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空耳妄言⑰―自分の腹は決して切らない自称‘武士’―都知事の責任の取り方など―空耳のように聞流して良いが、誰かが囁いたほうが良いような話もある

*都知事の責任の取り方
話題の豊洲市場移転問題について3月3日石原元都知事が記者会見をした。
会見を開いた動機について、「自分は坐して死を待つつもりはない。都議会百条委員会まで、とても待てない、一時も早く屈辱を晴らしたい」ということであり、会見に臨むにあたっては武士が果し合いに臨む心境だと話した上のことであった。都民のみならず全国民の注目の集まる記者会見になった。小生もテレビ中継を見た。

結果は、ご存知のように、何も新しい情報を出すでもなく、言い訳に終始し、責任を都庁の担当部署の責任者や承認した都議会に押し付けるもので終わった。
豊洲の安全性の判断や、移転決定に関しては、自分には専門性も何ら知見もないから担当部署の専門家の判断に従うしかないのではないか。瑕疵担保責任など政治的な判断が必要な所では、自分には話が上がってこなかったから知らなかった、あるいは覚えていない、という説明であった。
質疑応答で質問をした記者たちは皆通り一遍のことを聞くだけで、鋭く突っ込む記者は殆どいなかったが、最後に質問をした共同通信記者の質問は良かった。おそらくこの一問を繰り返し聞くだけで十分ではなかったかと思った。
「都が東京ガスに瑕疵担保責任を免除する取り決めをしたことを知事が知らなかったと言うなら、それはそれでいいが、誰がいつその取り決めをしたかの経緯が今一番問題になっているのだから、知事は今日の記者会見に当って、自らその経緯を調べて来て都民に報告する責任・義務があるのではないか」と尋ねた。それに対して石原氏は、「誰に聞けばいいというのか、私も知りたいくらいだ」とまるで当事者意識のない、無責任な発言に終始した。
都議会も承認したのだから、責任は自分だけではない、とも言ったが、そもそも知事を都議会とは別に直接選挙で選ぶ二元性の意味が何処にあるのかさえも認識していないかのような呆れた発言ではあった。もっとも、都議会をチェックする立場の知事が、都議会の実力者と結託してウィンウィンでいいようにやっていたのでは話にならない事ではあるだが。

豊洲問題に限らず、新銀行東京問題、オリンピック誘致問題、外遊などあらゆる機会を使って石原ファミリーと都議会自民党が、都税をいかに食い物にしてきたかを、現在、週刊文春が証拠をあげて暴いているが、その悪行ぶりは想像を超えるものである。

その本人が日本のモノノフ・武士の精神を我がことのように得意げに説いているのだから聞いて呆れる。
武士こそ、見苦しさをキライ、潔さを尊び、生き恥をさらさず、常に切腹の覚悟を持って生きるのではなかったのか。
他人には腹を切ることを説き、自分は決して腹を切らない、自己愛だけの権力者の常を見るようで胸糞の悪いものである。

そして、「坐して死を待つつもりはない」の真意は、「豊洲は科学的に安全であると言われているのに、移転しないで徒に税金の無駄使いをしているのは、すべて小池都知事の不作為のせいであり、責任を取るべきだ」との一太刀であったようだ。
恥の上塗りに気が付かないのだろうか。

我々はこの程度の人物に13年半もの間、首都東京の都政を任せてきたのだ。
そしてその後、猪瀬,舛添と小物ながら似たような人物を都知事に選び続けてきたのである。選ばれた者は選んだ者たちを映す鏡であると、今こそ自戒せねばならないだろう。

いつから日本はこれほど見苦しい国になったのか。
我々は政治家たちに『Noと言える国民』にもならねばならないと思う。

*ヤマトの値上げについて
クロネコヤマト宅急便の値上げが検討されているという。
小生は、昔から、宅急便という事業を起こした小倉昌男という人物を実業人として深く尊敬していることをまず明らかにしておこう。
実業とは彼のような理念で起こされるべきであると信じてやまないし、彼の拓いた社会サービスで社会の構造自体がどれほど変わり、国民がどれほど便利になったかについては説明の必要もないことであろう。特に、その実現の過程が、既成の業界や政府の岩盤規制との凄まじい闘いの連続であったことも敬愛の念が深まる理由である。

そして今や通販業界と組んで、本一冊はおろか、消しゴム一個でも即日、手元に届く時代になったのである。こんなに便利で有難いが、果たしてここまでサービスを受けて良いのかと、最初は戸惑った人も多いと思う。しかしすぐに慣れてしまうのも人の常ではあるが、一方が利益を受ければ、他方に犠牲が伴っているのも事実であろう。
宅急便の配達人が過酷であろうことは容易に想像がつくし、しわ寄せが宅急便業界に偏っているのなら、修正してでも宅急便というサービスが無くならないように守るのが先決であると思う。

基本的には、最少限の送料や配達時間、再配達に制限をつけるくらいは仕方ないと思う。
消費者も、サービスを受けるからには、それなりの対価を払うのは当然であると思うからである。
宅急便は、一人の偉人が生んだ日本が誇るべき稀有な社会サービスであると思うから、失ってはいけないのである。

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