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紅.葉の修善寺温泉旅行?名旅館の心遣いを堪能する

11月の勤労感謝の日の連休に、修善寺に友人のY氏夫妻と1泊旅行に行ってきました。

これは8月に計画を立て、楽しみにしていた久方ぶりの旅行です。

ホスピタリティの良さと料理のうまさで評判の‘あさば’へ連れ立って5回目の宿泊です。

各々が別仕立てで行くこともありますので、まあかなりの回数通っていることになります。

あさばのご主人が、僕の友人の親友の大学の茶道部の後輩というご縁で、紹介して頂いて以来、すっかり近しい関係になり、まるで定宿のような感覚で行くようになりました。

日本の名旅館で常に最上位にランクインする宿をそんな風に使わせていただくのは分に余る振る舞いですが、人生には、たまには神の粋な差配があるものと勝手に考えて、その至福の時を享受しています。

友人とは、チェックインの1時間位前に、あさばの玄関で待ち合わせ、
車と手荷物を預け、

あさばの玄関

Y氏のアウディR8

近くの蕎麦屋‘朴念仁’に行って、まずは2時間のドライブの疲れを取りながら一杯やるのがお約束です。

蕎麦屋、朴念仁

修善寺は、ちょうど紅葉の真っ盛りで、修善寺川から修善寺境内を散策して紅葉を満喫しました。

途中で蜂蜜やさんを覗いて、試食するのもお決まりのコースです。

修善寺川

修善寺

修善寺庭園

蜂蜜屋の店内

近くの蕎麦屋の自虐ギャグ看板

宿に戻ると、お風呂に入って、あとは期待の晩御飯を待ちます。

食事は別部屋が用意されて、一緒にとれるような段取りにしてくれています。

食事の内容はまたグルマンライフに載せますので、省きますが、
今回はY氏がボルドーの至宝シャトーラトゥールを抜くという粋な計らいで、宿泊代のバランスを取ってくれました。

実は私達は、いろいろ注文を付けながらも、今回は一番廉価な部屋を
予約していたのです。

Y氏夫妻は、いつもは庭に面した離れの広い部屋がお気に入りなのですが、私達が、部屋風呂がついていても一度も利用した事がないので、
もったいないからと言って、無理やり今回の部屋風呂無しの部屋に付き合って頂いた経緯があったのです。

あさばの能舞台

露天風呂

夜の幻想的な能舞台

 

結論から言うと、私たちはこの部屋で十分というのが本音でした。

食事は同じですし、同じ費用を使うなら2度来たほうがコスパもずっといいのではないかという貧乏育ちが身に着いた了見なのです。

所で名旅館はハードウエアもさることながら、もてなしの心遣いに、
その真髄が現れます。

つまり、“あったらいいな!”あるいは“え、そこまでするの!”という感動が、どこまで満たされるかが勝負だと思うのです。

あさばの心遣いの一端を紹介しますと、露天風呂に置いてあるバスタオルは温蔵庫に入れて温めてあります。

バスタオルの温蔵庫

冬場は特にありがたいです。(下足の靴はもちろんの事です。)

また、浴衣は各人、柄違いで2着づつと、パジャマが別に備えられています。

浴衣2枚とパジャマのラック

希望すればサイズの追加は自由です。

内風呂の洗い場にはガラスの仕切りがつけてあり人目と、隣のしぶきが防げるように配慮されています。

内風呂の洗い場にはガラスの仕切りが

朝、布団を上げる時間に、まだ残しておくかと尋ねられ、一組を希望すると真新しいシーツに替えてありました。

またルームキーも2個あり、風呂上りに待ち合わせる必要が無くなります。

これらの心遣いも、よその真似では無く、オリジナルで始めたと思わせる(多分そうでしょうが)ところが素晴らしいのです。(但し、ルームキー2個は那須の二期クラブの方が先でしたが。)

ただ、残念だったのは、仲居さんが大幅に入れ替わり、従来のさりげないが、そつのないしっとりとしたサービスが追い付いていないところが目についたことでした。

若女将のさらなる精進と奮闘を期待するところです。

このままでは、器作って魂入らずの、あの破竹の勢いの☆のリゾートと同じになってしまいますよ。

翌朝は名物の朝ご飯をしっかり食べて、サロンでコーヒーをいただき、
小雨煙る中を出発して熱海のMOA美術館に立ち寄りました。

MOA美術館の庭

今回は日本の古陶器展を開催しており、日本の代表的な古窯が私たちの出身地の近くにいくつもあるのを知って、なぜだかちょっと誇らしげに思えて嬉しくなったりしました。

Y氏も同じ愛知県の出身です。

そのあとは、隣の伊豆山にあるローストビーフの店“伊豆花”で遅い昼食です。

ローストビーフの伊豆花

伊豆花レセプション

 

