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奥三河湯谷温泉?思春期の思い出に浸る

母親の見舞いに、田舎に帰った帰り道に奥三河の湯谷温泉に一泊して来た。

奥三河とは豊橋の北方の新城市から長野県に接する辺りを言うらしいが、昔はそのような言い方はしなかったように思う。

鳳来寺山という1400段を越える石段を昇って頂上に達する、岩峰も怪しい雰囲気の信仰の山があり、頂上には開祖が702年という真言宗の鳳来寺という名刹がある。また徳川家康を祀る東照宮もある。

鳳来寺山

宇連川の清流


その麓には、やはり開湯1300年という昔からの湯池場があり、それが今はリゾート地の湯谷温泉になっている。カーライフの「2012.7.27ジープに乗って-1」の飯田時代の所でも書いたが、飯田線が天竜川沿いに走り、風光明媚な中でも特に景観の美しいところである。隣駅が、信長を世に知らしめた長篠の戦いの古戦場跡である。

鳳来寺山には、中学校1年の林間学校で登ったことがあった。その後中3の時に友人とキャンプに行ったこともある。つまりは多感な思春期の思い出満載の場所なのである。

思いリュックサック、きつい石段、大きな杉の木、深い森、仏法僧(このはずく)の鳴き声、霊気漂う山頂、宿坊での雑魚寝、夜の肝試し、朝の冷気と霧、硯石のお土産、思い出は尽きることはない。

55年の間をおいて、思い出の地を尋ねるのは何とも切ない気分であった。

湯谷温泉の宇連川の石畳の清流や、深い山の自然の豊かさは今も変わらず残っていたが、鳳来寺山にはドライブウエイが出来、あの階段を昇らなくとも頂上に行けてしまい、また鳳来寺は鉄筋のお堂に変わっていた。

さて、今回泊まった宿は、当地でいくつもの旅館を経営するグループの一つで、はづ木という小体な旅館で、宇連川の清流が窓から望める地に立っていた。

旅館はづ木

玄関

ロビー

 

宿の食事は、不思議なことに本格的な薬膳料理であった。中国の正統派のもので、部屋の内装から食器までそれなりに形になっていて驚いた。奇妙ではあったが、これと言って食材のないところでは良い考えかもしれないとも思った。味にも雰囲気にも十分満足できた。

内風呂

露天風呂

部屋からの眺め

薬膳メニュー?

薬膳メニュー?

烏骨鶏のスープ

魚の蒸し物

老酒

貝柱と卵白の炒め物

肉まん

ダチョウ肉の醤油煮

チンゲン菜の炒め物

海老の炒め物

トシシの炊き込みご飯

白きくらげのデザート

タピオカと餡

お茶

朝食


欲を言えば五平餅も食べたかったけれど。

奥三河は、箱根にはない手つかずの本当の自然が残っており、信州や上州の温泉地ほど観光化されていない素朴さが味わえる。また鳳来寺山には1300年にも渡る山岳信仰がもたらす、えも言わさない霊性が漂い、何か自分の意識や自我が一つ高まったかのような、ある種の精神的な転換を感じる事が出来る、日本では数少ない上質なリゾートであると思う。

それに湯谷温泉には新東名高速道の浜松いなさICから三遠南信自動車道に入り鳳来峡ICで降りれば、10分で着けるという便利さである。東京からでも4時間あれば十分な距離である。

皆様も是非一度お尋ねになられることをお勧めします。多分今までに体験したことのないspiritualな気分と自然の豊かさを体感し、人生を見つめなおすキッカケになるかもしれません。

あかいくらやみ?天狗党幻譚?シアターコクーン観劇

ぶんか村シアタアーコクーンで、演劇集団“阿佐ヶ谷スパイダース”が、長塚圭史の演出で『あかいくらやみー天狗党幻譚』を公演したので、観劇に行った。文化村は久しぶり、約一年ぶりの訪問である。

主演が小栗旬なせいか若い女性ファンが多く、チケットが手に入りにくいとの下馬評であったが、たまたま、出演の中堅所の俳優さんが家人のクリニックの患者さんで、よい席を手配して下さったので、群馬の銘酒“水芭蕉”と、おつなさんの稲荷ずしを手土産に出かけた。

おつな寿司は、2月に本多劇場に行った時の差し入れで評判がよかったので、今回もわざわざ当日、六本木まで買いに行った。

パンフから

パンフから (2)

難解な芝居であった。

筋が追えないのである。

天狗党事件という日本史で聞いたことがある、という程度にしか知らない事件をテーマに、時相が現代とも交互しながら進むのでストーリーが追えないのである。

原典が山田風太郎の『摩群の通過』だから、前もって読んでおくといいとアドバイスを受けていたが、あいにく本屋に欠本で予習しないで行ったのがまずかったのだろう。

幕末の維新の頃の出来事であり、大河ドラマの八重の桜にも通ずる話である。

水戸藩の尊王攘夷派が天狗党を結成し決起したのだが、賊軍扱いされ、揚句の果てに、頼みにした尊王の筆頭、徳川慶喜が天狗党討伐軍の大将になるなど、失意、絶望の内に京都に向かうのであるが、途中で捕まり全員が斬首されるという悲劇的事件の顛末が、上洛途中に立ち寄ったという群馬、伊香保温泉の旅館を中心にドタバタと展開するのである。

