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奥三河蓬莱峡「はづ合掌」-深山幽谷の絶対静寂の合掌作りの宿

はず合掌

はず合掌

蓬莱峡

蓬莱峡

ゴールデンウィークの初っ端に愛知の老母の見舞いに行った。老人ホームで転倒し大腿頸部骨折を受傷し市民病院で緊急手術を受け、術後リハビリ病院に入院していたからだ。
その帰り道に一泊するに都合の良い宿を、出来れば温泉宿であればと思い東海道筋を探したが、結局2年前に立ち寄った愛知県の東北端にある鳳来峡湯谷温泉をその場所にした。蓬莱峡は深山幽谷でありながら、新東名高速の浜松引佐インターから数十分という足の良さは何ものにも勝ったのである。
それに2年ほど前に、初めて老人ホームの母親を訪ねた際に立ち寄って、その自然の豊かさを大層気に入っていたからでもある。
前回は薬膳料理の「はづ木」に泊まったので、今回は「はづ合掌」という、4軒のはづグループの旅館の中の一軒にした。温泉ではないが、槙原渓谷沿いという立地の良さと、建物が越後の合掌作りの旧家を移築したものであり、部屋数がたった5部屋というのが決め手になった。

一般に、人が宿を決める時はどのような手順で決めるものなのであろうか。
まずは地域、場所であろうか。そして宿の特徴や料金を総合的に判断して決めるものと思われる。ほとんどのホテル、旅館の案内書が地域別になっているのもそのためであろう。行き先が決まれば、宿を、温泉にするか、それも源泉かけ流しを条件にするとか、何よりも料理の良し悪しを優先的に決めるか、あるいは建築の特徴や設えの良さをとるかなど、人様々で、時と場合の好みによるのだろう。

日本の100名宿

日本の100名宿

宿選びは登山好きの、山選びに似ていなくもない。柏井寿の「日本百名宿」というベストセラーになっている光文社新書があるが、そこでは深田久弥の名著[日本百名山]を習い、選考基準に宿の品格、歴史、個性をあげている。人に人格があるように、山には山格があり、宿には「宿格」があるという。宿はは、まず、その品格こそが評価されねばならないという。宿の歴史は、古ければよしとするものではなく、その宿がどのような経緯を経て、今の宿が営まれているかが大事としている。個性は文句なしに重要であり、個性のない宿ほどつまらないものは無いという。
その意味で、全国で地方の斜陽化した高級旅館をリノベー―ションしては、パターン化した、ある意味では没個性的な高級リゾート旅館を展開しているホ○ノリゾートを批判しているが、小生も全くの同感である。

ホールの天井

ホールの天井

ロビー

ロビー

さて、「はづ合掌」は着いてみると、周囲の森林に包まれるかのように大きな合掌作りの建物の頭が顔を出して現れた。太くて大きな柱と梁が、迫力のある存在感を示していたが、暖炉のあるロビーの待合はパブリックなラウンジスペースでもあり、スパーリングワインと梅と柚子のフレッシュジュースがフリードンリンクになって供されていた。

宿泊室内

宿泊室内

部屋の設え

部屋の設え

テラスのラウンジ

テラスのラウンジ

食事処

食事処

僕たちの部屋は一階の一番狭い和室で、おそらく一番廉価な部屋であったのであろうが、それでも二人には広さも十分であり、家具などの設えも民芸調で落ち着いており、サニタリーの設備も行き届き、清潔感に文句はなく満足出来るものであった。おそらく二階の部屋であれば、合掌作りに特徴的な壁と天井が三角形になり梁の柱に締め縄などが見えて風情があったのではないかと想像される。部屋にはテレビなど音の出るものは一切なく、静けさこそがおもてなしという趣向というか配慮があった。