ここは初島を眼下に、相模湾を一望する絶好のロケーションで、食事の前にまずはその景観で圧倒させてくれます。

今回はあいにくの雨天で写真でお見せできず残念です。

味は‘ローストビーフの鎌倉山’を引き継いでおり、僕の作るローストビーフのお手本になっています。

この店は紀尾井町の美容室イエスジョージさんが奥方に任せて始めた店で、今はご子息夫妻が引き継いでやっておられます。

ジョージさんのユニークなお店もそのうち紹介したいと思います。

ここでY氏夫妻とはお別れし、一路帰途につき、1泊2日の温泉旅行は
大満足のうちに幕となりました。

蓼科の冬支度?八ヶ岳はもう晩秋

11月の3,4日の連休に蓼科の山荘の冬支度に行ってきました。

11月中旬になると,氷結する恐れがあるので、水回りの水抜きをし、
ストーブの石油の準備をしておかないと、気まぐれで雪が降ってから行ったときに使えないからです。

家人も仕事をしているので、彼女は長野新幹線で、私は高崎から車で
出かけ、金曜日の夜8時40分に佐久平駅で待ち合わせて山荘に着いたのは10時前でした。

蓼科は部屋の中でも吐く息が白くなるほどで、気温は1,2度という冷え込みでした。

私はさっそく炬燵に入りこんで、こんにゃく玉で熱燗を1本やりました。

こんにゃく玉で熱燗


その夜は簡単に掃除をし、家風呂に入りもうお休みです。

翌朝は快晴で、午前中は屋根の工事の打ち合わせをし、午後は近くの
紅葉を散策に出かけました。

山荘は標高1600mの所にあるので、紅葉は10月中旬がピークで、

紅葉の山荘の庭2005年

今はもうカラ松の葉が風で舞うばかりの状態でしたが、

枯葉の山荘

少し下がれば、周辺にはまだ真っ赤な紅葉が所々残っており、

紅葉の残り

深紅の紅葉かと思いきや、実でした。

 

山々のすそ野は錦繍とまでは行きませんが、それでも紅葉の名残があり、八ヶ岳連邦が一気に冬に向かう中、秋の残り香を感じることが出来ました。

カラ松林が陽に映えて

カラ松の紅葉

八ヶ岳のすそ野が秋

 

秋の山荘の夜は囲炉裏の火が主役です。

マキを少し燃やすだけでも、業務用大型石油ストーブ1台に匹敵する位の暖房効果があります。

中学の理科で習った赤外線の輻射熱効果というものは本当にたいしたものです。

囲炉裏が主役

まきを燃やして


昔の人が極寒の中で粗末な小屋でも囲炉裏一つで過ごせたことや、
西部劇で見るカウボーイが焚火の残り火を囲んで寝ているのも、囲炉裏を経験すると良く理解出来ます。

翌々日の帰途の道は、立科から佐久布田、春日の里に抜ける大河原峠を越えることにしました。

途中に蓼科山山頂にある蓼科神社の鳥居がありました。

富士山をはじめ,山岳信仰の山は必ず正式な登山道は鳥居をくぐって始まります。

蓼科神社鳥居が登山道出発点

つまり登山道は参道にあたるわけです。

蓼科山もいくつもの登山道がありますが、ここ北側ルートは出発点が、
すでに7合目に位置し、2時間も歩けば頂上です。

もっとも山登りの経験のない家人に言わせれば、2時間も山道を登るなんて、現代人の脚にはもともと無理なことで、してはいけない行動であり、
昨今の山ガールのブームは心底信じられないとのことでしたが。

大河原峠は標高2093mで、

大河原峠

眺望も良く、浅間山連峰や、遠く北アルプスの白い稜線も遠望できました。

浅間連峰遠望

北アルプス遠望

 

峠を佐久側に降りると望月町春日温泉の里があります。

そこには温泉や春日渓谷の紅葉もさることながら、遠くに聞こえた蕎麦屋があり、実は今回のルートの真の狙いは、そこにありました。

職人館という奇妙な名前の蕎麦屋は、結論から言うと、驚愕の発見で、
身近にもまだまだ知らぬ名店の存在すること、自分の見識の浅さ、探究心の未熟さを思い知らされたというほどの名店でした。

この蕎麦屋、職人館の食事についてはグルマンライフに譲りますので、
またそちらをご覧下さい。

あわただしい蓼科行でしたが、お蔭でさまで、リフレッシュでき、充実した休みになりました。

温泉から我が家が見えるー高崎観音山温泉

上毛新聞という群馬県の地方紙が出している『ぐんまの源泉一軒宿』という上質なガイドブックがある。

地方紙ならではの地元に密着したきめ細かい取材に基ずくもので、
山とか滝とか、色々なシリーズがあるようだ。

その「源泉一軒宿」に載っていた高崎観音山温泉、錦山荘に日帰り入浴に行ってみた。

家からわずか3kmの近さである。

高崎観音のイメージがあってあまり期待はしていなかったが、
どっこい、なかなか風情のあるいい温泉宿でした。

案内によると、大正初期の開湯で、かっては公衆浴場だったのが、
昭和の初めに高級料理旅館になり、高崎の奥座敷として著名人に利用されていたそうである。

20年ほど前に改築され今の形になったそうである。

道を折れ、観音山の麓を突き刺すように入って行くと既に深山幽谷の
雰囲気である。

車を停め、石段を上ると大きな提灯が下がった玄関がある。

玄関

帳場で一人650円を払うと、3時間の入浴券をくれる。

 

