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八ヶ岳横断ドライヴといくつかの新しい体験―二回目の夏休み雑記

お盆休みの夏休み第二弾で再び蓼科の山荘に行った。
この期間は、どの別荘にも人が来ており、何となく落ち着きが悪いので、昼間は外出することが多い。そんな過ごし方を20年来していると、もうこの界隈では行くところは行き尽くした感があり、目新しいところはなくなってきた。
そこで地図とにらめっこして、残った穴場を探して何か所かを新規開拓した。
一つは北八ヶ岳連峰を超えて佐久側にある「八千穂高原」に行って、そのまま八千穂町に出て国道141号線を南下して八ヶ岳南端の権現岳山麓を回って帰るというコースである。

蓼科側から佐久側に行くには、北八ヶ岳連峰の茶臼山と高見石の間にある麦草峠を越えて茅野から八千穂町に至る広大な八ヶ岳のすそ野を横断する国道299号線(通称メルヘン街道)を行くのである。峠は標高2000メートルを超える難所である、と言いたいところであるが、道路は2車線のよく整備された舗装道路である。
かつては、当然のことながら、人々がいろんな思いを抱きながら、息を切らせて越えた峠道である。商業の重要なルートであったであろうし、戦国時代には佐久と諏訪の争いの軍用道路にもなったであろう重要な街道である。
私が学生の頃、およそ半世紀前になるが、麦草峠は北八ヶ岳の稜線に出る登山の重要な要所であり、そこにある麦草ヒュッテは多くの登山者のメッカでもあった。
丁度、八ヶ岳本峰縦走の起点となる硫黄岳と根石岳の間にある夏沢峠のようなものである。

余談になるが、私は学生時代の教養課程の2年間の夏休みに、夏沢峠にある山彦山荘の小屋番のアルバイトをしたことがあった。夏山の登山者のガイドと宿泊者の食事の面倒を見たのである。
午後の暇な時間は、峠近くの原生林の枯れ木を伐採して薪割りをした。秋冬の準備をしたのである。私は未だ二十歳前の、アイデンディティを求めて深い昏迷の時期であり、斧を振るう肉体労働が心地よく楽しかった。ふと見上げれば、真っ青な空に入道雲が湧き上がったのを今でも鮮烈に覚えている。

それから10年後には、舗装はされていないが、何とか車が通れる道が開通した。当時、兄の日産ローレルを借りて峠を越えた記憶がある。その時は峠で引き返したか、どこかに抜けたかは記憶にないので、今のように佐久側に開通していたかは定かではない。
今のような舗装2車線の立派な国道になったのがいつのことかは知らないが、現在は蓼科中央高原から峠まではほんの数十分である。
従って、小生が蓼科に小屋を持つようになってからは幾度となく麦草峠には遊びに来た。麦草峠の近くに風光明媚で人気の高い白駒池があり、峠は観光客で溢れてはいるが、一歩道を外れれば、シラビソの原生林やハイ松に高山植物のお花畑があり、そこはまさしく山なのであり、お握りでも持って来れば、いっぱしの登山気分が味わえるのである。

数年前には麦草峠を越えて、佐久側の松原湖に出たことがあった。途中で稲子湯によって入ったが、本澤温泉と同様に鉄分の多い湯でタオルが瞬く間に茶色になった。
4,50年前は、小海線松原湖駅から本澤温泉まで歩き、そこで一泊して硫黄岳、赤岳に登るのが最もポピュラーな登山ルートであった。

私がバイトをしていた夏沢峠の山彦山荘は本澤温泉の経営であったから、週に一度は温泉に入りに下山するのが許されており、その夜は温泉と焼酎の宴会が楽しみであった。8月も終わりになると、山では大きなツガマツタケが採れるのも楽しみであった。もっとも自分で採れるものでもなく、当時、温泉で雑用をしていた発話障害のある使用人の男のみが知る秘密の場所があるとのことであった。当主は熊の毛皮を敷いた囲炉裏の上座に座り、酔っぱらっては、何かをまくし立てていたし、その母親は、つまり先代の女将だが、いつも「つまらんねえ、つまらんねえ」というのが口癖であった。後で聞くと先代当主は、女道楽で、いつも外に女がいて女房を相当泣かせたらしいから、自分は山奥で人と交流することもなく,着のみ着のままで朝から晩まで汗と垢にまみれて飯炊きや炭焼きで働きどうしでは無理からぬことであると、若年ながら納得したものであった。
温泉には沢山の学生のアルバイトがいたが、当主は、小生が医学部の学生であったためか、特別に目をかけてくれた。(当時のことだから佐久の田舎では医者はステータスであったのだろう。)当主の長男は当時日大の学生で2歳ほど年長であった。
本澤温泉は今では、日本一高いところにある「雲上の露天風呂」と硫黄泉の秘湯を売りにして一般にも有名になったが、きっとその長男の次の世代が現在の当主なのであろう。まさに時は光陰矢の如く流れるのである。

八千穂湖

白樺原生林

麦草峠を越えしばらく下って行くと、松原湖高原を経由して小海線松原湖駅に行く480号線(松原湖高原線)と八千穂高原を経由して八千穂駅に行く299号線(メルヘン街道)に分岐する。前回は松原湖ルートを行ったので今回は八千穂高原から小海線八千穂駅を目指すルートを取った。初めての道である。峠を越えると一気に人も車も少なくなるが、道はどうしてなかなか立派なものであった。八千穂高原の八千穂湖周辺は公的施設も充実し、蓼科界隈では見られない静逸な品の良いリゾート地になっていた。自然がうまく保護され残されており、観光地特有の俗化も見られず、湖でルアー釣りをする釣り人と昆虫採集をする親子連れがいるくらいで閑散としていた。
さらに下ると国内一という白樺原生林があったが、白樺湖周辺では到底見られない広大な白樺林であった。何処かジブリのアニメの世界に紛れ込んだような気になった。

