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修善寺あさばの能鑑賞―人生一度の経験

 今年の春の3月に修善寺あさばに行った時に、今年の芸能の予定表を見ていたら、10月の2日に能の舞台があることを知り、当日が木曜日なので、家人が休診日でもあり、良い機会と思い、予約を取ることにした。ご承知のように、予約は4か月前からであり、6月1日朝8時に電話することになった。たぶん忘れるのではないかと危惧はしていたが、それくらいしか仕事の無い身の上故、しくじらないように二重赤丸を付けておいて、無事電話をかけ、能舞台の真正面の雨月という部屋を予約できた。

 それから4か月は、あっという間に過ぎた。美容整心クリニックの場所探しに奔走していたからである。

 10月2日は朝から車を磨いて、テンション高く出かけたのである。
いつも、ご一緒するY氏夫妻と今回も一緒であり、しかし今回は部屋を二つもらうのは、はばかられたので、相部屋で泊まることになっていて、なんとなく双方が緊張していた。
 が、着いてみると、隣室にキャンセルがでており、結局はお互いの鼾と、夜中のトイレを気にせずに泊まることになった。

揚幕のかかった能舞台

揚幕のかかった能舞台

雨月は簾のかかった対面の部屋です

雨月は簾のかかった対面の部屋です

部屋から舞台を臨む

部屋から舞台を臨む

 能は夕方6時開演なので、それまでにお風呂に入り、御主人差し入れのシャンパンで一息ついて待機していた。
 日が暮れてくると、箱船に乗って池の要所要所のろうそくに火をつけて回るのも風流であった。
 出演者が三々五々に集まりだし、申し合わせ(リハーサル)を始めると、いよいよの期待感が高まり、私達は浴衣を着替えて、廊下に椅子を並べて、待機していた。
 いつもは人気のない、ただの舞台だが、当日は橋懸に揚幕がかかり、能舞台の臨場感が伝わってくる。部屋からは、舞台は真正面に対峙して距離は10mほどである。

 私は能を見た経験は無く、すべてが初めての経験であった。

 能はシテ、ワキの能楽師、太鼓、大鼓,小鼓,能管(笛)の4種類の楽器を奏でる囃子方、謡、地謡(バックコーラス)いう謡曲を謡う人達で成り立っている。
 能の主人公は「シテ」と呼ばれ、多くの場合はシテが演じるのは神や亡霊、天狗、鬼などの超自然的な存在であり、そのような役を演じる曲を夢幻能といい、生身の人間を演じる曲を現在能というらしい。

 「ワキ」の僧侶がシテの霊に会い、死してなお苦しむ執念や妄念を聞き、舞を舞って成仏させるというのが夢幻能の基本構成である。

プログラム

プログラム

プログラム

プログラム

 さて、当日の演目は「融」で、とても有名は題目らしいが、もちろん私は聞くのも初めてのことであった。
 シテは光源氏のモデルになったと言われる源融大臣で、かつて優雅に遊んだ場所が今や廃墟になっているのを嘆き霊になって現れるのをワキの旅僧が聞くというもので、前シテに汐汲みの老人がでて源融大臣を呼び出す前座を務めるという夢幻能の一種であった。

 能楽は、徹底的に簡素化された様式美の芸術で、太鼓、大鼓,小鼓,能管(笛)の4種類の楽器で演出のリズムを囃すのだが、謡の音階や間拍子には全く合わせないものと言う。囃子は謡に合わせる伴奏ではなく、音階は非科学的、非論理的だが、芸術的には極度に厳密に構成されているものだという。

 あさばの能舞台は室内ではなく、自然の中に懐かれ、池に浮かぶような設定であるから、暗闇の中に舞台がライトアップされ、装束も一段と美しく、まさに幽玄というのが相応しい世界であった。鼓の音も、笛の音も、京都の都踊りとは比べるもなく、研ぎ澄まされた響きで天空に舞った。
 身動き一つさせないような緊張した空気に支配されながらも、まさに心が浄化される思いであった。

 後で知ったことであるが、能のリハーサルは「申し合わせ」と言い、当日、演ずる直前に一度行うだけという緊張感に満ちたものであり、能は一演目一回限りのもので、能楽師と見所(客)が一緒に作り上げる時間と空間で構成されるものであるという。再演は基本的にしないもので、見たければ年単位で待たなければならないという。

 だから、一旅館のイベントとは言え、舞台はあくまでパブリックなものであり、決して宿泊客のプライベートなものではないということである。客は浴衣を着替えて、身を正して観劇しなければならないし、ましてや、がやがや声をあげてはいけないし、写真など取ってはいけないのである。

 その点、小生はあまりに無教養であり、品性の劣る客であったと赤面の思いで,多いに反省する所があった。つまり、ノンフラッシュとはいえ、写真を撮ってしまったのである。

 しかしながら上記のような理由で、能舞台実演中の、あの感動的な幽玄の世界の写真は今は無く、ここではお見せすることは出来ません。

新しくなった内風呂

新しくなった内風呂

檜壁板は良く出来ているがフェイクでした。

檜壁板は良く出来ているがフェイクでした。

 ところで、旅館あさばは、少々変貌していました。この半年の間に廊下を畳敷きにしたり、部屋付きの風呂をリフォームしたりしていました。驚いたことに、壁の檜板はプラスチックでしたが、妻は気付かなかったほどの精巧さで、技術の進歩に感心しました。しかし、とは言えあさばがそれを使うか、という気もしましたが。

夕食メニュー

夕食メニュー

麩饅頭はとても美味

麩饅頭はとても美味

 料理も、献立は同じでも味が明らかに変わっていたので、いつもの仲居さんに尋ねると板長は既に2年前位に代わっていると言うので、そうであるならば、板長がそろそろ自分らしさを出してきているのかなあ、と納得した。
 その味の変化、良し悪しは、実際にお行になってご自身で評価されてください。

 無理に変えることはないのに、というのが僕の評価です。

 しかし、あさばも、昔の伝統に裏づけられた、どっしりとした揺るぎなさが失われつつあることは、肌で感じますね。

 今は、熱海伊豆山の蓬莱の二の舞にならないことを祈るだけです。

 そのためにはあさばファンがせっせと利用するしかありません。
 私達は、正月に息子夫婦が帰国することもあり、正月に再訪する予定です。

車を磨いたので記念写真

車を磨いたので記念写真

 

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