作者が何が言いたかったかは分かりませんでしたが、僕が感じたことは以下のようなことでした。

まずは、世の中、時代を問わず、生きていく上で、理不尽な裏切り行為はつきものであるという事。

下が上を裏切る、上が下を裏切る。仲間が仲間を裏切ることは、事情は一方的で単純では無いにしても、理不尽な裏切りは、いつでもどこにでも確実に存在する。

実は生きていくうえで、これが一番こたえるのである。

次は、組織というものは、特に鉄の団結を誓ったような組織は、運動の目的の正当性、合目性を失っても、動きだした運動は止められない習性を持つものだという事。

全滅と分かっていても、突き進んでいくしかなくなるという恐ろしい習性です。

第二次大戦の日本軍のインパール、ノモンハン戦線を始め、多くの戦場が、兵隊の命より、軍上層部が自分達の戦略的失敗、無能さを隠すためもあってか、絶望的な戦争を全滅するまで続けた訳ですし、僕がかすかに経験した60?70年代にかけての学生運動でも、もはや何の展望もないのに、最後の決戦をやるわけです。

ただし組織の上層部は、組織の温存を図る為と言い、自分たちは突撃はせず身を隠すのです。

軍隊も他の権力組織も同じようなもので、洋の東西を問わず、きっと古の昔から権力志向の強い人間の行動パターンは決まっているのです。

権力者達は、常に自分たちは安全地帯にいるものです。突撃は最後尾で、撤退は先頭に立つのが彼らの習性なのです。

そして今、憲法を変えようなんて連中も、自分たちはどう転んでも安全地帯にいることを前提にしているのです。

私達は、安全地帯を持たない者として、また安全地帯は決して与えられない運命にある者として、物事を判断しなければ、とんでもない目に合うことは必定ですよ。

昨日(2013.6.16)テレビ朝日で、国から見事に捨てられた沖縄の僻村のドキュメンタリー(ごく小さな、四方を米軍基地で囲まれた村の村民がオスプレーのヘリポート反対で座り込みをしたら、子供までが、道交法違反で国から訴えられた。)をやっていましたが、それが明日のわが身でないという保証は何処にもないという事です。

オヤジたちの合コンーひなにも稀な才女たちと悦楽の夕べ

世のオヤジどもは女性といえば、若いだの、かわいいだのと、そこいらにしか目がいかないとお思いの方が多いようですが、実は才女フェチというのもいるらしい。

僕はフェチではないが、賢い女性は大好きであり、特に食事の友にはうってつけであるというのが昔からの持論である。

そんな同好の友人と才女二人の4人で、また青山のプリズマに行った。

プリズマは2週間前にも息子の壮行会で家族で訪ねており3レンチャンであったが、料理は前にもまして素晴らしく良かった。

コハダや鳥貝、うにが見事に調理され、斎藤シェフの料理は来るたびに、日々進化しているところが驚嘆に値する。

今回の目玉はさまつ(早松、シーズン前の8月に出るマツタケのこと)ならぬ早ポルチーニの見事な逸品であった。

見事な早ポルチーニ

御嬢さん方も興奮して思わず写真を


最近のプリズマは、カトラリーの趣味もよくなり、盛り付けの美しさもアートの域に入ってきた感がある。

個人的にはつけて欲しくはないが、プリズマに星をつけないミシュランなんて、その評価はまるであてにならないと言って良いと思う。

さて今回の才女達は、まぎれもなく三ツ星である。T大法学部卒といえば、どんなに学歴フェチのオトーサンでも文句のないところでしょう。

本当に賢い女性(ここでは賢女とします。)のいいところは、賢さを顔に出さないし、ましてや鼻に掛けないところである。

話題は豊富であるし、オヤジの話もきちんと聞いてくれるし、自分の意見も言う。

つまり若いだけの御嬢さんとは違い、会話は弾むし楽しいのである。

そして気が利くし、礼儀正しく、振る舞いもきれいである。京都の芸子の振る舞いも優雅できれいではあるが、どこかわざとらしさが見え人工的な匂いがするものであるが(さらに悪いことにすぐに何かを欲しがる癖がある)、賢女の優雅さは教養から来るのでしょうか、自然で心が洗われる心地よいものである(それに、決して何かを要求されることはありませんし。)。

