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空耳妄言⑫-空耳のように聞き流して良いが、誰かが囁いた方がいいような話もある―都知事選、天皇生前退位を巡って

都知事選挙が行われているが、それにまつわる風潮について一言言っておこう。

*新都知事に実務経験は必要なキャリアか?
都知事候補者に実務経験が問われているが、本当に必要か?実務経験とは何を指すのかよくわからないが、書類の印鑑の押方やサインの仕方ではあるまいから、お役所という所は独特の仕事のペースがあって、それを乱すと、役人と軋轢が生じ、上手く行かないよ、ということであろうか。知事候補は、いずれも社会人経験があるから、仕事をする上での組織のシステムというものは知っているであろうし、一通りの社会性は身に着けているはずであるから、ここで改めて実務経験というからには、都庁独特の役人のシステムを指すのであろうが、そんなものは知らなくて良いし、役人が意地悪さえしなければ、すぐに理解できる程度のことに決まっていよう。某知事経験者がテレビでのコメントで、およそ1か月もあれば十分仕事はつかめるものだ、と言っていたし、知事がもし改革を進める気があるのなら、むしろそんな既成の風習に染まることはマイナスでしかないだろう。
多少の時間がかかっても、新知事が、何をやろうとしているかが、どれほどか重要ではないだろうか。

*都政と国政は別物である、というが本当か?
都知事に国政は関係ないと、主に自公与党から、野党候補に向けた反キャンペーンであるが、地方行政が国政から独立したものであると考えるお人よしは、それ程居ないと思うが、如何であろうか。
例えば、沖縄を見ればよくわかることである。米軍基地移転問題は、国の重要な政治課題であるが、沖縄県民にとっては、生活そのものがかかわる沖縄県政の問題でもある。だからこそ、沖縄では市長も知事も、今回の参議院選挙(つまり国政)でも、揃って見事に反基地派が勝っている。県政が守る県民生活は、国政に直結していると沖縄県民は判断しているのである。
東京都は、今は大きな政治問題が無く、顕在化していないだけのことであり、いつ顕在化するかは分からない。例えば横田基地のオスプレイ配備の問題などは、国政とのスタンスを考えて知事を選ばないと、政府の決定が、そのままフリーパスで都議会を通り都政に反映され、都民の意思が国政に歪められてしまう可能性が生じてくるのである。
また、政府与党は地方県政、都政は国政とは関係ないと言いながらも、知事の選挙運動では、人気者の新人国会議員から、幹事長、閣僚まで応援に躍起なのは矛盾していないかは、ちょっと考えてみればわかることだ。
これこそ都政が国政に関連しており、双方が影響しあうと考えている証左ではないのか。

*宇都宮健児という人物
おそらく、最も都政を研究し、自分なりの政策構想を明確にもっているのは、土壇場で立候補を断念した元日弁連会長、宇都宮健児氏であろう。強い信念で支援者と一緒に都政を5年に渡りウオッチし続けて来て、この場に及んで、身を引いたのは、おそらく断腸の思いであったろうが、まさしく自公に都政を渡さない為の一念で、大人の判断、決断であったと思う。
鳥越俊太郎氏は、単に知名度で残っただけと自覚して、宇都宮氏に三顧の礼を尽くし、政策等は教えを乞い、彼の都政への思いを代わりに実現するくらいの覚悟が必要であると思う。
穏やかな物言いと静かな表情の裏に、とても強い意志が見える。そして筋を通す現代では稀有な逸材であると思う。

*鳥越俊太郎氏への軽い失望―勉強不足と練習不足
迷いに迷ってギリギリの決断であったにせよ、彼の勉強不足は目に余るものがある。都政のことならまだしも、ジャーナリストとして、一般社会人としても、とても知識教養が深いとも思えない。演説にも政治のヴィジョンは見えないし、彼の人格のコアとなる人生哲学らしきものも希薄な印象で、人の心を掴む力が弱い。要するに演説の準備、練習が出来ていないのである。これらは、正直に言えば、彼への期待の軽い失望である。
ただ田舎者の実直さは見えるから、今後の努力のいかんでは、歴代に比べて都民目線の名知事になる可能性はあると思う。同時に、迷知事に終わる可能性も同じようにあるが。

