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形の部屋

美容外科患者の特異な心理状態について

私が美容整心精神医学で開業してから、他医で身体醜形障害の診断を受けて、あるいは美容外科医から紹介されてくる患者さんに、従来の精神医学のカテゴリー概念では説明出来ない症例が見られたので、ご紹介しようと思う。

1.何度も手術を繰り返し希望する症例について
手術をしてほぼ希望通りの結果を得ているにも関わらず、些細な理由をつけて、繰り返し手術を希望してくる患者は、現在の精神医学では顔の醜さに過度にとらわれる身体醜形障害(最近のDSM5分類では強迫症に入った)と診断されるのであろうが、その中には、外観の醜さの修正が真の手術の目的ではないのではないかと考えられるケースもあるように思われる。手術を受けることで、心に蓄積したはけ口の無い鬱積したもの(自分の気持ちを誰も分かってくれないという苦しみ)、負のエネルギーをカタル―シス(吐瀉)しているのではないかと思われる症例がある。
私は、思春期において「自分そのものが分からない」「生き方そのものが分からない」などマスターソンのいう「自己の障害」と思われるものから、「生きる意味が分からない」「自分が存在する意味が分からない、存在していても意味がない」などのバリントのいう「基底欠損」に近い心理的特徴を持ちながら、乳幼児期から思春期にかけて、エリクソンの言う「ライフサイクルの課題」を乗り越えられず躓いて精神、身体に失調を来たして不登校、引きこもり、アパシー、家庭内暴力、行為障害(非行)、摂食障害、リストカット、身体醜形障害、境界性パーソナリティ障害などの症状を来たすものを「思春期失調症候群」と名付けて提唱しているが、この症例の様な患者はこれに当るケースではないかと推察している。
引きこもりや、リストカットをして大人の社会的共同体への参加を拒否、回避しようとするように、醜形を訴え美容手術を繰り返すことで社会共同体への移行を忌避し続けるのである。事実このような患者さんは、社会的機能が障害されていることが多い。

不登校、摂食障害、リストカットなどの既往がある患者さんには、このような思春期失調症候群の人がいるので注意を要すると思われる。
なぜなら、そのような患者さんにとって不幸なのは、手術をすればするほど結果がどんどん違和感のある不自然なものになって行き、あるいは感染症などの深刻な合併症が発症し、泥沼化し引き際を見失うことが少なくないからである。

2.術後の結果にクレームをつける訳ではないが、直ぐに(元に戻す)回復術を希望し、その後は何も無かったかのように健康的に社会復帰をしている症例
これはある美容外科医から、この様な奇妙な患者が時に見られるが、そもそもこのような患者は「何の目的で手術を受けたのでしょうか?」「このような患者の心理はどうなっているのでしょうか?」と尋ねられたものである。

*質問した美容外科医は、患者が手術によってアイデンディティを失って不安になったのではないかとの意見・考察であった。確かに外観の急激な変貌によるアイデンディティの揺らぎによる不安や、精神分析学で言う「対象喪失」(ここでは身体的自己の喪失、変貌)の悲哀、戸惑いはあるかもしれないが、そもそも自ら望んだことであり、手術による変化が好ましい方向に変わったのなら喪失感は少ないのではないかと思われる。(例えば、1DKから3LDKに移って、前の1DKの住環境に対して喪失感をもつことは少ないのではないか。)

私の考えは以下の様である。
私は、最近、精神医学に入ってきたレジリエンスの概念でこのケースを説明・解釈すると理解しやすいのではないかと思う。

*レジリエンスとは、元来、物理学用語でストレスの反対語であるが、ストレスフルな状況(逆境と呼ぶ)に陥りにくくする、またたとえ陥っても、そこから回復し立ち直っていく力、あるいはその動的な過程の存在が人間には備わっていることを認めようとするものであり、精神医学では「抗病力」と訳される。