最近の高学歴子女は、育ちも良いというから家庭教育、躾も良いのでしょうが、名門女子大や家柄自慢大学の00同門会の胡散臭さはどこにもない。

それでいて気さくで、デザートなど分けっこして食べてくれたりして、親父の泣き所をきちんと押さえているのである。

これらのことは高学歴子女全員に言える事とは思いませんが、今回のお二人はまさにその通りのキュートでクールな賢女でした。

さらにダメを押すなら、二人とも20代半ばと若く、美人でチャーミングなのである。

以上の感想は友人も全く異論なしとのことでしたよ。

かくも可愛い賢女たち


最近特に思うのであるが、天は紛れもなく二物を与えてしまいますね。そうでなくとも、賢女は会うほどに美しく見えてくるものですが、初めから美しいともうどうしようもありませんね。

近頃は、名門大学の合格風景などをテレビで見ていても、偏差値の高いところほど美人が多いなあ、という印象があるのは私だけでしょうか。

そういえば、(これは家人には内緒ですが。)なべて医学部の女子学生や若い女医さんも昔と比べると随分美人が多くなりましたよねえ。(ちなみに家人は昔の女医です。)もちろん彼女たちが皆、賢女というつもりは毛頭ありませんが。

結論。

食事以上のヨコシマな考えがないなら(別にあっても構いませんが)、才女それも半端でない賢女とデートするほど楽しいものはありません。

どんな高級店で大枚はたいても決して後悔しません。(したことはありませんでした。)。

かような賢女と何処で知り合うか、ですって?それは、日々真面目に研鑽して自律機能を高めれば、自然と機会が巡って来るものですよ、ご同輩。

合コン楽しかったデス、はい。


信州青木村?国宝大法寺三重塔と田沢温泉有乳湯

五月のゴールデンウイークは今年も蓼科の小屋開きに行くことになりました。昨年の秋以来の訪問で、萱の屋根が落ちていないか、水道は破裂していないかとの不安を抱えての道中になります。

幸い萱は健在で、水道水も無事に出て、一安心でしたが、今年は例年よりかなり寒く昼間から炬燵が恋しいほどで、タラの芽の木も例年なら僅かに芽吹いているはずの蕾の芽も全く見られず、春には未だ程遠い風景でした。

山荘はまだ冬

翌日は、春を求めて里に下りることにし、上田市の隣にある青木村に行ってみました。目的は温泉のバイブル本で調べた田沢温泉の日帰りの湯で、お風呂セットとおにぎりを持参してののんびりとしたドライブです。

青木村は、群馬の里村とはまた違ったのどけさと優しさを肌で感じさせてくれる所で、田沢温泉のちょっと手前で国宝大宝寺の案内標識を見つけ、急ぐ旅でもないので立ち寄ってみました。

それは塩田平を望む山間にあり、桃や山吹、山桜が咲き誇る、美しい日本の山里の原点を思わせるような風景の中にありました。その時、僕はある情景を思い浮かべました。

それは、あの三大テノールの一人と謂われ人気のオペラ歌手のプラシド・ドミンゴが東日本大震災の直後の日本公演の際、アンコールで日本国民の愛唱歌である「故郷」を日本語で熱唱し、多くの観客が感泣したというエピソードです。観客の多くは、きっとこんな美しい日本の山里の情景が目に浮かんだのではないかと思ったのです。

青木村の春CIMG1166

大法寺 (2)


国宝三重塔は、鎌倉時代に大阪の四天王寺の匠による作とのことですが、なにゆえこの辺鄙な山間に、奈良興福寺の三重塔と並び称される、このような見事な三重塔が建立されたのか不思議に思えましたが、建立の縁起は実は良く分かっていないそうです。

三重塔(1)

三重塔(2)


塔の背に当たる山に立ち、村を見下ろすと、そこが京都でも奈良でもない無名の鄙びた山村である事に一種の感動を覚えました。

塩田平

大法寺の隣には近代的な建築の青木村郷土美術館があり、この地方ゆかりの作家の絵画や彫刻が展示されていましたが、印象的だったのは、入館料が安くて喫茶のお菓子とコーヒーがとても美味しかったことです。

青木村郷土美術館

青木村は辺鄙な山村にしてはどこか垢ぬけている感じがしたのですが、この地方は江戸時代から義民(百姓一揆)の伝統があり、村民の政治的、文化的意識が高いのが、多くの研究者によって指摘されているのも納得のいくところでした。

田沢温泉は、同じような山間の、数軒の宿からなる小さな温泉地で、源泉でもある共同浴場の有乳(うち)湯が中心で、お湯番によれば、お湯は硫黄泉でありながら気泡が出るのが特徴の子宝の湯として有名とのことでした。確かに身体の芯から温まり湯冷めのしない、お肌すべすべの良い湯でした。

田沢温泉

有乳湯共同浴場


家人共に青木村、田沢温泉の雰囲気がすっかり気に入り、日帰りは止めて、当地で一泊しようとしたのですが、生憎、空いている宿はなく、仕方無く、もう一か所気になっていた「修那羅峠の石仏群」を見て帰ることにしました。