階段登り口

 

旧い煤けた回廊になった階段を上がって行くと、風呂場がある。
建物の一番高い所にあたり、展望風呂の仕掛けになっている。

錦山荘全景

風呂場から高崎市街を望む

 

 

風呂場は、太い丸太で櫓が組まれた風情のある作りになっており、
10人位で一杯になりそうな大きさである。

展望風呂

風呂場の梁

 

お湯は泉温18.5度、泉質はメタけい酸含有とある。
加水、加温あり循環ろ過で、普通なら絶対行かないレベルのお湯である。

普段、私は源泉掛け流しが、温泉選考の最低条件になっている。

しかし家からたった3km、風呂場から自宅が遠望できる近さである。

少し拡大した我が家の建物

部屋も見える

 

さらに、建物の周りは落葉樹の森であり、きっと秋は錦繍になることから
錦山荘の名も由来しているのだろう。

環境眺望は箱根の強羅に劣らない程である(少し過大評価かもしれない。最近地元贔屓になってますので。)

 

風呂から見える柿の実

よく見れば、柿の実も色付いてました。

 

ちゃんと、お土産も買いましたよ。
旅館手製の田楽味噌。

群馬特産のこんにゃくを帰り道で買い、帰ったら早速味噌田楽を作り
食べましたが、これは大当たりでした。

特産味噌田楽

太鼓判のお勧めです。

 

高崎市タワー美術館

高崎駅東口を出ると日本一の家電量販店ヤマダ電機の本社ビルの威容が眩しい。

それに対峙するかのように高崎市タワー美術館があります。

 

ここは東京の広尾に移った山種美術館の系列で、基本的に山種の企画が巡回して来るので、日本美術では非常にハイレベルな展示をします。

[高崎市美術館に引き続き、またもや高崎市の文化度の高さを見直しました。]催事については垂れ幕が下がっており、遠くからもよく分かります。

6月30日から9月30日までは陶芸家の濱田庄司展をやっていました。

近いからいつでも行けると思うと、結局見逃すものですが、今回はぎりぎりの日曜の夕方に行きました。

招待券を持参したのですが、受け付けに65歳以上は無料とあり、これからは出入り自由と分かり、高崎市はやはり偉いと感じ入りました。

東京都も都民の税金で尖閣列島なんか買おうとするのではなく、税の余力(取り過ぎ]があるなら広く都民の文化の普及に使って欲しいものです。

知事の個人的な政治的信条に都民の税金を使うなんて、公私混同も甚だしくないか、やるんなら個人のお金でやれば、「どうぞお好きにすれば」、の話で済みますが。こんな(傲慢)体質だから、裏取引で身内への利益誘導を疑われても[週刊朝日9月21日号]仕方ないだろう。

前の東京オリンピック誘致活動費の疑惑もあったし。

最も個人心理学の創始者アドラーによれば、善い悪い、好き嫌いは決定論的に初めに自分の心のなかでは決めてあり、理由は後から都合のよい事を見つけて理屈を付けているだけだという。

そうとすれば、私はただ単に、石原親子が嫌いなだけになるが、それはそれで、外れてはいない、虫が好かないのは事実だからだ。

一方、濱田庄司は理屈抜きで好きで、益子の益子参考館、駒場の日本民芸館、倉敷民芸館、などに足を運んでいます。

10年以上前に栃木県立美術館でも特別企画があり,見に行った記憶があります。

その折、駅から向かうバスで財布を落とした悔しい思い出もあります。

濱田庄司から僕が連想する言葉は、益子、流し描き、サトウキビの絵付け、茅葺き屋根の古民家、民芸、柳宗悦、河井寛次朗、バーナードリーチ、英国スリップウエア、田舎者を思わせる風貌と丸メガネにもんぺ姿、実はダンディなモダニスト、新宿の「とんかつや」、飛騨高山の料理店「寿々や」といったところでしょうか。

京都の河井寛次朗記念館

 

最近、色んなテレビ番組に出て、やたら何にでも詳しく、したり顔でだみ声で解説してみせる、(悪意で見れば、薄い知識を台本の付け焼刃で100倍にも膨らまして見せる)山田某0朗氏の様にはなりたくないので、解説本やネットで調べたような蘊蓄は述べませんが、濱田庄司に関わる個人的な思いをお話します。

まず今回の展示ですが、あの色んな意味で有名になった安宅コレクションを元に作った大阪東洋陶磁器美術館の中の堀尾幹雄コレクションを中心に展示されているものでした。

という訳で、コレクションの主体が茶碗であり、濱田らしい豪快な大皿は余りありませんでした。

濱田窯の作品(私物)

 

日本民芸館でいつも圧倒される、あの不思議なエネルギーをもらうには少々迫力不足であったというのが正直なところです。

それでも大判の角皿は目を見張る作品が幾つも並んでいました。

濱田の作品は,指描き、流描きに代表される、感覚だけで一気に絵付けをする豪快さにあるように見え、それがまた大きな魅力でもありますが、実は彼は現東工大出のインテリで特に釉薬にかけては化学的な研究に基づいた緻密な計算があるといわれています。