美容外科手術を希望する人は、自分の外観に満足できないという一種の逆境にあると考えることが出来るが、多くの人は自分の外観に不満を持っても、内的(心の)な調整で現実と折り合いをつけて生活をしていくことが出来る。しかし、整形手術を希望する人は、外的な環境調整が出来ないと(外観の改善が伴わないと)折り合いが付けられない人であり、基本的にレジリエンスが低いといえる。
多くの美容外科患者は、手術によって多少なりとも、自信とポジティブ思考を獲得しレジリエンスを高めることが出来、社会機能を維持することが出来る。

この症例のような患者さんは、たまたまレジリエンスが元々高い(基本的にはポジティブな)人で、例えるなら洋服を試着するような感覚で整形手術をうけ、結果に大きな不満があるわけではないが、思ったほど似合わないな、前の方が似合ってるなと思い、あるいは変貌した自分にアイデンディティの揺らぎを感じて不安になり、試着の洋服を脱ぐように元に戻す手術を受け、その後は何も無かったかのように今までの社会生活に戻って行くようなケースではないかと推察できる。
患者さんは確かに外観を変えることでアイデンディティの修正を試みたのだろうが、それが自分には不適合であると大局的に判断できるレジリエンスを持っていたものと考えられる。
したがって、彼はもう、以前は気になっていた洋服(美容整形手術)があったそのブティックに興味を示すことはなく、再び訪れる(整形手術を考える)ことはないのであろう。

以上が私の解釈である。

京都でお茶屋遊びの至福―嬉しいK君の心遣い

 形成外科医時代の後輩たちとの集まりが京都の学会に合わせてあった。

お茶やさんで集合写真

お茶やさんで集合写真

 今回はいつもとは趣の違うもので、頭蓋顔面外科の草創期に一緒にやっていた仲間の一人が、その後ゆえあって整形外科に転科し、今や立派な整形外科クリニックの院長となり、同時に理学療法リハビリ関係の大学の学長にまでなった者がいて、その彼が私を始め縁故の数人を招待し、宮川町のお茶屋で宴席を持ってくれたのである。彼の名はK君という。

 京都の花街は祇園がつとに有名であるが、祇園に二つ、隣の宮川町それに先斗町と上七軒が5街と呼ばれているそうで、宮川町は地元の人達の贔屓が多く、観光客は少ないようだ。

 日本でクラニオフェイシャルサージャリ―を本格的に始めた頃は私も若く、血の気も多かったので手術室はいつも緊張感でピリピリしており、K君などは、しょっちゅう頭ごなしに叱られた毎日で、悔し涙に明け暮れたことと思う。

 そんな彼が、20数年の月日を経て、私を曲がりなりにも、師として扱ってくれたので、感慨深いものを感じつつ、喜んで饗応を受けたのである。
 実は、私のリクエストに合わせて、前回書いた「すっぽんの大市」から宮川町のお茶屋まで、すべて彼の接待であったのである。

神妙なI君

神妙なI君

初めての金毘羅船ふね

初めての金毘羅船ふね

場慣れたK君のとーらとら

場慣れたK君のとーらとら

 わがままついでに、こんな席には無縁な解剖学のI先生も人生経験として参加したいとの意向であることを伝えると実に快く引き受けてくれたのである。

きわどい歌も出たオネーサン

きわどい歌も出たオネーサン

年夏菜ととし純にはさまれてご満悦

年夏菜ととし純にはさまれてご満悦

ローカルなクリアファイル

ローカルなクリアファイル

 人というのは、立場が変われば、すべてが変わっていくものであろうか。
しかし、皆が皆このような振る舞いをし、心情のこもった恩顧の気持ちを表すものではないことも事実であろう。
むしろ、これとは逆のパターンの方が多い。いや殆どがそうであろう。

 世話になっておきながら、立場を得ると、まるで一人の力でなったかのように振る舞うのである。表向きは兎も角、腹の中では、なってしまえばこっちのものと言わんばかりの態度をとるのである。そんな風だから形だけの盆暮の挨拶すら出来ないのである。若いころから面倒見てもらうことに慣れっこになり、する立場に変わっても、相も変わらずしてもらおうとする情けない根性無しなのである。真に自分の力で成り上がっていないから、苦労やキビに疎いのであろうか。
 そんな考えであるから、後はやることは保身に走るだけになるのである。