それは、修那羅峠から1キロほど急な山道を歩いて、ようやく辿りつくような所にありましたが、860体を超える石仏が山中に林立しており、京都の石峰寺の五百羅漢ほどの調和のとれた美しさはありませんでしたが、粗野ながらも迫力は十分にあり、苦労の甲斐は報われたと納得できるものでした。

修那羅峠の石仏群

信州のほとんど無名の観光地を訪ねた今回の小旅行も意外な発見の連続であり、心癒される良い休日になりました。

皆様も機会があれば、青木村をお尋ねになられることをお勧めいたします。

谷川温泉ーみなかみ山荘

ゴールデンウィークのしょっぱなの連休に群馬みなかみ温泉郷の一つ、谷川温泉に行って来ました。名前の通り、谷川岳のふもとに位置する山間の鄙びた温泉地である。

各々個性的な旅館が5軒ほどあるらしいが、今回は水上山荘に泊まった。

水上山荘

『正真正銘五つ星源泉宿66』(小森威典著,祥伝社刊)で、べた褒めであったから、それを信じて行ったわけである。

関越道水上インターを下りて、10分ほどで着くが、国道291号線から外れて、山間に入っていくので、水上温泉の温泉街特有の猥雑さとは無縁のいかにも日本の田舎、里山に来たなあといった風情で心休まるものがある。

山里はまだ春半ばで、桜もタンポポもそこかしこに咲いていた。

山里はまだ春半ば

春も盛り

 

宿にはチェックイン時間より1時間近く早く着いてしまったが、主人は玄関先まで駆け寄り、車を受け取ってくれ、当然のように投宿させてくれた。なんせ高崎からくると1時間しかかからないので、12時出発では早すぎたのである。

先の法師温泉とは大違いの接客で、安堵し、期待も高まったのである。

ロビーに入ると正面の大きな窓越しに谷側岳の威容が目の前を圧倒する。

まだ雪を冠ったマナイタ倉の岩峰は、学生時代に夢見た別世界が、今、眼前にあるかのようであった。

ロビーからの絶景

部屋から見た谷川岳


肝心の温泉は、古代ヒノキの見事な湯船で、お湯は日本一と誇る泉質の単純泉で、湯量も豊富で露天とも24時間の堂々の豪快かけ流しである。

古代ヒノキのお風呂

露天風呂


実際、長湯しても疲れのこない、多分今まで経験した温泉の中で一番優しいお湯ではないかと思ったほどである。これは家人も同意見であった。また、ゴールデンウィークというのに一度も他の客人と顔合わせをしなかったという宿の小体さもいい。

食事は、これまでの群馬の温泉旅館の経験から期待はしなかったが、とんでもない考え違いであった。

期待を裏切って、素晴しく良かった。というか、見事な料理であったと言った方が正確であろう。

どうしてそのような料理人が、山合いの有名でも高級でもない旅館にいるのか信じられないことであった。

夕食の先付け

ヒラメの薄作りーオイルもついた


サービスも心配りが行き届いており、高崎や前橋の食の関係者は水上山荘に一度研修に来たほうが良いのではないかと心底思うほどでしたよ。ハウスワインも良かった。

旅館の主人はきっと只者ではなかろうと睨んだが、大きな池に大きな鯉が沢山泳いでおり、その中に怪しい魚影を見つけ、尋ねると何とチョウザメであった。

体調は1メートル以上はあり、この地でキャビアが供される日も遠くはないかもしれないと奇妙な感慨であった。

チョウザメもいた


山荘の目と鼻の先に、2つの文化的な施設があったのも以外であり、楽しい発見でもあった。

一つは廣池千九朗記念館で、モラロロジーという道徳学を拓き、教育、平和運動に業績を残し、今には広池学園となり、隣に立派なそのセミナーハウスがあった。

廣池千九郎記念館


もう一つは、あの天ぷら屋の銀座天一の創業者のコレクションからなる天一美術館で、美術、建築愛好家の方はつとにご存知のことかとは思いますが、岸田劉生の正面麗子像を擁し、吉村順三の最後の設計となる建築で有名で、多くの見学者が足を運ぶそうです。

天一美術館


恥ずかしながら、小生はその存在すら知らなくて、たまたま偶然立寄ったわけですが、美術品の質の高さもすごいが、吉村順三好きの僕は美術館の建物の素晴らしさにも息をのんでしまった。

こんな別荘を持つのが昔からの夢であったが、それはとうとう夢のままで終わりそうだが、天一美術館という、

あくまでも静寂で、のどかな山村の地で、眼前に谷川岳を抱きながら、、かくも素敵な建築があり、そこでは日本の美術史を代表する作品を人々に鑑賞させているという存在を知りえただけで、自分の夢があたかも実現で来たかのように思われ、十分満ち足りた感激に浸ることが出来ました。

