ホームへ戻る

空耳妄言⑭-ボブ・ディラン、IOCバッハ会長、森五輪組織委員会長、石原元都知事のことなどー空耳のように聞き流して良いが、誰かが囁いた方がいいような話もある

*ボブ・ディランとノーベル賞のどちらが傲慢か?
ノーベル文学賞を選考するスエーデンアカデミーが、歌手ボブ・ディランが受賞の知らせに全く反応しないことに対して、無礼で傲慢と非難した。

さて傲慢なのはどちらだろうか?

ノーベル財団という所は、ノーベル賞は授与すれば誰でも欣喜雀躍、喜びの余りこおどりして参上して来るのが当たり前と考えているのだろうか。それこそが傲慢というものではないのか。

ディランの詩の真髄は既存の権威に対するレジスタンスであり反戦が根底にあるテーゼではなかったのか?
そのディランの作詞の文学性の高さを評価したスエーデンアカデミーが、ディランが喜んで尾っぽを振ってくると考えたとすれば、それこそ自家撞着・自己矛盾ではないのだろうか?

大体、人類史上、画期的な大量殺人兵器を作って、死の商人と言われながらも戦争で稼いだ巨万の富を基金とするノーベル賞が、なぜ今日のような世界最高の権威を持つようになったのか?振り返れば不思議な話ではある。
スエーデン政府が国会、王室をも動員して一大国家的イベントに仕立て上げ、高額な賞金の目減りを防ぐ努力をしているのも要因の一つになっているのだろう。

ノーベル賞の選考は、例えば精神病患者の脳の一部を切除するという治療法を考案し、後に科学的根拠の無さが証明され、その非人道性から中止になったロボトミー手術を偉大な業績とした1949年の生理学・医学賞のエガス・モニスとか、非核3原則で沖縄返還を実現したとされたが、後に核持ち込みの密約が露見した1974年の平和賞の元総理・佐藤栄作など、誤謬も少なくなく、選考が常に政治的に中立で、科学的にも普遍的な真理を見抜いているわけでもない。それは受賞対象者が生存中という条件があるため時期が限定される上、人が人を評価することであるから仕方がない面もあるが、それならそれなりの謙虚さがあってもいいのではないか。
それにしても1901年以来115年間で、受賞を辞退したのは1946年文学賞のジャン・ポール・サルトルただ一人で、世界中の国ぐにが年中行事のように騒ぎ立てるものだから、ノーベル財団が傲慢になるのも務べなるものかもしれない。

ディランは、彼の意図に拘わらず、ノーベル賞の権威の虚構を暴き出したのだ。
ノーベル賞のパロディ版であるイグ・ノーベル賞の来年の受賞者は、「本家ノーベル賞」に与えるのが相応しいと思うのだ、諸兄のご意見はいかがだろうか?
受賞理由は「傲慢なるものは、自分の意に沿わないものを傲慢呼ばわりする」ことを証明した功績によって。

*安倍首相の独裁者への道
国会の所信表明演説の際、安倍首相は前列に陣取る自民党若手議員を使ってスタンディングオベーションをさせた。それにつられて与党議員は皆立ち上がって拍手をしたという。(まるで戦前の翼賛国会ではないか)

また自らの自民党総裁すなわち内閣総理大臣の任期を延長しようと、その意を汲んで延長に前向きだった二階前総務会長を幹事長に仕立てあげ、まんまと3期9年まで総裁・総理を可能にした。(プーチンもそうしたし、今また習近平もそうしようと図っている)

今上天皇の生前退位の意向を、公務軽減を図ることで「平成一代限りの思いつき」でけりをつけようとしている。(憲法改正の邪魔をされたくないのだ)

この安倍晋三という人物は一体何を考えているのか。

巨大与党を作りあげ、この、時代の先の読めないアナクロ男を助長させているのは他ならぬ私たち国民であることを忘れてはならない。

*沖縄での機動隊員の「土人,シナ人」呼ばわりしたヘイトスピーチと、それを擁護した松井大阪府知事の低級さ。
たとえ腹の中で思っていても言ってはいけない立場があることが分からない低レベルの大阪府警機動隊員(ま、こちらは仕方ないか)と松井大阪府知事(政府与党に一目置かれて得意げなんだろうね)。両者には、職業論から遵法精神、道徳論までかなり初歩レベルからの教育的指導が必要だが、おそらく両人とも聞く耳を持つだけの知性も教養も欠けていそうだから、結局「バカにつける薬は無い」の例えが相応しいという落ちになるのだろうか。

*古狸の老獪さ―森五輪組織委員会会長と石原元都知事の所作
IOCのバッハ会長が来日し、僅か一日で五輪会場を巡るゴタゴタを裁いて見せた。
カヌー・ボート会場をめぐっては小池都知事と森五輪組織委員会会長の確執が伝えられたが、直近までは小池氏有利な展開であったが、最後になって森会長がバッハ氏を上手く使って土俵際でウッチャリを決めた格好になった。(森氏の側近に裏で根回しした知恵者が居たに違いあるまい、組織委員会には事務局長はじめ優秀な高級官僚が目白押しだし)
IOCも五輪組織委員会も所詮は体育会系なのだよ。体育会の絆は文系の理解を超える友情・利害で結ばれているものだ。小池氏のメンツを立てながら盟友?森氏を勝たせたバッハ氏の政治的手腕は相当なものだ。今後予定される4者協議会(都知事、組織委員会会長、政府五輪担当相、IOC代表)でも小池氏はもはやヘゲモニーは取れないだろう。

それでも五輪の諸費用に対しては、今や都民・国民は相当ナーバスになっているから、これまでのように、組織委員会のやりたい放題というわけにはいかないだろうから、小池知事の「見直し」は、それ相応の成果はあったとして都民・国民には評価はされるだろう。

一方、豊洲市場移転問題は、オリンピック騒動の陰に隠れて、石原元都知事は狡猾な振る舞いに出てきた。一連の疑惑に対する解明には全面協力すると言っておきながら、この期に及んで、手の平を返すがごとく、ボケを理由にヒアリングには応じず、文書で「忘れた、何も知らぬ」と返答したそうである。おそらく、自分には手は回らないと判断する材料が出てきたのだろう。我々一般国民にはうかがい知れない大きな力が働いたのではないか。おそらく裏では決着がついたのだろう。

我々一般国民には、石原元知事をお白洲の場に座らせて大岡裁きを見てみたい向きも多かっただろうに、と思うのだが。
都税を食い物にしてきた石原慎太郎、伸晃,宏高親子の悪行が白日の下に曝される日は来るのだろうか、前回の五輪誘致に続いて、またも隠蔽されてしまうのか。
お白洲である都議会百条委員会を作らせなかったのは自民・公明党であり,民進党も黙認した事実を私たちは忘れないようにしよう。

ログイン