露天風呂

露天風呂

半露天風呂

半露天風呂

風呂は渓流沿いに張り出した石組みの露天風呂と檜の半露天風呂があったが、お湯は湯屋温泉の一画にありながら温泉ではなく薬湯であった。どんな事情でそうなったかは知らないが、それよりも、木漏れ日を受けながら、眼下の岩盤の上を流れる渓流を眺めつつ入るお風呂の快適さが、お湯が温泉ではないことなどどうでも良いと思わせてくれた。
いずれも貸切風呂のシステムであったが、せいぜい5組の客のことだから、何の不自由もなく使えた。

夕食—八寸

夕食—八寸

岩魚の3種盛り

岩魚の3種盛り

焼筍

焼筍

蓬莱牛のステーキ

蓬莱牛のステーキ

食事も、決して山のことだからと言い訳をしないというか、山ならではの食材を生かした格調の高い、丁寧さが良くわかる会席料理であり、日本酒は幻の銘酒と言われる設楽関谷醸造の「空」が置いてあった。

朝食—土鍋ご飯

朝食—土鍋ご飯

小鉢

小鉢

卵焼き

卵焼き

トマト

トマト

朝食も同様に、気持ちのこもったものであった。

ちなみに「はづ合掌」は柏井の「日本の100名宿」の50番目に記載されている。

宇連川

宇連川

川底は岩盤

川底は岩盤

JR飯田線

JR飯田線

飯田線電車

飯田線電車

翌朝は、蓬莱峡、宇連川沿いの散策路を散歩したが、川底は大きな岩盤で敷き詰められたようであり、これは今までどこでも見たことのない独特の渓谷美であり、その川に沿ってJR飯田線が走っている。

長篠城跡

長篠城跡

飯田線線路

飯田線線路

有名な織田信長と武田信玄の長篠の戦いの古戦場跡がある長篠駅はすぐ近くである。時々2両編成の列車がのどかに走って行った。僕はうまく撮れなかったが、おそらく「撮り鉄」にはたまらない垂涎の風景ではないかと思う。

東京へ帰る際に、我々が引佐のインターチェンジに入り、東名と新東名の分岐直前に、新東名高速の掛川平島トンネル内で多重追突による車両炎上事故があり、事故発生を知らせる電光掲示板を見て、とっさに東名高速に迂回し、運よく巻き込まれずに済んだ。おそらくあと数十分も早ければ、7時間の渋滞に巻き込まれたであろうし、もっと運が悪ければ、トンネル内で遭遇し車を捨てて逃げたかもしれない。最悪なら追突事故そのものに巻き込まれたかもしれない。

藪蕎麦宮本

藪蕎麦宮本

島田藪蕎麦カード

島田藪蕎麦カード

しかし我々は、そんなことに思いを馳せることもなく、せっかく東名に来たからにはと、島田インターで降りて、日本一の蕎麦屋と信じる「島田藪蕎麦・宮本」で昼食を摂ることにした。少々待ちはしたが、ここでも運よく当日最後の客として座ることが出来た。
(14:30無くなり次第で終了なのだ)前にも言ったが、宮本の蕎麦は行く度に進化している。行く度に新たな感動があるのだ。蕎麦はあくまでも繊細で、作り手の神経の細やかさが伝わってくるが、蕎麦はしっかり、あくまでも蕎麦である。「これこそが俺が打った蕎麦だ」という自信と風格に溢れている。店内は写真禁止なので、その出来の姿形はお見せ出来ないが、小生の二番手柏の「竹やぶ」とは一段風格が違うし、三番手蓼科の「しもさか」とはおよそ蕎麦の概念が違うだろう。ざるや天ぷらそばは言うに及ばず、今回は山菜の天麩羅が実に絶妙であった。贔屓の天ぷら屋「天真」もかなわない程の出来であったと思う。

人は、運が悪く働くと、大いに嘆き、腹をたてるが、幸運にはさほど感激もせず、当然のように思うものなのだろうか。良く考えれば、我々はトンネル事故に巻き込まれもせず、おまけに島田藪で昼ごはんを食べ、東京まで渋滞知らずで帰れたことは、かなり幸運であったと感謝すべきであるという他あるまい。

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