そのせいか、彼の作品は細部まできちんと計算された彼らしいprincipleが手を抜くことなく表れています。

英語が達者で、バーナードリーチと英国での作陶やスリップウエアの研究、民芸の国際展での活動でも知られています。

?宗悦の民芸運動は白樺派のお金持ちの道楽のようにも見えますが、柳の選んだ作品は、悔しくとも、どれもが共通して僕の心を打つものがあります。

小鹿田焼き(私物)

心のどこの琴線に触れるのか分かりませんが、好きで持っている沖縄の壺屋焼きも、いつか出雲の玉造温泉に行った時、タクシーの窓から偶然見つけて飛び込んだ温泉窯の陶器も、それが民芸に関わるものであることを知ったのはかなり後になってからのことでした。

壺や焼き(私物)

壺屋焼き扁壺金城作(私物)

温泉焼(私物)

 

沖縄の紅方も静岡の芹沢銈輔の染色も同様です。

学生時代に、美術大学の助手をしていた女友達が連れて行ってくれた新宿靖国通り沿いの歌舞伎町の入り口にあった、とんかつ屋(名前は忘れました。]の器が全部益子焼でインテリアも装飾品も民芸調のもの(今思えば濱田の大皿があったかも)で、初めて民芸というものに触れた感動は後々まで私の美的感覚に大きな影響を与えました。

同じ頃、飛騨高山の近くに親の小さな山荘があったこともあり、夏休みになると高山まで遊びに行ったものですが、そこで見つけた郷土料理店「寿々や」は正に民芸を飛騨高山風に洗練させた雰囲気の店で、高山ならではの料理も良かったが、そこの若女将(お嬢さん)が、嵯峨美智子(最近亡くなった山田五十鈴の娘で、若くして夭折した)の妖艶さと吉永小百合の気品を(すみません、良い例えが浮かびません、僕より古い人は原節子という所でしょうが)合わせたような和服の似合う超絶美人で、その雰囲気に触れたくて毎年よく通いました。(彼女は、その後の私の人生における、女性の理想像の一つのモデルになりました。)

ところがある年の夏、彼女が忽然と消えてしまいました。

私は傷心の果て、それ以降は足が遠のいてしまいましたが、後日談として、彼女は東京青山の骨董通りの古美術商に見染められ結婚したと聞きました。

そのまた後日談として、10年ほど前、骨董通りのその店Mを探しあて、知らぬ顔して訪れた事があります。

その結果は?今ここでお話する勇気はありません。

古より万人が言うとうりで、やはり行かなければ良かった、、、。

なお高山には同名の店は現存しますが、全く非なるものです。[寿々やさん、ごめんなさい]。

濱田庄司から青二才の恋心へと、なぜ話が繋がるんだと、いぶかる方もおられるでしょうが、青春時代とは脈絡に論理性は欠けるものだとお許し願いたい。

最後に弟子であった島岡達三のエッセイから。

島岡は、今は人間国宝になった陶芸家ですが、濱田曰く「島岡は結果が見え過ぎて安全な道ばかり選びすぎる。もっと冒険をしなければ行けない。」「どんな良い陶工になるかと思ったが案外だったな」「陶工の中で人柄も良く作る物も素晴らしいのが最上で、とても嫌な奴だが良いものを作ると言うのが二番目で、人柄は良いが作品はどうもというのが続き、最低は人も作品も駄目ということになる。島岡は何番目かな」と言われたそうである。

若い形成外科医の諸君には肝に銘じてほしいものです。

私自身は一番目だろうと妄想していますが、巷では二番目か四番目という噂らしい。

最も、二番目というのも私の幻聴かも知れません。

濱田は文化勲章をもらった誰もが認める陶芸家、芸術家ですが、好んで陶工と呼ぶ所に、その人間性、心意気が伝わってきます。

彼は美のモダニストとも「生活そのものが芸術」であったと呼ばれるような、私から見れば自律機能をフル回転させた理想的な人生を送りました。

因みに、私はバーナードリーチの繊細な哲学的で詩人の様な作品も、劣らず大好きです。

初秋の蓼科

9月の22、23日の連休に蓼科にまた行ってきました。

山の秋にはまだ早く、かといって夏の気配はもうどこにもなく、
季節の変わり目というものを肌で感じるものになりました。

そんな風景を幾つか載せますので、山の秋の始まりを感じて下さい。

コスモス街道

ススキ街道

池のクルミ

初秋の女神湖

 

山荘も秋を待つ佇まいです。

秋の訪れを待つ雰囲気です

月見台から、夏の勢いはありません

ススキを置いてみました

 

屋外でピクニックランチをとるにはこの季節が絶好です。
暑くもなく、寒くもなく、風が頬に心地よいのは、6月の梅雨入り前と
秋雨の降る前のごく限られた短い時期だけです。

ピクニックバスケットを広げて準備

そこで長門牧場(第一)の雨飾峠に出向き、
ピクニック気分を楽しみました。

昔、無理をして探し求めた英国製のピクニックバスケットを持ち出して。

 

 

パン、ジャム、ハム、アスパラ、ヨーグルト、紅茶のランチ

準備が間に合わず、ランチの内容はさびしいものでしたが、バスケットのセットにはワイングラスも付いており、美味しいサンドウイッチでもあれば最高ですね。

 