*新知事は、舛添、猪瀬、石原元都知事経験者の税金の使い方、とりわけ知事関連の使途金を明らかにするべし
舛添前知事が自分の疑惑については、自ら明らかにすると見得を切っておきながら、辞職するや、そのまま放置しトンズラしている行動は都民を舐めきっているとしか言いようがない。首に縄を付けてでも百条委員会に引っ張り出し、行状を白日の下に曝さなければならないだろう。
日本の行政の一番悪いところは、結果責任を問わないところにある。年金の濫費問題も年金横領不明金問題も一人として責任を問われていない。
ましてや当時の社保庁の役人を年金機構に横滑りさせるのだから、意識も行状も改まるはずもないのだ。
舛添前知事もこのまま逃げ得にすれば、今後の都政に示しもつかない。
韓国では大統領が変わると、殆どの前任者が逮捕され囚人服を着せられ法廷に出頭する姿が放映されるのが常である。日本人の心情からすると、そこまでするかという思いが無いではないが、そこまでしも最高権力者の個人的な利権流用や汚職はなくならないのだから、何もしないわが国では、石原都政に始まった税金濫費、私的流用などはとどまるところを知らないのは無理からぬことである。
今後の歯止めをかけるためにも、流用の実態や手口を明らかにする必要があるし、それに寄生して甘い汁を吸ったファミリー企業、業者や役人の罪も問うべきであろう。

候補者の誰がなろうとも、税金の不正使用については、きっちりとけじめをつけなければならない最優先課題であろう。

誰なら本当にそれが出来そうか見極めることが大事だと思う。

*天皇陛下の生前退位表明の真意深読み

平成天皇が退位の意思を表明された。
在位期間中、つまり平成の時代に天皇が、いくつかの思い疾病を抱えられながらも、太平洋戦争の激戦地へ戦没者慰霊の巡行をされ続け、国内の災害に当っては、常に皇族の先頭に立って、頻回に慰問に出かけられてきたことを国民は皆良く知っているので、退位され休養されることに、多くの国民に異論のない所であろう。

報道によれば、もう4,5年前からそのような基本構想は考えておられたようである。
さて、ではなぜ、このタイミングでそれが国民に表明されたのであろうか?

小生の考えは、今回の参議院選挙で与党が2/3を獲得し、憲法改正の可能性が現実的になったことに関係があるのではないかと推測するのである。
つまり、天皇は自分の在位中に平和憲法が改正されるのは堪えられなかったから、任を下りて、自ら署名する事態は避けようとされたのだ。これは憲法改正反対の、特に9条が骨抜きになることを拒否する、との意思表示ではないかと思うのである。

憲法改正に関して、直接自分の意見を表明することは、現在の憲法上出来ないから、退位という形で意思表示をされたのではないかと思う。

また皇室典範の改正が必要になれば、安倍政権が目論む憲法改正も時間的に先送りにならざるを得なく、実質安倍政権下での憲法改正は阻止されることになるという効果もお考えだったのかもしれない。(これは、まさに深読みかもしれないが)

先の政府の戦後70年談話が、戦争についての侵略性と責任について直接言及を避けた時、天皇の談話では、戦争における我が国の責任について、かなりはっきりとそのことについて触れられ、内外に対する日本国民の意志の中和をはかられた。安保法制が強行採決された時にも、何かのタイミングで平和の大切さを強調された。

天皇が歴史から非戦の大切さを学んでおられるのは確かである。それが現在の反戦平和の強い思いに繋がっているように思える。

天皇は、非政治性の原則的な立場からは政治的な発言には極力慎重で控えながらも、行動で反戦平和の考えを示されてきた。先の戦争の激戦地を執念のように廻って、戦没者の慰霊を続けることで天皇家の贖罪を示し、国内の戦没者慰霊や原爆慰霊の行事には何よりも優先して参加され、地震や豪雨の被災地への心情のこもった慰問では、天皇・皇室は常に、国家権力ではなく国民の側にいるということを示されてきた。

天皇は、基本的に9条を重んじた護憲派に近いお考えであり、わが国が憲法改正に進んでいくことを強く憂慮されているのは間違いないであろう。そこで天皇の出来る唯一の意思表示の方法として、生前退位をこの時期に発表されたのではないか、と小生は推測するのである。

おそらく心あるジャーナリストはそのことに気付いていると思われるが、なぜか言及出来ないでいる。無論、政府も気づいており、政府は、このような考え方が国民に広く流布しないように隠ぺいしようとするし、また皇室典範の改正にまで行かないように密かに策を巡らすであろう。
小生の憶測が正しいかどうかは今後の政府の対応を見れば明らかになるであろう。

今回の天皇の生前退位の意向も、その真意をおもんぱからなくては、政治もメディアも国民も怠慢ではないかと思う。

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