谷川温泉水上山荘の温泉旅行は、思いもかけず、発見と感動の旅行になりました。

群馬に来て早3年になりますが、今回がこの地での最良の休日、温泉旅行になったようです。

我が家の庭の春

季節の話である、日本の四季はなくなって二季になってしまうのではないかと言うのがこのところの家人の意見である。

つまり、冬が長く、春らしい陽気を味わう間もなく一気に夏になってしまう。

残暑がいつまでも続くと思うと秋らしい日はほとんどなく一気に冬に入ってしまうと言うのである。

確かに子供の頃感じたような、五月晴れの真っ青な空の快適な日はぐっと減ったと思うし、雲高く染み入るような秋空の日も減ったような気がする。

それでも3月になれば、木々の芽が膨らみ、やがて桜が咲く。

今年は3月の初めに暖かい日が続き桜の開花も例年よりずいぶん早かったようであるが、4月の中旬になっても肌寒い日が続いており、いまだに暖房器具をしまい切れないでいるのは我が家だけでしょうか。

我が家の春の知らせは隣家のモクレンである。

モクレン

今年は花に勢いがなく色も今一つであったが、それでも一斉に咲くと冬の終わりを実感するのである。

その頃北庭のイロハモミジの枝のつぼみもほころんで葉の緑が顔を出してくる。

イロハモミジの芽

玄関アプローチのナナカマドの枝にもつぼみが膨らんではっきり見えてくる。

ナナカマドのつぼみ

すると、ある日突然のようにジューンベリーの白い花が咲き出し、数日で満開になる。

ジューンベリー

ジューンベリーの花

2階の書斎の机に座ると、まるで大粒の牡丹雪が乱舞しているかのような錯覚に陥るほどである。

書斎の窓から

前後して、隣地の旧東電のグランドの桜が咲き始める。

今年はなぜか花数も少なく、寂しい桜で終わりましたが福島原発の鎮魂のせいでしょうか。

さくら

桜が終われば新緑の始まりである。

もみじの新緑

もみじの葉が形を成して来ればあっという間に覆いしげるのである。

もみじの葉の形になる

人間はただ一方的に老いるだけであるが、植物はどんな老木になっても、毎年新芽をだし青葉になり紅葉して散る、という謂わば人生のやり直しを繰り返す。

毎年赤ん坊の肌を手に入れるのだから女性はさぞかしうらやましいと思うだろうが、さて男性の皆さんはどうでしょうか?

また十代の頃に戻りたいとお思いの方がいらっしゃるのでしょうか?

 

雑草の花

 

 

法師温泉にフルムーン一泊

2月の連休に、フルムーンの秘湯の宿として名高い法師温泉を尋ねました。

群馬県水上町猿ヶ京温泉からさらに山に向かい県境の山裾にあります。

行きがけの風景

途中からいかにも山里に来たという景色になり期待は高まりますが、山道の道路脇には雪が積もっており、車がすれ違うのが難しいところもありますが、おおむね道は良く八ヶ岳山麓の秘湯と比べれば開けている感じさえしました。

到着し、駐車場から100mほど歩きますが、正面に写真で見慣れた建物が見え、アー来たな、という感慨が胸に迫ります。赤い郵便ポストが置いてあり、ふた昔前の田舎の村役場にきたという雰囲気の佇まいです。チェックイン30分前というのに快く向かい入れてくれ、今なら貸切ですよ、と入浴も勧めてくれました。順調なスタートです。

法師温泉

渡り廊下

館内渡り廊下

 

風呂は3つあり、有名な法師の湯は混浴で、一部の時間帯が女性用になっています。

新しい玉城の湯は男女交替制になっており、もう一つは女性専用で、これからも利用人口の男女比が女性優位であることがうかがえます。板張りの長い廊下を歩いて湯殿に行くのも情緒があります。

有名なー法師の湯

玉城の湯

 

法師の湯は、期待を裏切ることはなく、まさしくあのdiscover japanのポスター通りの雰囲気でした。が、お湯はかなりぬるめで、かつ足元からお湯が沸きあがってくるというのは虚偽でした。冬では湯上りが少し寒い思いがしたくらいです。確かに湯船の床は砂利ではありましたが。

湯殿の外観

懐かしいdiscoverJAPANのポスター

 

さて、肝心の温泉の泉質ですが、源泉の在り方(加水、加温、循環、消毒、適温、清掃)、のみにこだわって評価した小森威典著『5つ星源泉宿66』には選ばれてはいません。ぬるすぎるのですから加水は無いでしょうが、湯船への温泉の導き方に問題があるのではないかと思われます。謳い文句通り、地下から湧出した自噴泉なら、元来有名でもあることから選に外れることはなかったと思われます。温泉は途中で空気に触れると酸化してしまい効能が落ちてしまうそうです。