 

食後のお昼寝

 

 

 

 

毛布を敷いてランチを食べるのは場所を選ばず楽しいものですが、
中でも最高の場所の一つは間違いなく、箱根のピクニックガーデンです。

周りを大きな落葉樹に囲まれた、広い芝の広場が、芦ノ湖に向かって落ちていくかのようになだらかな斜面を形成し、眼前の真正面には富士山が堂々と鎮座して見えます。

息子が小さい頃は好きでよく連れて行きましたが、最近は行っていないので、今はどうなっているか保証はできませんが、もしまだあの状態であるのなら、そこに再び行くために、今から又子供を作ってもいいと思うくらい素敵でお薦め出来ます。

今回はランチの後、霧ヶ峰にある池のクルミという湿原を見ながら、諏訪の町に下りてみました。

諏訪大社などの名所はパスして、片倉館という古い大きな公衆浴場に行って来ました。その謂われは写真にありますから興味がおありの方は、拡大して読んでみてください。

建物も浴場も大正ロマンの建築を思わせる立派なものです。

浴場内も盗撮して来ました。

片倉館

説明書き

千人風呂

ステンドグラス

レリーフ

レリーフ

旧き良き時代と言われる頃は、ここまでして、会社の従業員[女工さん達]や市民を癒そうとした経営者がいたらしいのです。

最近の様に少しでも景気が傾くと、まず従業員の首切りから始める世相とはだいぶ違いますねえ。

 

ロールケーキやさん

白樺湖への帰り道に、具合よく、前にお話した私の認める日本一のロールケーキやさんがあり、当然立ち寄りました。

 

ロールケーキの箱

今度は看板も撮ってきましたので、是非ご参照下さい。旧道20号線沿いにあります。

 

 

途中でススキを採り、その晩は月見でもと洒落こもうとしたのですが、

生憎衣かずきも月見団子も手に入らず、

結局、好物の鶏肝と鶏皮を甘辛に煮込んだものをあてにして晩酌をし、

鹿け湯温泉で採れたという信州産の初物の松茸を手にいれたので、

我が家風すき焼きをしました。

こちらの作り方はグルマンライフに載せますので又ご覧ください。

晩酌は鶏肝の煮つけと柿の葉寿司で

信州産初物松茸

 

 

蓼科の夏休み

8月の上旬に夏休みを取り、3泊4日で蓼科に行ってきました。

お盆は、周辺の別荘にも人が多く来て、カラオケを夜遅くまでやったり、朝早くから
草刈り機のエンジン音を立てるような人々もいるので、なるべく彼らと会わない様に時期をずらせて出掛けます。

今回は行きがけに軽井沢に寄ってみることにしました。
行くといっても万平ホテル位しかありませんが、今回は喫茶で新発見をしました。
もちろん御存じの方は今さらなのでしょうが、ここのかき氷とロールケーキは
大変美味しいです。

かき氷は『赤坂とらや』の“宇治金時クリームかけ白玉付き”に尽きると思っていたのですが、万平のブルーベリー、ラズベリーのソースがかかったべリーベリー氷もなかなかのもので、氷の底の真ん中にラズベリーがどっさり隠してあり、それを発見する
喜びは、とらやのアズキ餡が隠れているのと同じ趣向ですね。

ロールケーキはスポンジが黄色みがかっていて、前にお話しした茅野の卵やさんのロールケーキによく似ていました。
個人的な好みですが、スポンジの白いのは概して駄目ですね。
ということで、今年の夏休みは出だし好調でした。

ベリーベリー氷

万平ホテルのロールケーキ

万平ホテルの苔庭

 

今年は梅雨明けも早く、夏らしい猛暑が続いていますが、蓼科も夏らしいカラッとした日が続き、山荘も夏用に模様替えです。

囲炉裏の上にバリのテーブル(糸巻き台だとか言って青山のイデー(岡本太郎美術館の傍)で売っていたもの。その後バリの家具ブームが来たら、他の店では1/10の価格で売っていた。余りに人を嘗めた商売をするものだと思い、それからイデーには行かなくなった。しばらくしてイデーは、青山からどこかに移転して行きましたよ。目利きと言えばそれまでだけど、アフリカ民芸も一時ブームがあったが、こちらは下北のカンカンが独占的に物を買い集めてしまっているため、値崩れが起きなかった。)を置いて、庭のテラスはテーブルの覆いを取り、デッキチェアを置き、パラソルを立て、夏バージョンにします。

バリのテーブルが重く、実は大変な重労働なんですが、この使用期間は数週間の事(つまり実質一回の使用のみ)で、8月の下旬ともなると山は秋の気配で、いろりの火が恋しくなります。

夏の山荘

夏のデッキ

夏の月見台

囲炉裏にバリのテーブルを乗せる

こちらでの生活の平均的なパターンは、朝起きると、朝食の準備をしながら、昼食用のおにぎりを作っておき、午前中はどこか近辺に出掛け、おにぎりを食べて帰ってきます。

午後は昼寝をし、夕飯をはさんで読書をする事が多いです。
今回はあの白熱教室で有名なマイケル・サンデルの“それをお金で買いますか”を読了しました。あと精神科の本を形だけ少々。

