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2台目の貰下げセドリック

2年たち、中部地方の新設医大の付属病院の外科のレジデントになって外科系の研修に行くことになった。

また立場はフレッシュマンに戻ったわけで、給料はゼロではなかったものの、生活出来る程は無く、実家から通う事になった。

車もまたもオヤジのもらい下げである。
セドリックの4ドアデラックス。
オヤジの買い替えのサイクルに合った訳である。

外科の研修医、特に卒業生のいない大学病院の一年生は大変であった。

朝6時に出かけ、帰るのは夜中の1時2時である。

しかも脳外科では週に2,3回は当直でした。

初めて研修医の実情を目の当たりにしたオヤジは、労働基準法違反だ、と本気で怒っていたのを思い出します。

あげく給料はウチの工員より安いと、理由もなく怒っていました。

でもそれが当時の研修医の全国共通でしたよ。

当の私は、仕事が充実しており、さほど不満もなく仕事を楽しんでいました。

その時に面倒を見てくれた若い教授、助教授方とはその後も今日までお付き合いが続いており、立場は違えども、共に苦労した感があるのだろうと思います。

ところで、愛知県のど真ん中、私の実家の隣には市の名前まで変えてしまった世界のトヨタ〈挙母(コロモ)市から豊田市に〉があり、その周辺の人民は何らかのトヨタの影響(恩恵)を受けており、トヨタ車に乗るのが常道でした。

しかしオヤジは一度もトヨタ車には乗らなかったし、社用にも買わなかった。

同じ三河で商売をするオヤジの矜持だったのかもしれません。

似ても何の役にも立たない、そんな遺伝子だけ引き継いでしまって、私はどれだけ割を食ってきた事か。

それから2年半後、南信州の病院に出向となり、ようやく自活出来る医師に成れたのである。

さあ、いよいよローンも組めるぞ、、、。

 

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