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ラグジュアリー系その1―MERCEDES 450SLC1976年モデル

今回はカテゴリー:ラグジュアリー系のその?.としてベンツ450SLCを取り上げます。

この車は私がフランスから帰って2台目になる車です。

留学前には出向先の長野の飯田で買ったアウディ100クーペに乗っていて、それを残して出掛けたので、留守の間は放置状態(実家に置いていたので、父親がたまにはエンジンをかけてはいてくれたらしいのだが)になっていたために、帰国後は走っても調子が出ず、諦めて、学生時代からの憧れの車の一つであった日産のフェアレディZに買い換えました。

これはかなり気に入って乗っていたのですが、残念なことに息子がすぐに車酔いしてしまうのと、成長につれ2人乗りでは不便なのとで、家族優先の高邁な思想の元で中古のベンツを買うことにしたのです。

カーライフに登場したバイト先の救急病院の院長と付き合いのあった浜田山の外車ディーラー、リンカーンモータースから5年物の450SLCを今では考えられない位高額で買いました。

福井九頭竜ダムにて

日本はバブルに入ろうとする頃で、当時の外車屋は飛ぶ鳥を落とす勢いで強気な商売をしていた訳です。また今ほどベンツの中古の玉も少なかった時代でもありました。

医療は世間のバブルとは全く無関係な世界で、私がベンツを選んだのもバブルとは勿論関係無く、息子が親戚に乗せてもらったベンツでは車酔いしなかったという親バカ体験から来ているにすぎません。

私の車とバブルの関係でいえば、買った方は無関係でも、売った方は大いに関係していた訳で、当時はメルセデスもBMW(当時はベェーエムヴェーと呼んでました。)も直営の〇〇ジャパンという組織は無く、せいぜいヤナセがベンツの総代理店をしている位で、今でいう並行物という差別感情も殆ど無く、外車ディーラーという今で言う並行輸入業者は大変羽振りが良かったのです。

リンカーンモータースのT社長も例外ではなかったようです。

また、当時はベンツも今では想像もつかない程のステイタスシンボルであり、不動産バブルで浮かれた間口一間の不動産屋の親父でさえも、こぞってベンツを乗りまわしていましたから、T社長は笑いが止まらない程儲かるよ、と言って、当時のバブルのあだ花、レースクイーンを追いかけていましたね。

あのバブルというのは一体何だったんでしょうねえ。

一般に、日頃から頭を使って楽しむという事とは無縁の人達が、にわかにお金を持つと、することは限られる様で、俗に車道楽、〇〇〇道楽というもののようです。

ま、金に物を言わせて、、というか。

敬愛する、タレントのなぎら健壱が、自らの多くの趣味を問われて、喝破していましたよ。

『仕事は結果が求められるもの、趣味は結果を求めないもの、道楽はお金さえあれば手に入る楽しみを言い、趣味はお金だけでは手に入らない楽しみを言う』と。

確かに、バブルはたくさんの道楽者を産みましたが、文化の芽となるような趣味人は育てませんでしたね。

450SLC-前

450SLC-斜め後

450SLC-斜め前

 

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