お出かけは、車山のコロボックルと蓼科温泉のホテルハイジ、それとケーブルで南横岳に登りました。

車山湿原と蝶蝶深山の夏

夏の女神湖

 

のはらあざみ

車山の夏花さわぎく

カワラなでしこ

名前不詳

 

こけもものゼリー

今回の○N印の名物はそこで見つけた「こけもものゼリー」。これは、その透明感のある茜色にも増して、何とも言えないせつない味わいです。

コケモモは諏訪地方では、かねてより薬用効果があるとされており、幼い少年が病気の母の為に車山湿原にこけももを取りに行き、霧が出て道に迷い、日が暮れて遭難しかかり、コロボックルの手塚さんに救われる話を、つい思い出してしまうからです。
少年は暖かい味噌汁を一杯飲むと、母が心配すると言って山を下りていったそうな。

 

銘酒木曽の中乗りさんと新酒器

今回の○N印の器はジョージさん(紀尾井町の美容室イエス・ジョージ)の所で求めた急須を酒器にして木曽のキレのいいお酒を楽しみました。

 

 

夏の定番BBQは、家人と二人きりでしたので、飛騨コンロをテーブルの上においての簡単なものにしました。

肉はローストビーフを焼くつもりでしたが、700gでは形状がステーキを超えず、結局半端なものになりました。

ロース肉700g

ローストビーフ

飛騨コンロで地産シイタケを焼く

 

テーブル上の綺麗な絵皿はヴィラデストの自称ライフスタイル評論家、エッセイスト玉村豊雄氏のよるもので、購入当初は希少性もあり、かなり気に入って使っていましたが、今やあちこちに出回り、なんと万平ホテルのお土産コーナーにも氏の絵付けのコーヒーカップがありましたよ。

1玉村氏の絵皿

2玉村氏の絵皿

3玉村氏の絵皿

 

玉村豊雄氏はパリ留学中に、彼の“パリ雑学ノート”には大変お世話になり、また“料理の四面体”では、料理に科学的思考が有効であることを教わり、また風貌が私と似ている?こともあり、余りポピュラーに、スノッブになって欲しくない気持ちもあり、お土産用品とはちょっと複雑な思いがしました。

ホテルハイジ

ホテルハイジは私達にはちょっと似つかわしくないメルヘンチックなホテルで、広い芝の庭の大きな白樺の古木が見事で、それを見ながらお茶を飲むのが気に入っています。

 

 

私の蓼科お気に入りスポット、ベスト3は、車山のコロボックルヒュッテ、蕎麦のしもさか、ホテルハイジの庭です。

もちろん、番外には私の山荘が入ります。

蓼科の初夏

初夏と言っても、7月の海の日の連休のことですから、暦の上では十分に夏ですが、梅雨明けの前で、蓼科はまだヒンヤリとしますので初夏ということで。

今回は中央道諏訪インターからビーナスラインのルートでした。

わざわざ遠回りしたのは前回、茅野に「たまごやさんのロールケーキ」を見つけたからです。小さな看板に惹かれて行ってみたら大金星。スポンジが今までに経験したことのない美味しさ。お店の場所は、インターを出て直進し、突き当ったら左折してすぐ、右側のGSの隣。

これはお勧めです。

5月の連休以来、今年2度目の訪問。
6月の末だと新緑と蓮華つつじが見事ですが、この時期は夏に入り、ようやく霧ヶ峰のニッコウキスゲが咲き始める頃になります。

我が家の白樺も真緑の葉をつけています。

都ならぬ高崎忘れ?

5月の写真と見比べていただくと違いがよく分かります。
心配した萱の屋根も無事残っており、山は緑に覆われすっかり夏景色です。
庭のテラスに行く道も笹に覆われ、草刈りがいるのですが、今回は何もしないという約束でしたので、放置。

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7月上旬の山荘風景

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山荘入口

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月見台からの白樺の木

 

ニッコウキスゲ

霧が峯の探索と、日帰り温泉のみで楽しみました。

車山肩の駐車場はもはや、ニッコウキスゲ目当ての観光客で満杯で入れず、したがってコロボックルヒュッテも断念し、霧ヶ峰の強清水に行きました。

 

未だ三分咲きの群生

狙い通り、そこの穴場のスポットでは駐車でき、ニッコウキスゲも見ることが出来ました。
全盛期の3割程度の咲き具合でしょうか。

 

電流が流れているフェンス

お花畑に入らないように、ワイヤーのフェンスが巡らされているのですが、なんと、これに電流が通っていました。
写真を撮ろうと腕が触れたらビリビリしました。
近くに「通電中、注意」とありましたから間違いありません。

 

この事態をどのように解釈すればいいのでしょう?帰りに、昼食は「しもさか」で蕎麦を食べ(ここはグルマンライフに記載)、プール平の滝の湯ホテルで日帰りの湯を楽しみました。

