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リオ五輪雑感-考えてみても意味の無いことですが

五輪に余り関心の無い人でも、いざ始まってみると、五輪のテレビ観戦で連日の夜更かしをして何となく体調を崩した人も多いのではないか。小生も体操とか、柔道、レスリングやバトミントンなど金メダルがかかった試合ではつい止められず、深夜3時4時まで観てしまったクチである。

まず思ったことは、これはともあれ、自分とは全く次元の違う世界だなあと、自分をそこに重ねることは、想像することすら出来ない世界であるという思いであった。例えば体操の演技を見ると、選手のする演技のどれ一つとして(例えば吊り輪などはぶら下がることすら)出来ないと思うようなものばかりで、それをこれでもかというふうに繰りだされると、同じ人間とは到底思えないのである。
卓球にしても、バトミントンにしてもそのスピードは神業としか思えないものであり、丁度ピアニストがすごい速さで鍵盤をたたく時に、どんなことがあっても自分には絶対に真似は出来ないなと思う気持ちと同じであった。
それは、陸上の100メートル競争でウサイン・ボルトがたとえ前人未踏と言われる速さで走っても、自分にはあのようなスピードで走ることは絶対に出来ないが、それでも100メートル先に到達することは出来る(要は速さの違いだけなのだ)と思えるのとの決定的な違いである。

もう一つは、参加選手たちの極限まで自分を追い詰め精進した姿を見るにつけ、自分はそこまで努力したことが無いなあという反省というか、無力感に襲われたことである。単に自分が怠惰であるに過ぎないのだろうが、多くの選手がそこまで燃焼する機会が持てたことに少々羨ましくも思ったりしたのである。

*日本のメダルラッシュの要因
日本の選手たちは予想以上の活躍で、記録的なメダル獲得数であるという。今までの五輪は、概して期待を裏切られるのがほとんどであり、今回のように期待以上の活躍をするのも珍しい。
さてそれは何故か?であるが、おそらく2020年の東京五輪の影響であろう。開催国はなぜかメダル獲得数が例年より急増するのが恒例である。その為に今回は早くから強化予算がついており、環境に恵まれたのも理由の一つであろうが、もう一つは国民全体の五輪に向けての得体のしれない上昇機運のムードに乗ったのだと思う。
国民の「気」が動いて後押しをしたのである。このような国家的な動向というものは、「景気」と同じで、基本的に政策など人為的な操作では上手く動かすことは出来ず、結局は国民の「気」で動くものだということを示していると思う。

*女子レスリング吉田沙保里選手の銀メダルが教えること
メダリストのインタビューでは一様に誰もが、「負けても後悔しないだけの練習をしてきたこと、周囲のサポート、応援があったこと」を挙げるのが普通であった。それはともすれば、「努力すれば報われる」「メダルが取れないのは努力が足りなかったのだ」という風潮にならないでもないが、では吉田選手に努力が足りなかった、応援が足りなかったと思う人はまずいないだろう。
第一、努力がいつも報われるのなら、全員が金メダルになるだろう。
吉田選手の敗因について、また彼女の敗戦後の号泣について、いろんな人がいろんなことを言っているが、みんな言っても意味の無いことばかりであった。

量子論は、森羅万象すべてのことは誰にも予測できない、ただ予測できるのは確率だけであり、最後は神が決めることだと教えている。練習努力は勝つための必要条件であるかもしれないが、十分条件ではない、というより十分条件などは元より存在しないのである。

*男子柔道73キロ級大野将平選手の金メダル
今回日本は、柔道の全階級でメダルを取るというⅤ字回復をなしとげた。なかでも73キロ級の大野将平選手の強さは際立っていた。
彼は「美しい柔道を見せる」と言い、技だけでなく、試合終了後のお辞儀も深く、勝っても決してガッツポーズは見せなかった。それは敗者への礼節であると言う。
ほんとうに強い者だけが言いうる、スポーツに精神性があることを久しぶりに見た気がした。

*陸上400Mリレーの日本の銀メダル
陸上競技は、特に練習努力の効果が報われない種目、努力しても天性には及ばないのはすべての競技に共通してはいるが、もっとも顕著なのが陸上競技ではないかと思う。どんなに練習しても、生まれつきにはかなわないのである。そんな資質に乏しい日本人が短距離リレーで銀メダルを取った。小生はこの事実をどう理解すべきか分からない。
神のいたずらか。