食事は部屋食でしたが、刺身が鯉とイトウであった他は、特徴のない平凡な料理が並べられ、まずは予想通りというところでした。

夕食

それにしてもあの開高健がオーパで追い求めた幻の巨大淡水魚イトウが出たのには驚きました。尋ねると、養殖とのことでしたが、今やイトウが養殖される時代なんですねえ。ちなみに味はこれって言うほどのものではありませんでしたが。

暖房の効きの悪い部屋でしたが、布団の中は暖かく朝まで熟睡し目覚めると雪が降っており、10?位新雪が積もっていました。

翌朝のツララ

お勘定を済ませ,帰る時に、駐車場まで坂道で100mくらいあるので、車寄せをしてくれるかと尋ねると、それは出来ないと言う。傘を貸してくれるかと頼むと、貸すから後でここまで返しに来いと言う。私が一人で車を取りに行き、当然のことながら車の雪かきは自分でして、玄関まで来て傘を返し、車を先の広場でUターンしようとすると、この先は進入禁止だから、バックして90度切り替えして向きを変えろと言う、もちろん誘導なんかしてはくれない。

まるで、玄関出たらあとは自分で勝手に帰れと言わんばかりの対応である。雪の坂道では危うく転びそうになったし、事実僕の前を歩いていた若い人でも転倒した。年寄ではすぐに脊椎骨折か大腿頸部骨折になりますよ。豪華な伊豆箱根の旅館ではないから車寄せをしてくれとまでは言わないが、雪の坂道には配慮が欲しかったし、雪の中でバックさせるなら、誘導位してもいいのではないかと思ったものだ。

日頃温厚な家人ですら“もう二度と来ない”とのたまわったほど。群馬県民に慣れ親しんでいる小生は、たじろぐこともなく、この前の尚文が例外中の例外なんだよ、と諭しましたよ。

さて私たちの評価、旅の情緒は合格だが、有名だから、ほっておいても客は来ると思っているような商売が目につき、二度目は無しか、というところ。食事はともかく、お湯は看板どおりに足元から湧くようにして欲しいですね。

雪の法師温泉

群馬向山温泉“尚文”に泊まる

温泉好きで旅館情報にアンテナを張っている方ならご存知と思いますが、“自遊人”という旅館の覆面ルポを得意にしている情報雑誌があります。

20年ほど前に美術系の学生が起業し、雑誌“自遊人”を発行するようになり、旅館の食材にこだわり始めるうちに、いいコメを探して販売する事業も始め、本社を東京から新潟の南魚沼市に移転したことで昨年ちょっと話題になった雑誌です。

その雑誌の2003年1月号に載っていた群馬県水上温泉から、少し奥に入った谷川岳のふもと近くにある向山温泉“尚文”という温泉旅館に1月の成人の日の連休に行ってきました。

入り口門

高崎からなら1時間弱という近さです。

説明によれば、野菜の生産者にもこだわるなど、食材を吟味した料理を出す家族経営の小さな宿とのことで、やぼったいが、変にこだわりを押し付けてくるうっとおしさが気になるかもと警戒しながらの訪問でしたが、意外に接遇はスマートでなかなか良い印象でした。

やぼったさはしっかりありはしましたが、それはそれで半端に洗練さを気取るより心地の良いものでした。

往き道の道路標識には三国峠00kmとありましたから、あの‘トンネルを越えると雪国だった’の雪の無い側なんだろうけど、温泉には積雪は1m位は楽にありましたよ。

予想したより近くて、チェックインの時間前に着いてしまったので、近場の名所を尋ね、藤原湖ダムを見物に行きました。

藤原湖ダム

藤原湖

冬のダムというのも、コンクリートに雪だけという荒涼とした景色でなかなかの迫力があるものですね。

尚文は、入り口の造りからして手作り感のする建物で、お迎えの仕方も営業色がなく、本の通りの印象でした。

温泉はアルカリ性単純泉で無味無臭で疲れないお湯でした。

温泉効能

お風呂は3か所で、すべて貸切制ですが、客室数が少ないせいか、どこかが空いており、入りたい時に入れなかったといいうことはありませんでした。

露天から見た景色

部屋にも露天風呂がついていましたが、いつものように使いませんでした。

部屋の露天風呂

お風呂に行く時には、昔の買い物籠のような竹籠にタオルを入れて持っていくシステムになっており、ちょうど私達が蓼科にいる時は大きな買い物かごに入浴セットを入れいつも車に積んでいるのと同じような趣向で、気遣いに感心しました。

お風呂用籠

部屋のテラス

湯船には30?四方の木片がいくつも浮かんでおり、それをかき分けてお湯に入る形になり、なぜそうなっているかは不明で、板に乗ってもうまく浮かばなかったので、多分湯が冷めるのを防ぐ工夫ではないかと勝手に推察しておきました。