滝の湯露天風呂

八ヶ岳全域のお風呂は多分全部制覇していると思いますが、大きな施設のお風呂では滝の湯が一番と思います。
蓼科周辺には秘湯の湯もあちこちにあり、それはそれでよいのですが、滝の湯は清潔感があり、ホテルの対応がとても良いのです。

夕飯は家で、アスパラガスのソテーは、温泉卵を失敗しました。(一つは茹で不足、も一つは茹で過ぎ)昔読んだ作り方は忘れていました。(確か沸騰した中へ入れて6分であったような記憶が、、、) 僕の料理入門書は2冊、一つは壇一夫の「壇流クッキング」でーこれは壇一夫の著書の中で最高傑作と思います。もう一つは映画評論家?だった荻昌弘の「男のだいどこ」で、これにはレシピというよりどこに旨いものがあるか、その見つけ方を教わりました。その中で京都の大市のすっぽんも、いずうの鯖寿司も今回の瓢亭卵も知りました。そんな40年も前の記憶で作ろうと思っても所詮無理でした。(今は両方とも文庫本になっていますよ。)あとはサラダと、豚のスペアリブローストでした。一番おいしかったのは、朝採れトウモロコシの湯でたのでした(これは家内作)。残念。

アスパラガスのソテー

高原野菜グリーンサラダ

豚スペアリブのロースト

朝採りコーンの湯でたの


長門牧場

帰りは女神湖経由で佐久平インターから上信越道で高崎へ。
途中長門牧場のソフトクリームもお約束です。

ここの売店は、今でこそ大きな立派な建物になっていますが、数年前、いやもう10年位になるかも、お店は牛小屋の一部をそれ様にあてがった様なバラックに近いものでした。

牛の糞の臭いが漂う中で、全くミスマッチな旨いパンと、ボルシチ、ソフトクリームを売っていました。
床も砂利でしたよ。それでも知る人ぞ知るで、パンは余程運が良くないとなかなかありつけませんでした。
今は観光バスも来るような立科の観光名所になっています。
ちょうど山の反対側の蓼科のバラクラと同じように。

噂のソフトクリーム

かつて、形成外科医局のメンバーと来た時に、山荘で私が頑張って、山ほど御馳走を振舞ったと言うのに、一番はここのソフトクリームとのたまって、帰りにまた買ったKYの人がいましたね。

ちなみに彼女(達)は未だに独身です。
**それと関係あるかどうかは知りませんが。

コクーン歌舞伎

妻に誘われて渋谷文化村のコクーン歌舞伎『天日坊』を観劇してきました。

私は歌舞伎を見たことがなく、この手は全くの初体験でしたので、歌舞伎としての感想を言うことは出来ませんが、なかなかなものでしたよ。

日頃行く演劇とは一味違いました。

三茶のシアタートラムや下北の鈴なり劇場と同じでは申し訳ないか。(いやそっちの方が僕は好きだけど)

新進の若手歌舞伎役者と自由劇場系の舞台俳優の
コラボが見せ所の一つということでしたが、宮藤官九朗の脚本、串田和美の演出も良いのでしょうが、
歌舞伎役者のオーラの様な存在感はさすがというか、ブランドの力も侮れないなと思いましたよ。

舞台音楽はトランペットとギターのジャズが演奏され、様々なシーンを絶妙に盛り上げていました。

微妙な心理描写を、トランペットのソロで高音を吹き奏でた時は、マイルスデイビスの死刑台のエレベーターを彷彿とさせるほど迫力がありましたよ。

そういえば、開幕の合図も太鼓ならぬ、
ドラムとシンバルでしたし、舞台の終わりの見せ場では、トランぺッターが後ろに勢ぞろいして吹くなど、
ちょっと感動しましたね。

京踊り(祇園では都踊りと言うそうだが)を見た時に、舞台より両脇の地方(じかた)や囃子(はやし)方の三味線や鼓、謡いの迫力に妙に感動したのを思い出しましたよ。

妻の話(因みに妻の専門は宝塚ですが。)によると、本当の歌舞伎ではセリフが理解出来ず、イヤホーンで説明を聞きながら見るのだそうで(まるで、オペラの字幕と同じではないか)、そうするとコクーン歌舞伎は一応聞きとれるし、「マジで?」など今風の言葉も出てきて、非常に分かり易かった。

ただ分かりやす過ぎるのもどうかと思う所もありましたよ。
『俺は誰だ?』と言う、何だか実存風な問いかけがテーマらしいのですが、
主人公がそれを紙に書いて見せながら、一幕目が終わるのは、ちょっと親切すぎないかと思ったりしました。

いずれにしても3時間半の長丁場を退屈しないでみることが出来、
とても良い週末の一時でした。

さてカーテンコールが盛り上がる中、いち早く劇場を後にして、
白金の四の橋のフレンチレストランに直行しました。

ここから先はカテゴリー(グルマンライフ)に移りますので、どうぞ、そちらをご覧ください。

京都に夏が来る。・・・・近くて遠い所。

京都は誰に聞いても好きだという。
僕も好きである。
出来る事なら住みたいと思う。

しかし京都への思いは複雑多様である。

修学旅行で行った時は、絵葉書のまんまだなと思った。

大学時代に例のゴールデン街の悪友と行った時は、排他的で人を馬鹿にしながら、ちゃっかり商売をしている最悪の観光地だと思った。(先斗町でぼったくりバーに捕まった)

