かって、車が世の男の頑張りの源泉にもなりえた頃、アーデンというジャガーのチューンメーカーの車が日本にもあった。
BMWのアルピナのようなものである。
ジャガーがまだ栄光を放っていたころで、ダイムラーのダブルシックスなんてのは親父の最高のころがし車であった頃のコトデス。
ダブルシックスのアーデンウッドになると、内装のほとんどがローズウッドで貼られており、もう車ではなかったように思ったものだ。
その少し廉価版でダイムラー40のアーデンバージョンがあり、ターボが2機ついており、したがってbiturboビトルボと呼ばれていた。
車高は低く、ホイールはオーゼットが奢られており、中央にはお洒落な七宝焼きのエンブレムがはめられていた。
とにかく美しくセクシーであり、形に惚れて買うことになった。
通常のジャガーの倍くらいしたが、さすが簡単には売れず新古車となり、それを叩いて買った。
外装は黒、内装は薄いミルクコーヒー色で、ローズウッドがふんだんに使われており座席の後ろにはピクニックテーブルが着いていた。
シートはもちろんロールスと同じ最高級のコノリーレザーが張られていた。
石川島播磨のターボは強力で、かかると怒涛のごとく走った。
但し、ジャガーのブレーキもシャーシーもそれについていけず、直進はめっぽう早いが制御に不安があり怖い思いをした。
またタイヤが扁平過ぎたのか、車が常に左右にぶれるので、真っ直ぐコントロールするのに神経をすり減らしたものだ。
ま、若気の至りというか、アウトローにあこがれて乗ったようなもので、ナンバーは1か8であってこそ相応しいような車であったが、さすがにそこまではしなかった。
今ならするが。
この車に乗った頃は私も若く、生気にあふれ怖いものなど何もないような錯覚をしていた時代で、遊んでいても痛快であった。
当時、フレンチのひらまつが星条旗通りにラフェットというビストロを出しており、そこにアーデンを横付けして通ったものだ。
まだ飲酒運転が出来た時代のことだ。
アーデンに首を突っ込んで、平松氏がセクシーだ、セクシーだと言っていつも羨んだものだが、当時は私もセクシーさで売っており、よく一緒に遊んだものでしたよ。
当時は遊ぶのに忙しかったようで写真が一枚しか残っておらず、それも遠景の息子付の一枚で、この車の美しさをお見せ出来ないのが残念です。
平松氏は医者にちょっとあこがれがあり、私はスターシェフにあこがれがあり、お互いの名前の入った白衣を交換したりしたバカなことも平気で出来た、若い頃の、と言ってもちょいワル?おやじのころの思い出です。
アーデンのカテゴリーは私的にはヴィジュアル系なんですが、ジャガーの本来の性格からしてラグジュアリー系に入ました。
ともあれ私の若気の至りの一台である。