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何故芝居なの?-劇団Eastonesの公演「十手ガール捕り物帳」を見て思ったこと

何故芝居なの?-劇団Eastonesの公演「十手ガール捕り物帳」を見て思ったこと

劇団Eastonesの第11回公演が下北沢駅前劇場であったので、その千秋楽に一人で出かけた。知人に熱心に勧められてのことであった。実は一年前にも中野ザ・ポケットでの公演にも行ったので、2回目になる。
正直言うと、前回が余りにも退屈だったので乗り気ではなかったのだが、熱心な勧誘だったので、おそらくチケットの売れが悪くて困っているのだろうと思いお付き合いしたのだ。
しかし出かけてみると、小さな劇場とはいえ、ぎっしり満席であった。開演15分前には、殆どの席も埋まり人息れでムンムンする盛況で、まずそれに驚いた。

お芝居は脚本も、演出も、役者の演技も,いわば独りよがりで、前回同様きわめて平凡で退屈なものであった。
おそらくジャンルは大衆演劇に入るのだろうが、一言でいえば、時間こそ1時間45分と永かったが、子供の頃田舎の神社のお祭りの境内で見た旅芝居に毛が生えたようなものであり、そこには何らかの主張らしきものは微塵もなく、良く言えば大衆娯楽性に徹しているのだろうが、かと言って昔あったエノケンやデン介、藤山寛美やテナモンヤ三度笠、欽ちゃん劇場のような個性的な喜劇性に繋がるようなものもなく、それどころか取ろうとする笑いさえも空回りしており物哀しくさえあった。

何故芝居なの?-劇団Eastonesの公演「十手ガール捕り物帳」を見て思ったこと

劇団は創立8年目というから、団長はそれなりの年になってから旗揚げしたことになろうが、一体何がしたくて始めたのだろうと最初は訝ったが、まあ、芝居が好きということに尽きるのだろうというのが小生の結論だった。それにしても、自分達が好きという一念でやるには大きなエネルギーが要り大変だろうなとも思い、そこまでやりぬく意思の強さというか気持ちの強さに、まずは感嘆し尊敬もした。
演ずるという行為はそこまで人にエネルギーを与えるものなのだろうか。

年に2回の公演で延べ2週間客を呼んで、たとえ毎日満席でも、生活の足しどころか、持ち出しであろうから、稽古などに取られる時間を考えれば、副業(本業?)は相当頑張らないとやっていけないだろうなと、余計なことながら心配になった。

それにしてもこの程度の劇団に、8年も継続させる多くのファンが付いているのにも驚いた。おそらく一見というより、固定したファンの様であり、小生と同様に劇団員との繋がりの客が多いのであろうか、劇中の笑いの間や掛け合いなど役者との距離の近さがひしひしと伝わってきた。
ここにも直ぐには理解できない芝居好きのフアンの姿があった。

何故芝居なの?-劇団Eastonesの公演「十手ガール捕り物帳」を見て思ったこと

演劇という芸術文化の観点から言えば、この劇団は、とても才能に恵まれているとは言い難いが、それでも決して安くはない入場料を払って支えるフアンがいて、まさに捨てる神あれば、拾う神ありだなあ、と世の中の巡りあわせの妙に感心したりもした。

しかし考えてみれば、小生もまさしくその一員であり、一人の劇団員のバイト先(銀座の、、)で知り合っただけなのに、こうして差し入れを持って電車を乗りかえてまで観劇に出かけるのですから。
いやいや、小生はもう年ですから、ご想像のような二心はありませんよ。
あったところで何の意味も持ちませんから。

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