家族旅行で初めて俵屋に泊った時は、味噌汁が甘くて驚き、都の上品さを知った。(ちなみに私は三河の八丁味噌で育った)

それから数えきれない程、何度も行ったが、その時々の状況で思いは違い、千差万別である。

結局、今になって思うのは、要は京都は日本人(自分)の心の故郷、憧れであり、行けば必ず、不本意ながらも、どこか心を揺さぶられる所だと思う。

京都は空気も道端の石っころも違うのだろう。

パリに住んで、半年くらい経った時、パリの何でもない裏通りを歩いていて、何とも言えない郷愁を感じた事があった。

この気持ちは一体何だろうと、ふと考えた時、ああ、ここは京都なんだ、京都と同じ時空なんだ、と思ったものだ。

パリがそうであるように、京都も、路地裏からの、すべての佇まいが京都である。

 

むしろ有名な観光地ではなく、何でもない日常こそが京都であることが、京都の凄さであると思う。

口先でお世辞や綺麗事を言いながらも、先を読みながら巧みに生き抜いた2000年の歴史は半端であるはずが無い。

 

貴船の川床

京都は、京都の通人と遊ばないと面白くないと言われる。
京都は二面性の町であり、二重人格と言うか
多重世界を持っている。
観光客、一見の客として遊んでいるなら、いかにして金を巻き上げようかの対象でしかない。


一方内側に入れれば、これほど居心地が良く楽しめる大人の世界は無い。(らしい)
 
 

嵐山鵜飼い舟遊び


女性の立ち居振る舞いが美しいし、物事のことわりとわきまえ、たしなみを知っている大人の世界である。(様にみえる)

 
 

ここ2年程、縁あって祇園祭に行った。

山鉾の巡行も美しいが、宵山に町を練り歩きチマキを買うのもいい。

深夜までコンチキチンの鐘が響くが、いつの日かその鐘を、すだれ障子の風越しに、畳に横になりながらウトウトと遠くに聞きたいものである。(これは私の妄想です)

思い出の情景をいくつか載せます。(これは実写です)

チマキ

山鉾、四条御池の大曲、ホテル京都オ―クラから.

祇園祭宵山、スカルの帯です.

 

京都は僕にとっては大事な所です。

だから、行くからにはそれなりの・・・・・・。

何かが壊れてしまうのは怖いのです。

したがって僕の京都は近いけど遠いのです。

 

高崎市美術館

私の高崎の住まいは駅のすぐ近くですが、
駅の東西出口の近くに高崎市美術館と高崎市タワー美術館があります。

東口の高崎タワー美術館はわたしの住まいと同じ建物の中にありますので、
これまでにしばしば行っていますが、

西口の高崎市美術館はこの度初めて訪れました。

催しはグラフィックデザイナーの福田繁雄大回顧展と言うもので、ポスター200点以上、トリックアートの立体作品が100点と力の入ったもので、十分楽しめるものでした。が、

それよりなにより、

 

同じ敷地内にアントニン・レーモンド設計の井上房一朗氏の住宅が残され、公開されており、それを見学しいたく感動してきましたので、その話ををします。

 

 

その建物は、決して華美ではなく、天井の梁、作りつけの家具などの簡潔なラインが強調された、吉村順三の和モダンに通じる、どちらかと言えば、質素なたたずまいで、凛とした中に住み手の強い感性が肌に伝わってくるような建築となっています。
丁度、鶴川の白洲次郎の武相荘、もっといえば目黒のアールデコの庭園美術館で感じるものに通じるところがあります。

 

?房一郎自身による作庭は、?野趣と言うより緻密に計算されデザインされた、かといって京都に多く見る形式化されたものではなく、独創性に富んだ完成度の高いもので、駅前という立地の喧操さを寄せ付けない力強さを感じさせるものになっています。

 

井上房一朗は、あのちょっとグロテスクな高崎観音を作った実業家、井上保三郎の長男として生まれ早稲田からパリに遊学し、絵画、彫刻を学び、帰国後は、戦前はブルーノタウトを高崎に招き工芸運動を展開し、戦後は高崎市民オーケストラを結成し、現在の群馬交響楽団へと育てたことで有名です。

その音楽ホールの設計を、工芸運動で知己となったアントニン・レーモンドに委託し、その際自宅も建築、それが今美術館内に残されている住宅です。
また群馬県立近代美術館設立に当たっても尽力し、設計に若き磯崎新を起用するなど、その慧眼ぶりもうかがえます。

一方、地元では「ふさいっちゃん」と親しまれ、無類の酒好き、女好きで鳴らしたそうである。

誠、男と生まれしからにはかくあるべし、と絵に描いたような羨むべき人生である。

後世に、企業名を冠とした美術館を残すような実業家は少なくはないが、さほど広く知られることなく郷土の文化人、パトロンとして密かに敬愛され続けている所が心地よい。

高崎に来て2年、初めて、高崎と言う町に、
ちょっと愛着を感じ始めた、と素直に告白しておきます。

 

リビングルーム

室内から望む

住宅全景

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