昔は花嫁修業の一つだった生け花も今は中年男性たちの習いごとにもなっているらしい。
そんな彼らの展覧会が銀座のポーラミュージアムアネックスであったので、近くのトラヤ帽子店に行くついでに見に行った。
友人が出展しているので、そのお付き合いでもあったのだが、男が年を取ってから「花を生ける」ということに内心興味もあったのだ。
小生は、花を生けるのは、もともと嫌いではない。はるか昔のことではあるが、小学生の頃は母親が持たせてくれた切り花を教室で生けたりしていたし、今でも客人がある時などは、青山の「フーガ」に花を買いに行き、玄関先に生けたりすることもある。
花の系統としては、華道家の川瀬敏郎のフアンであるし、泰秀雄や白洲正子、菅原匠の「花生け」に対する考えの違いなどを読んでは面白いと思ったりする。
古来、生け花は能や茶事と並んで武士の嗜みでもあったと言う。
漢学儒学は言うに及ばず書画、和歌をたしなみ、骨董鑑賞から作庭の意匠までと一流の武士に求められた教養の深さは当代の一流ビジネスマンの遠く及ばない奥深いものであった。
書はおそらく漢字・平仮名の独特の文化であろうが、花を生け愛でる風習は洋の東西を問わず全世界にあると思われるが、日本の生花はそこに自然の美を感じ、生ける所作にも精神性を見出し、「華道」として精神修養の手段にまで昇華しているのが、欧米のフラワーアレンジメントとは根本的に違う所である。
主催団体フラワージャパンの代表が草月流の流派であったせいかどうか、今回の「ビジネスリーダーたちのいけばな展」はメッセージ性に富んだものであった。
出品者たちがその思いを作品で十分に伝えきったかどうか別にしても、少なくとも主催者側の趣旨は「現在の日本のビジネスリーダーたちが次世代に送る言葉」を生け花で表現するというものであった。
案内書を読むと、少々大上段で、よくある成功者たちの人生哲学、人生訓ぽくて、ミニ稲盛集団かと辟易する思いも無くは無かったが、行ってみてその作品群の完成度の高さにまずは驚いた。
出品者は皆それなりに社会的な立場のある人達ばかりだから、許可なく、テーマとメッセージと作品とを照合してお見せすることははばかれるが、諸氏が忙しい合間にちょこちょこと習い、ちょこちょこと作ったとは到底思えないのだが、如何であろうか?
小生も、自分が生けた花を人前に公表するかどうかは別にして、少々真面目に生け花を習うのも老後の楽しみとしては悪くはないかもしれないと思いながら会場を後にした。