八千穂高原では思わぬ拾い物をして、なんだか得をした気分になった。

土牛記念館

松原湖

299号線を下った先の八千穂の町は古い町並が残されており、黒澤酒造の蔵屋敷が整備され観光のスポットになっているようであり、日本画家奥村土牛の記念美術館も併設されていた。

国道141号線は千曲川と小海線に併走するように走っているので、時々小海線の駅舎に立ち寄りながら、一路小淵沢方面に向かった。
途中で松原湖に寄り、湖畔のベンチで持参したお握りで昼ご飯を食べた。ここも白樺湖や女神湖と比べるべくも無く、静かな佇まいであった。

八ヶ岳高原ロッジ

八ヶ岳ヒュッテ

小海線野辺山駅

更に南下し海ノ口高原では、かつての家族旅行の思い出の八ヶ岳高原ロッジに寄ってみた。(カーライフ、2012.10,26)息子が小学校入学前の夏休みであったからおよそ30年ぶりである。そこでお茶をして一息入れて、少し下ると野辺山駅である。野辺山は天文台と星の綺麗なことで有名であるが、またJRの標高最高地点に駅があることでも知られている。そこにもついでに寄ってみると、運のいいことに小海線の列車が入ってきた。ホームには、やはり撮り鉄が大勢いたので、小生も一緒にまぎれて写真を撮ったりした。
さらに南下して、141号線を右折して清里美しの森から八ヶ岳高原ラインに入ったが、前走車がのろいのに多少イラつきながらいると、富士見高原で「鹿の湯」の案内を見つけたので、これ幸いにひと風呂浴びることにした。ホテル八峯苑に併設された温泉施設だが、規模の大きさと言い、日帰り客の多さと言い、どちらが本業かというくらいの盛況であった。温泉は時間によって色が変わるというナトリウム・マグネシウム・硫酸塩温泉で、いかにも温泉らしい良い湯であった。
後は通いなれた八ヶ岳エコーラインから白樺湖に向かう道であり、夕方には帰宅した。

全長160キロのドライブであった。
八千穂高原は思いのほか良かったし、懐かしい松原湖や八ヶ岳高原ロッジにも寄れたし小海線沿いのドライブは楽しかった。最後に見知らぬ鹿の湯温泉で疲れを癒せたのもラッキーで、なかなか充実した一日となった。

長円寺

もう一つの発見は茅野市の外れに思わぬ名刹を見つけたことである。
長園寺という真言宗のお寺であったが、どのような縁起、由来のお寺かは勉強していないので知らないが、杉並木の見事さや多くの野仏が並ぶさまからして尋常の寺院ではないことは推察できた。

雲渓荘

更にもう一つの発見は、らしからぬ日帰り温泉を開拓したことである。
信濃毎日新聞社が発行している「信州日帰り湯めぐり」という名著があるが、その中で紹介されている「東信の湯」の部は既にほとんど行き尽くしているが、残したいくつかの一つが、以外にも近場にあったので行ってみたのである。今は上田市になったが、元は小県郡武石村にある「岳の湯温泉・雲渓荘」である。
近頃多い、公営か第三セクターの経営する、田圃や畑の中に忽然とある、似たり寄ったりの相似形のような温泉施設ではなく、山懐に抱かれた堂々の個性的な温泉宿であった。宿泊施設ではあるが、日帰り湯を推奨しているので、遠慮がちに入るという雰囲気はなく、気が楽であった。お湯はアルカリ性単純泉で癖が無く、客も少なく、風呂場は独占状態であった。お土産に野沢菜と地産ポークのひき肉入り「お焼き」を買ってきたが、帰って15分ほど蒸かして食べるとまるで中華の肉まんのような感触ではあったが、中身はまぎれもなくみそ味のお焼きであり、たいそう旨かった。

お焼き

テラスには落ち葉、もう秋が

私は数日の休暇がとれれば、好んで蓼科の山荘に出かけるが、何のためかと問われれば、間違いなく「ストレスを取るため」と答えるようにしている。
人が生きていくために最も重要なことは自律神経のバランスを取ることである。
日常のあらゆる場面でため込んだストレスで交感神経優位になった心身の状態をりラクゼーションして副交感神経を優位に持っていき、免疫力を高めるべくバランスを取ることが山荘の最大の効用であり価値であると思っている。だから少なくとも数日は滞在し、気ままに過ごすことが大事であり、ホテルや旅館ではこうはいかないと思う。第一、費用を考えながらの宿泊ではそれもまたストレスになるだろう。ここでの4,5日の2人での滞在費用は、多少贅沢をしても、「あさば」の一泊一人分に過ぎない。
別に別荘ライフでなくとももちろんよいが、交感神経優位の生活は免疫力が下がり、癌を始め、あらゆる病気のもとになることを承知して、副交感神経を高めるような生活スタイルを取り入れることは健康寿命を延ばす最大唯一の方法であると信じている。スポーツであれ旅行であれ、人に言えないような趣味道楽であれ、自分にあったストレス解消法を見つけることが大事であると思うのである。

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