縁あって、鳴り物入りで始まったオペラ・ブッファ「狂おしき真夏の一日」を東京文化会館に観劇に行った。三枝成彰が「フィガロの結婚」へのオマージュとして作曲し、台本を作家・林真理子に演出を作詞家・秋元康に依頼し喜歌劇として作り上げられたもので、三枝の8作目のオペラと言うことである。
日本のオペラ界では有名な豪華キャスト勢揃いのうえ、舞台美術が日本画家の千住博、大友直人が日本フィルを指揮するというきらびやかな顔ぶれとあって、協賛企業もトヨタ自動車、NTTデータ、セイコー、三菱商事、ヤマハ、帝国ホテルと超有名企業が揃っていた。
小生は、友人が合唱を担当した六本木男声合唱団(団長三枝成彰)のメンバーであった縁でお付き合いで見に行ったに過ぎず、オペラはもとより、音楽という世界に全くの門外漢であるから、このオペラの凄さと言うか、日本のオペラ界における価値と言うか位置づけは皆目分からないが、ただ秋元康、林真理子、千住博と言うメンバーを見ただけで一種の胡散臭い方向性が見えて、少々気がそがれたのも事実であった。
果たして、「狂おしき真夏の一日」の台本のストーリーは退屈なものであった。
地方の零落した病院の医師一家の自堕落、奔放な恋愛模様をコミカルに描いているが、一体作者は何を言いたいのか、よく伝わらないままであった。
オペラは椿姫にしろ蝶々夫人にしろ、そもそもストーリーは陳腐で退屈なものであるのが相場だが、かつて一度だけイタリアオペラを見たことがあるが、観衆に何らかの感動を呼ぶのは歌手の歌唱力や演出の芸術性なのかと思ったが、その意味でも、小生には余り強く心に残るものではなかった。
大手マスコミ傘下の劇評家はこぞって、そのメンバーのユニークさを讃え、作品の評価も高いからきっと傑作なのだろうが、果たして万円以上のチケットを買って観るに相応しいかどうかは、見る側個人の文化度によるのだろうが小生には正直コスパは良いとは思えなかった。
初日でもあったせいだろうが招待客と思しき著名人も散見されたが、それも少々うんざりで、作品に没頭出来なかった理由であったかもしれない。小生の斜め前の席には安倍首相夫人が友人と秘書官とSPとでお出ましで、するとすかさず林真理子女史が挨拶に現れるという具合で、小生には同じ非日常でも余り好ましい光景ではなかったのだ。
三枝自身の弁によれば、オペラは趣味であり、そのために彼はこれまでに60億をも費やしたとのことであるが、この一作にもウン億円の費用が掛かり、それを個人の力で集め、実現してしまうのは、やはりすごいことであるとしか言いようがない。多くのタニマチを引き付ける彼の人間力は、小生には想像することすらできないのである。
元々「持っている人」が、さらに「持っている人」を周りに集めることで実現出来るのがオペラと言う芸術(道楽?)なのかもしれないから、元来小生には縁の無い場違いなものであったのだと納得したものであった。