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小津安二郎の散歩道-蓼科プール平のこと

クリニックのスタッフの福利厚生で蓼科の山荘に行った。
ここは外せないと、蕎麦屋「しもさか」に行ったのだが、こだわりの店主は、11時半開店はきっかり11時半にならないと駐車場の門扉を開いてくれないので、時間調整に、少し離れたところにあるプール平に行ってみた。そこには、日本を代表する映画監督小津安二郎の別荘を2003年に、生誕100年記念事業として、移築して公開している「無芸荘」があるので、そこで時間を潰すことにしたのだ。しかし、あいにくここも閉館中で中には入れなかった。

プール平は、学生時代にインターンでお世話になっていた甲府の病院の別荘があり、その縁で、時々来ていた懐かしい所でもある。昔は蓼科と言えば、東急ハーベストクラブの別荘地とゴルフ場、蓼科湖、ローランサン美術館、そこからせいぜいホテルハイジ、滝の湯、プール平までであった。当時は、おそらくヴィーナスラインもここら辺りまでで、白樺湖は未だ今のように俗化された遊園地やホテルはなかったように思う。やがて5期20年に渡った吉村午良・元長野県知事の時代に、公用地を払い下げ、一大遊園地や観光施設が造られ、すっかり俗化されてしまった。俗化をリードした池の平ホテルの前には吉村元知事の顕彰碑が建っている。

小生は、高1の時に、霧ヶ峰の強清水から八島湿原を経て車山を超えて白樺湖に下りたテント行の経験がある。名古屋の少年達にとっては、初めての登山らしい経験で、日光キスゲが車山一面に咲く中を、重いリュックサックにヒーヒー言いながらも眼下に白樺湖が見えた時の感動は今でも忘れることは出来ない。テントを張った白樺湖畔には、当時は未だ湖の中に多くの白樺の木が立っていて、霧が立ち込めると、幻想的であった。
その体験が、やがて大学時代に山岳部に入る遠因になったように思う。

その思い出の地は、今は無残にぶち壊されている。政治というのは、つくづく大事だと思う。長野県は、やがて、その反省に立ってか田中康夫氏を知事に選んだが、革新県政も間もなく頓挫してしまう。その田中康夫氏も今や、大阪維新の会から参議院選に立候補する変貌ぶりである。

プール平には別荘族の温泉プールがあったのが、その呼び名の由来らしいが、かつては小津の「無芸荘」を始め、小津と脚本仲間であった野田高梧の「雲呼荘」や今村昌平、新藤華人、井上和男などの有名監督達、小津組と呼ばれた、笠智衆や佐田啓二ら往時の有名俳優達の山荘が散在していたという。
現在、古き良き時代の映画や蓼科を懐かしむ「催し」や、小津が野田と一緒に散歩した道が「小津安二郎の散歩道」として道標が立てられ、観光名所化されようとしている。
また雲呼荘に備えられていたノートが「蓼科日記 抄」として刊行され、小津の「早春」以降の「彼岸花」「浮き草」「秋日和」「秋刀魚の味」などの名作が生まれた背景が書かれていて興味深い。
蓼科では、小津は初めの頃は、野田の雲呼荘で共同生活をしていたらしく、野田の妻によれば、『二人は朝九時頃に起床、朝風呂。続いて朝食、二人で酒を3合。午後の一時ころまで昼寝、夕食を美味く食べるために昼食は取らない。それから2時間ほど散歩。夕方四時から六時まで仕事。夕飯は夜の八時まで。酒は二人で「ダイヤ菊」を5合。夜の十二時ころまで仕事」という生活であったという。
映画一本撮るのに2人で一升瓶100本が目安になったという。俳優笠智衆は、自らの回想録の中で、彼等の別荘を見て「なんやら、酒屋さんの裏みたいだなあ」と書いている。
まるで息子のように可愛がられた俳優の佐田啓二は蓼科の別荘からの帰路に自動車事故で亡くなったが、その子供である中井貴恵、中井貴一は蓼科を故郷のように馴染んだという。

「蓼科物語」という本には、生涯独身だった小津のダンディぶりと、多くの女優が引きも切らずに訪れていたという裏話を紹介している。小津が60歳で亡くなると、すぐに隠退してしまった永遠の処女「原節子」もその中の一人に違いあるまい。

無芸荘

 

小津の映画の特徴である、「美しさへのこだわり」、「本物へのこだわり」「同じテーマ、同じキャストにこだわる姿勢」から見ると、別荘にもそれなりの相当な美意識・こだわりがあるかと思うのだが、無芸荘を見てみると、入り口の部屋に囲炉裏が切ってはあるが、座敷も勝手場も風呂も、おそらく当時としても平凡な質素な造りであったように思う。
酒と女性と仕事があれば、もうそれで十分だったのかもしれない。

元々、小津の別荘は、蕎麦屋「しもさか」のすぐ近所にあったが、今は跡形もなく知る人もいないと、蕎麦屋の主人は言う。

「蓼科物語」の中では、戦後間もなくから1980年代の蓼科の様子、今は無き大きな温泉プールやレストラン「コックドール」を紹介しているが、その賑わいと現在との落差には誠に感慨深いものがある。
蓼科を訪れる観光客は、激減していて、この10年でも随分静かになった。観光業の人には申し訳ないが、静けさを求め、自然との触れ合いを求めて、たまに来る者には有難いことではある。

車山高原には、6月の全山が赤く燃える蓮華つつじ、7月は、山をヤマブキ色に覆うニッコウキスゲ、8月は、薄紫がシックなマツムシ草を始め多種多様な高山植物がある。

我が山荘でも、夜は漆黒の闇の中、星は降るように輝かくし、聞こえるのは風の音だけである。

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