当日は雪がしんしんと降り、目前の大木の枝が見る見る白くなり、湯船から日本画を愛でるような幸運にも恵まれました。

風呂上りは、自慢の水と利き酒がフリードリンクになっており、酒好きにはお得な気分で嬉しいのではないでしょうか。

食事は部屋食ではなく、厨房の近くに各部屋用の個室が用意されており、少ない人数で、タイミングよく料理をサービスするための工夫なんだろうと思いました。

さて肝心の料理ですが、野菜が主体の健康料理で、アンチョビの代わりに岩魚を使ったバーニャカウダも、野菜がいいだけに尚文ならではの一品になっていました。

夕食メニュー

本日の野菜の説明書き

バーニャカウダ

焼き野菜

シイタケ

群馬のお肉を焼く

岩魚の焼いたの

炊き込みご飯

 

どの料理も作り手の気持ちが伝わってくるようなメッセージ性のあるもので、次の皿を期待して待つ気にさせる満足感のある夕食でした。

ご飯もお米に拘った、自遊人が推薦するだけの内容でした。

部屋には布団が敷きっぱなしで、呼ばない限りは誰も来ないスタイルをとっており、昼寝をしたり、本を読んだり気ままに過ごすにはうってつけでした。

朝の帰る際には、車に積もった雪や、窓の凍った雪を払ってくれ、道路まで誘導してくれるなど、正月に行った大丸温泉では自分で窓の凍った雪落しに苦労したのと大違いで、その気遣いの完結さにすっかり感心しました。

今回は直前に決めたため、露天ぶろ付きの広い部屋しか空いておらず、料金も一流でしたが、廉価な部屋が取れるなら、春の新緑か、蛍が庭に舞う季節に再訪してもいいなというのが私達の“尚文”の評価でした。

なんと言っても最後の車へのサービスは印象深いものでした。

 

我が家の正月風景―新しいメンバーを迎えて

大寒も過ぎ、間もなく梅の便りも聞こえようかという時期になり、
今さらで恐縮ですが、我が家のお正月の話をします。

遅くなりましたが、皆様、新年明けましておめでとうございます。

皆様も良いお正月をお迎えたことと思います。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

今年の我が家の正月は、十数年ぶりに親子水入らずで過ごしました。

雑煮を食べるー三河風で

息子は大学生になってからは、毎年正月はバックパッカーで外国旅行に行くようになり、以来家にいたことがなかったのですが、なぜか今年は家に居り、かつ昨年は家族を一人連れてきたので今年は4人での正月になりました。

家人と二人の正月ですと、家人の神経細胞の脱分極が徐々に進み、
いずれ数日で閾値に達し、アクションポテンシャルとなり私に刺激(攻撃)が伝わってくるのですが、今年はうまくすれば避けられるかも、と期待が高まりました。

といっても別段例年より、きばってしたわけでもなく、例年と同じ様に、
ちょっとだけ正月モードにしただけです。

玄関のタイの壺にしめ飾りをかけ、門扉にはミニ門松を括りつけました。

門扉も正月モードで

玄関ホールも正月らしく

 

おせちは頑張るときは全部作ったりしたこともありましたが、
最近は年のせいか必要最小限で済ますようになってきました。

お祝いの3品

紅白なます

煮しめ

鬼がら焼き

何故か煮豚(得意料理」

なくてはならないー大好物のY氏から頂いた市田柿

 

今年は家人がこれだけは、と言って作ったものが数点のみで、
小生は姫リンゴのコンポートだけの担当でした。

姫リンゴのコンポート

お重は、出来合いのSサイズを買って済ませました。

一応金沢の有名店のものでしたが、見てくれだけでダメでしたね。

若い頃は、よく食べ歩いていたので、あちこちの料理屋のおせちを予約したものです。

一番印象深いのは、赤坂にあった京料理‘高橋’のおせちです。

もう20年近く前になろうかと思いますが、当時東京には、京都の板前割烹の元祖‘たん熊’育ちの料理人が3人おり、新橋の京味、赤坂の京富士と高橋の名前でやっていました。

京味の西氏が大先輩格で、今やミシュランの☆を超える店として、
予約の取れない超有名店になってしまいました。

京富士は銀座に移り、高橋は消えてしまいました。

高橋は、当時の人気テレビ番組,“料理の鉄人“で和の鉄人を破りましたが、驕ることもなく、格安の値段で淡々と正統京料理を作っていましたね。(ただし、何故か京都だけは二度と戻りたくないと始終言っていましたが。)

気まぐれで、六本木に五合庵という蕎麦屋を出店し上手くいき、蕎麦屋は儲かるし面白いといって、どこよりも料理のうまい粋な蕎麦屋を二人で出そうかと、話が弾み煮詰まってきた時に、突然に文字通り蒸発して消えてしまいました。

それからは京味のおせちをしばらく買っていましたが、京味フアンの方には申し上げにくいが、ことおせちに関しては、高橋が数等優っていましたよ。(桐製のお重は京味の方が粋でしたが、仕事はどだい迫力が違いましたね。)

