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CASA-AF

ここでは、暮らしの中で『美しいと思うもの』について語りたいと思う。

例えば、建築、インテリア、庭、家具、器、そして美術、ファッション、旅などについて。
それらの好みのスタイルには共通性があるように思う。

蓼科 夏

そしてそれはその人の個性、(美学、信条、規範principle、
など)を良く現すものである。

だから、合わない人にはどうしようもないだろう。

ここは私のセレクトショップのようなものである。

自動車雑誌ENGINEや建築雑誌 CASA Brutus が主題を逸脱し、広い領域で編集者の好みを押しつけてこようとも、好みが合えば不愉快ではない。

一部の人にそんなふうに思って頂け、情報交換できる場になれば嬉しい。

さて、LOHAS(Life Style of Health and Sustainability)がいわれて久しい。

イメージとしては、何だかヨーガンレールの生活スタイルを思い浮かべ、どこか余裕のある人がする、贅沢な感じが拭い切れなかった(彼の作品というか商品が高額なせいもあるが)が、3.11を経験してより身近になった。

皆がこのままでは社会も地球も持続できない、と言う。政府も便乗して言う。

確かに、誰も出口の扉をあける方法を思いつかない、扉の位置すら示すことが出来ない。

かって経験したことのないような閉塞状況だとは思う。

しかし、雪に埋もれた枯れ木を見るとよい。

雪を払って木の枝をよく見ると新芽がわずかに出ているものである。

時代はいつもそのように、崩壊しゆくものがあれば、それに代わる萌芽があり、動的平衡を保ちつつ,緩いスパイラルを描きつつ進歩して来たと思う。

果たして、市場経済主義が行きついた今日的状況をLOHASが突破できるだろうか?

LOHAS的思考は心地よいが、どこかセカンドライフ的であり、その程度のエネルギーで大丈夫か、どこか心もとない。もっと、理論の枠組みが骨太で、エネルギッシュで生々しくなくてよいのかと思ってしまう。

元来、自律機能主義はLOHAS的である。

自律機能主義はLOHAS的脆弱性を乗り越えたいと思う。

自宅 庭 夏 道祖神蓼科囲炉裏蓼科 秋

写真は、私のCASAスタイルです。

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