*サッカー、ブラジルの金メダル
サッカー王国ブラジルが、母国開催の五輪で、初めて金メダルを手にした。エース、ネイマールがPKを決めると6万を超える観衆の歓喜でスタジアムは地響きで揺れた。
そして表彰式では、表彰台の選手も観衆も大きな声で、泣きながらブラジル国歌を歌った。
こんな国歌もあるのかと思った。

*小池都知事の「技あり」
小池都知事がリオ五輪の閉会式に出席して、五輪旗を受け取るべく出掛けた。同時に東京と日本のアッピールをして来ると自信に溢れた笑顔で言っていた。
まるでその後を追うかのように安倍首相も閉会式に参加するために機中泊で急遽出かけた。ここで小池知事にリオで日本代表のような顔をされたら、東京五輪の主導権は完全に取られてしまうと恐れたのか、はたまた今後の政局を考えれば、外交的に自分の存在感を示しておかねばと考えたのか、安倍首相は急遽リオ行きを決めたらしい。外交に腰の軽いのは評価できるが、思いつきのようなスタンドプレーが外国受けしたからと言って調子に乗らず、国家の品格というものを常に念頭に置いて行動すべきであることを森組織委員会会長共々知るべきであろう。
ここはやはり金帯を締めて勝負に出た小池氏に、都知事選に続いて「技あり」だろう。

*五輪後進国開催の意味
ブラジルに五輪が順調に運営出来るか?という心配が直前まであった。治安やジカ熱など衛生面の不安もあったのだが、競技場の建設も間に合ったし、競技の運営も目立ったトラブルもなかったようだ。多少の脅し、タカリのような強盗事件、おまけに米国選手の強盗狂言事件もあったが、心配の多くは杞憂に終わったようである。
今後は先進国の大都市以外での開催が、引き続き検討されるようになるだろうが、問題は開催費用の高騰である。もはや後進国の国家予算では賄えなくなってきている。事実上、開催不可能なのである。
一方でIOCでの開催国決定には巨額な賄賂が飛び交いIOCの巨額な利権が問題視されるようになってきた。個人が数十億円単位の賄賂を取っているというのだ。
そこで、五輪事業の利権で上がる金で運営費を捻出したらどうか、と思うのである。主として放映権料と企業の協賛広告費であろうが。そのすべてをIOCの管轄にして、それで基本的に開催費を賄うのである。その範囲で行えばよいのである。
ただ、その際には今のIOCの体質を改め、透明化がなされなければならないだろう。
そうすれば、利権に群がって事業費高騰を招く開催国のフィクサー、政治家、業者の利権は無くなり、異常な開催費用高騰も抑制されるであろう。
利権が大きいから高額な賄賂を使ってでも誘致するようになる。

日本の「国体」が日本中の各都道府県を巡ることで、日本中にスポーツ施設が造られスポーツ振興に役立ったように、五輪が後進国を含めた世界中の国ぐにのスポーツ振興の中心的役割を果たせば、それこそ五輪精神にかなうものと言えるのではないか。

*スマップの解散騒動と五輪
五輪開催中にスマップの解散騒動があった。
メンバーの一人は、五輪に迷惑をかけたと謝罪したという。
解散に至った理由はどうでもいいことだが、芸能スターというものは、スターが作る虚像をファンが共有することで成り立っているものである。
スターがその虚像を作れなくなったり、ファンがそれを共有できなくなった時に両者の関係は終わり、スターは消えて行くのである。
今回は前者であり、自分達は今までのように虚像を作ることは出来ないから辞めると言ったのである。
後者は、スターの実像が暴露され、虚像との乖離にファンが付いていけなくなった時である。昨今の例でも、例えば、麻薬をやっていたとか、買春やわいせつなど破廉恥罪や性犯罪など重罪を犯したとか、ゲス不倫をしていたとかが、そのきっかけになる。
それだけのことであり、大騒ぎして、利のあるのは芸能界とマスコミだけなのである。
ファンも早く忘れるに過ぎないと思うが、いかがなものであろうか。

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