂蜜、ウイスキー、醤油で味付けするのがミソで、ナリサワらしいアイデアであると思う。
うまく焼けた時はローストビーフに勝るうまさである。
豚肉だから失敗しても金銭的損失も軽いから、気楽に試してみて、勘所をつかむにかぎる。このレシピはお奨めである。
思えばナリサワシェフも偉くなったモノである。20代前半で、パリから帰国して、その才能はすぐに注目されたが、小田原早川港の波止場の真ん前の小さな店で、細君と二人で高レベルの料理を出していたが、当時は、何処か充たされない風で、力を持て余しているかのようであった。ほどなく青山1丁目にモダンな豪壮な店を出し、やがてミシュランで星をとったり、NHKエルムンドで独特の料理哲学を披露したりしているうちに、とうとう日本を代表するトップ料理人に選ばれた。
料理人の世界も何十年もトップを走り続けるのは大変なことだろう。誰とは言わないが、一時は喝采を浴び、注目されるが、数年で先頭集団から離脱するのが普通である。
また、多店舗展開しないのも見上げた心構えで、食べ手の立場からは、歓迎すべき姿勢である。
と、いっていたら、最近の情報では元赤坂に開店した「東洋軒」という洋食屋とコラボしたという。
これまた、ひどく美味そうな直観である。
ナリサワのメンチカツやハヤシライスなら食べてみたいと思うのは僕だけではないだろう。