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マグリット展-図らずも、画家の世界観が絵になった場合

パンフレット

パンフレット

数日前のことです。
その日は、天気予報によれば、梅雨の中休みで、めったにない好天ということだったので、日頃乗らない車を走らせるためもあって、ミッドタウンに車を置いて国立新美術館で開催中のマグリット展に行ってみた。

白紙委任状Le blanc-seing

白紙委任状Le blanc-seing

マグリットの絵は、よく教科書などで見かける「白紙委任状」くらいしか知らず、その印象派的なソフトな描写から、何故それがシュルレアリズム(超現実主義)といわれるかも知らない程度の予備知識しか無かった。

女たちFemmes

女たちFemmes

しかし行ってみると、まさに異次元の世界がそこにあった。

 マグリットは、初期には商業美術の世界に身を置いて生計を立てつつ、制作に励み、画風にはキュビズムの影響も見られたが、1920年代初頭には、キリコの作品「愛の歌」に出合うと、シュルレアリスムにのめり込んでいく。一時パリのシュルレアリスト達、ブルトン、ダリ、ミロとも交流するが、彼らが、当時台頭したフロイトの精神分析学派の無意識の世界に傾倒して行くと、考えが合わず数年で故郷のブリュッセルに帰って、二度と出ることはなかったという。

彼は無意識の世界の存在と、それを解釈する精神分析というものを徹頭徹尾認めず嫌悪した。
以下は彼の言である。

 私は「意思」を信用したいと思わないように、私は自分の知らないうちに「無意識」による様々な説明より私が好むのは、私達の考えや感じ方が予測不可能であるというお気に入りの信念です。各瞬間は予測不可能な出現であり、各瞬間は現在の絶対的な神秘を示している。

 また私は「観念」にも信を置きません。もし観念を持っていれば、私の絵画は象徴的なものになるでしょう。しかし断言しますが、私の絵画は象徴的なものではありません。

 私には無意識の活動の必要性を無しに済ませることが十分出来ます。無意識の専門家のまじめさは私には滑稽に見えます。そして「精神分析は精神分析によって扱われる主題として最良のものだろう」と皮肉っている。

現実の感覚Le sens des realites

現実の感覚Le sens des realites

赤いモデルLe modele rouge

赤いモデルLe modele rouge

大家族La grand famille

大家族La grand famille

絶対の探求La resherche de l'abosolu

絶対の探求La resherche de l’abosolu

マグリットの作品においては事物の形象はきわめて明確に表現され、筆のタッチをほとんど残さない古典的ともいえる描法で丁寧な仕上げがほどこされている。しかし、その画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付けられた不可思議な題名ともども、絵の前に立つと戸惑い、考え込ませずにはおられないものがあった。

 奇抜なタイトルと超現実的な描写は精神分析の格好の対象になったが、彼は頑なに拒絶している。

 そして、マグリットの絵画は、彼自身の言葉によれば、「いわゆる無意識を開示するもの」ではなく、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものであるという。私達の考えや感情は予測不可能な出現であり、各瞬間は現在の絶対的な神秘示しているという。それ故、あらかじめ考えていないイメージの中に世界の神秘を生じさせることを目指しているという。

 この考えは古典物理学の因果律を否定する世界観でもあり、まさに量子論の偶然性に近いものであると言えよう。
 この思想性においても、夢や無意識の世界を描き出そうとした他のシュルレアリスムとは大きく異なっている。

絶対の声La voix del'absolu

絶対の声La voix del’absolu

 彼は、哲学も良く学び、言語学のソシュールの「フィニシアン・フィニシエ」からヒントを得て、「言葉とイメージ」の問題を追求した作品を残し、ミシェル・フーコーのような思想家にも影響を与えた。

 彼の思想は絵画にとどまらず、20世紀の文化に大きな影響を与えた。

 マグリットの生涯は、波乱や奇行とは無縁の平凡なものであった。ブリュッセルではつつましいアパートに暮らし、幼なじみの妻と生涯連れ添い、ポメラニアン犬を飼い、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝するという、どこまでも典型的な小市民であった。残されているマグリットの写真は、髪をとかし、常にスーツにネクタイ姿で、実際にこの服装で絵を描いていたといい、「平凡な小市民」を意識して演じていたふしもある。彼は専用のアトリエは持たず、台所の片隅にイーゼルを立てて制作していたが、制作は手際がよく、服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることは決してなかったという。(この段落はウィキペディア「マグリット」から)

ヘーゲルの休日Les vacances de Hegel

ヘーゲルの休日Les vacances de Hegel

 彼は生涯で1600点もの作品を残したが、それは制作のスピードが、彼の絵に対する考えに関係するとすれば理解できることである。今回のマグリット展では、そのうち140点が展示されており、過去最大規模のものという。

過去も未来も拒絶し、ただこの今を生きるという超現実主義。幻想どころか一切の予想すら許さない。しかし生活は判で押したような生真面目な小市民的な生活をした。まるで東洋思想でいう「悟った」かのように暮らし、しかし内実は、不条理に心がうごめいており、思想的には共産主義に傾倒していた。

 この激しい意識と、平凡に徹した穏やかな行動の乖離こそ、彼の絵の深さでもあり凄味でさえあると思う。

 マグリットの冷静な理性は、奇行に終始したダリを感覚的に嫌う多くの人にとって抵抗なく受け入れられたのが、彼が国民的人気作家になった理由の一つであろうと僕は考えている。
それにも増して、マグリットの絵が示した不可思議さが,見る者の心底に、何か相通ずるもの(無意識が感じる不条理とまではいわないが)が有ったためではないかとも考えている。

ある聖人の回想Les memories d'un saint

ある聖人の回想Les memories d’un saint

終わりなき認識La reconnsissance infinie

終わりなき認識La reconnsissance infinie

最後に僕はダリの絵の繊細な美しさも大好きであることを追記しておきます。

 

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