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スポーツカー系―PORSCHE 928,928S

スポーツカーのカテゴリーに入る車その1です。

ポルシェ928という、911とは趣を異にした車が最近までありましたが、
もうご存知ない人の方が多いかもしれませんね。

スポーツカーというには少しズータイがでかい。

スポーティグランツーリスモという方がより正確と言えるような車ですが、
私が初めて乗ったポルシェですのでスポーツカー系に入れました。

928

古い写真から見ると息子が未だ幼稚園に行くかどうかの頃のようです。
そういえば、この車に補助輪の付いた
子供自転車を乗っけて、砧公園に自転車を教えに行った思い出があります。

ハッチバックのように後ろのドアが上がりますのでなんとか後部座席に乗せられたのです。

 

928

その際つけた、センターコンソールの革の傷は、その後懐かしい記念として残りました。丁度、丈比べの柱の傷のように。

 

 

高山渋草焼窯元で

当時はまだポルシェジャパンはなく、
三和自動車Mizwa Motorsが総代理店で、あちこちに特約店があり、これはそのひとつ浜田山にあったリンカーンモータースの個性的(アコギな)な社長の口車に乗せられ買ったようなものです。

 

距離は2000キロしか出ていなく、青山のビルの地下駐車場に特注の
フェルトのボディカバーが掛けられ、宝物のように大事そうに保管されていました。

 

ナス紺に塗りかえた

色は柿色の赤で、見たことのないような上品な色でしたが、後になってこの色が物議を
醸し、濃紺に塗り替えることになりました。
この車で大学に通勤し駐車場に停めることを上司が許さなかったのです。

 

928

何処かへ家族でドライブ旅行に行った時、
息子がシートの前に立っていて、はずみで頭がフロントグラスにあたり、割れたことがありました。
蜘蛛の巣のよう亀裂が入ったのです。

 

その時は、ポルシェのガラスがもろいのか、息子の頭が硬いのか多少悩みました。

928はポルシェが、総力を挙げて開発した、911を超えるフラッグシップカーで、未来的な新しい機能がいくつもついて、さすがに良く出来ており、長距離を高速で飛ばすにはもってこいでした。

4年ほど乗ると、外装が、日本でした再塗装が悪いのか、日焼けしたようにやれてきたので、思い切って新車に乗り換えることにしました。

当時の自分の収入から考えると常人では考えられない決断で、
家人に言わせると、この日から我が家のキリギリス生活は始まったといいます。(これがどの寓話に由来するかは実は私は知りません。)

私がまだほんの子供の頃、世の中は不景気であり、親父はろくに給料も入れてないのに、当時の高級カメラのマミヤの箱型の2眼レフ6×6(当時の給料の3倍くらいしたのではないか)を買ってきてしまい、母親に散々罵られていた情景を、その時フラッシュバックのように思い出した記憶があります。

今思えば、確かに大学の勤務医が928の新車を買うなんて正気の沙汰ではなかったのです。

ともあれ、内装もオールレザーにし、フルオプションのオーダーで、
来るまでに小一年かかりました。

928S

928S

色は小さなカラー見本で決めなければならず、散々迷ったあげく、名前は忘れましたが、曇天下ではシルバー、日光が当たるとシャンパンゴールドに近くなる、基本はシルバーメタリック系のカラーを選びました。

928S

928Sと928との決定的な違いは、エンジン音が静かになり、あのお腹の底に響くような重低音が消えてしまったことです。
個人的には残念でしたが、近所の住民は歓迎しました。

その頃、350キロほど離れた長野県飯田市の脳神経外科病院に月一回手術に行っており、その足として大変重宝しました。

そこの院長は、以前より928を所有しており、「どうだい3時間では来たかい?」と、聞かれると返事に困ったものです。

当時の私の運転作法は、前方車両と取締りの目をかいくぐり、可能な限り前に出る、早く走るというもので、平均170、80キロで飛ばしており、流石に「2時間かからなかった。」とは言えませんでした。

中央道はところどころに長い直線距離が有り、特に伊那北、伊奈インターの間は長い直線の下り登りになっており時速250キロオーバーで飛ばしたものです。

揚力が働けば飛びそうな勢いです。(もう時効と思っての告白ですが。)

100キロと比べると、視野が半分位になり流石に生きた心地はありませんでしたが。

但し、ここの上り(東京方面)車線にはオービスがありますからお気を付けください。

この車はおよそ10年間乗り続け、息子が18才になり免許を取った時譲ったので、老いてから若葉マークをつけて走っていました。

最後は下取り車にもならず、廃車になりました。

かように気に入ったものには、深く永くとことん愛情を注ぐというのが私の優しい性分なのです。

そういえば、最近の開高建の評伝によれば、開高建も、《旅の途中で馬は乗り換えない》と言って人や物を大事にしたらしいですよ。

箱根ピクニックガーデンにて

箱根ピクニックガーデンにて

八ヶ岳高原ホテル

 

 

 

 

 

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