31日におせちを店に取りに行くと、高橋氏は、暖房を切って冷蔵庫代わりにした店で、小上がりに、精根尽き果てて、ダウンを着たままで、ぶっ倒れていたものです。

当時の職人は気概がありましたねえ。

どんな事情があって突然消えたのかは知らないけど、命あるなら、もうそろそろ出ておいでよ。

なんなら群馬にかくまってあげるから、またあの料理を食べさせてよ。

確かに群馬県人には、あなたの味は分かってもらえないかもしれないけど、何事も時間だから、そのうちには群馬人の味覚も育つと思いますよ。

なんせ伝説の寿司職人、喜久好の清水喜久雄氏は群馬の出身と言っていましたから、捨てたものではないかもです。

さて、正月の3,4日に、息子夫婦の提案で急に温泉に行くことになり、
那須の大丸温泉に四人で行きました。

自分たちは暮れの一週間を沖縄で過ごしてきたので、気が引けたのかも知れませんが、親は子供孝行のつもりで付き合いましたよ。

急なことで、4人で一部屋の、まるで学生の合宿のような旅行になりました。

料理は山宿のこと故、見るべきものはありませんでしたが、そこかしこに料理人の頑張りが見えて、いじらしくも微笑ましい味わいあるものでした。

温泉は、川が温泉になっており、又は、温泉が川になっており、それをせき止めて露天風呂にしてある文句なしのかけ流しで、お湯は硫黄ではなく単純泉の軟泉で、雪の中でも温まる湯加減も最高のお湯でした。

大丸温泉

川を堰 止めた露天風呂

温泉が滝のように流れて

24時間入れます

内風呂もなかなかなものでした

 

食事が済むと、布団があちこちを向いて敷かれていてびっくりしましたが、かろうじて残された炬燵で、風呂上がりに、持参した生ハムとチーズとワインで、ささやかな二次会をやり、親子の親睦はいやでも深まり、実にいい旅行になりました。

帰りは雪が降りしきる山道でしたが、買い替えたばかりのカイエンのスタッドレスは頼もしく、老兵は育爺(イクジイ)を夢見つつ、徒に助手席でただ惰眠をむさぼるばかりでした。

我が家の庭の秋?―イロハもみじとケヤキ

我が家の北側の庭は、お隣の家の大きなケヤキとお向の東電のグランドの桜を借景に、雑木林をイメージしてデザインし、コナラやイロハもみじを無造作に植えてみました。

足元は陽が当たらないのでシェードガーデンのようにホスタ、フキ、ヤブランなどを植え、短いながらも石畳の小道を作り、道端に自然に湧水が湧いて水溜りが出来ているかのように造作してあります。

またいくつかの石仏を配し、足元灯はアイアン作家の松岡信夫さんに作成してもらい、完成直後は東京の住宅地にあるとは思えないような鬱蒼とした雑木林の雰囲気が出せ、かなり満足のいく出来栄えになりました。

しかしながら、借景の大きな木が災いして、その陰になって陽当りが悪すぎて、背丈の低い木が中々生着せず次々に枯れてしまい無残な結果になってしまいました。

僕の背丈程のどうだんツツジはバランス上必須なのですが、3回植え直しても結局枯れてしまい、生き物を相手にする難しさに直面しました。

これは丁度、形成外科の手術と同じで、組織は好き勝手に切り刻んで移植しても生着せず、手術は失敗するわけで、常に組織に血行がいかに上手く循環するかを慎重に計算しながら移植しなければならないように、植物も光合成がうまく行われ、水分が上手く循環し生体系が維持されなければ同様に死んでしまうのは当然なわけです。

うちの庭師さんは木が枯れれば簡単に切ってしまいますが、代わりのアイデアを出すわけでもなく、そのまま放置したままです。

人気の、引っ張りだこの庭師さんも困りもので、新規に庭を作る仕事ばかりに手を取られ、メンテナンスが手薄になってしまうようです。

『自分が手塩にかけた庭が荒れ放題でも気にならないの?』『釣れた魚には餌をやらないのと同じ?』と嫌味のいくつかを言ってもなかなか動いてはくれません。

庭というものは、普通の売り買いのような付き合い方(かかった費用だけを払うような)では維持できないものなのかもしれませんが、今時そんなパトロンになるようなお大尽があちこちにいるんでしょうかねえ。

そんな訳で、仕方ないので今は、勤務先病院のイングリッシュガーデンの草花を世話しているガーデナー婦人に頼んで、草花で格好をつけようかと計画しています。

さてさてどうなることやら。

そんな荒れ放題の庭ですが、それでも秋になれば紅葉し、庭には落ち葉が絨毯のように敷きしめられます。それを写真に撮ってみました。


大きなケヤキを背にしたモミジなどの紅葉です。

 


紅葉したイロハモミジ

 


石畳の小道に湧水が湧いています。

 


落ち葉で隠れてしまった小道。

 

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石仏など、時期は春。

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