 誤解されるのは心外だから言うが、これは接待や金品が欲しくていうのではないよ。立場が変わって、自分にできることがあれば、それで報いようとするのが、人間の持つ根源的な情愛というものであり、誠の心粋であると思うからだ。

拙著

拙著

 最近著書「本当に美しくなるための医学」を著したので、多くの大学関係の知人に本を贈呈したが、真っ先に礼状が来たのは年長の先輩たちからであり、特に学問的なライバルとしてきた東大を始めとする国立大学系の方が多く、たとえ後輩からでも、実に親愛の情のこもった手紙を頂いたが、もっとも濃い関係であった同学の者たちからは何の音沙汰も無いのである。

 互いの利害が離れた立場になって、どのような交流が出来るかが、その人間の人物をあらわすことを理解していないのであろうか。

 ま、これはつまるところ、当の教育する側に問題があったとするほかは無く、尊敬する私の脳神経外科学の恩師であり、人生の師でもある名古屋保健衛生大学名誉教授の神野哲夫先生は、近著で同じようなことを嘆いておられる。
 要するに指導的立場になりながら人間学、教養学が決定的に欠けているものが多すぎると。

 僕の永年の仲間たちは、そんな風でいるとは信じたくはないのだが、、。

二次会、合流組を加えて

二次会、合流組を加えて

 

後輩との食事会、また楽しからずや。ー禁断のニキータごっこ?

前職の形成外科関係の集まりが続いた。

いずれもKO大学形成外科教室の後輩達にお誘いを受けたものだ。

一つは、僕が在籍時代に入局し、一緒に仕事をしたことのある、丁度今が働き盛りの先生達で、現在は自分で、いわゆる開業をしている先生達を中心とした7名の会で、もう一件は、ずーと若い、初めて会うフレッシュマンを中心としたY市民病院のメンバー5人に誘われての会であった。

中堅の後輩たちの会の幹事は、元赤坂で美容皮膚科、形成外科を開業しているM先生で、同時期にKOで働いたC先生が韓国のソウル大学の教授になり、この度、教授の留学制度を利用して、KO大学医学部解剖学教室に一年間来られたことを歓迎する食事会がセットされ、それに小生にも声をかけて頂いたという行きさつであった。

カニユニの会メンバー、前列はC教授夫妻とM先生

カニユニの会メンバー、前列はC教授夫妻とM先生

 会場は元赤坂の「カニユニ」であった。カニユニは僕は知らなかったが、例の畏友ジョージによれば、数十年前は有名人が集まる、一世を風靡した超有名店であったようで、店のホームページを見ると、1966年創業で、アメリカでアルカポネにカクテルを作ったバーテンダーとか、帝国ホテルでシャリアピンにシャリアピンステーキを運んだメ―トルドテルとかがいたこともあるそうで、当店の名物のオニオングラタンの紹介では三島由紀夫の賛辞の一節が載っていた。

名物のオニオングラタン

名物のオニオングラタン

 赤坂の豊川稲荷の裏手に当り、日本料理の辻留

、クレアシオン・ナリサワがプロデュースしていることで有名な洋食の東洋軒がある辺りである。お店は地下で、入り口は分かりにくいが、階段を下りてゆくと、何か懐かしい、思いっきり昭和の匂いがしていた。生バンドとボーカルがいて、70年代に流行ったいわゆるかつての大人のサパークラブの雰囲気であった。

 多分、料理もサービスも昔のままで、すべてがスローでお店のペースで進められた。
 自慢のオニオングラタンは、当時としては、エスプレッソ同様物珍しく、三島のようなハイソ好みには喜ばれたのだろうが、今ではリバイバルの映画をみるように懐かしむだけだった。

 それも昔の事を知っている小生だから、その良さはわかったが、二回りも若い諸君にはカニユニの良さは通じなかったに違いない。

 もう一つの若手の会は、会場は例の四の橋のラシエット・ブランで、メンバーは僕のホームページを見て、先輩のジジーに興味を持ってくれた3名のフレッシュマンと、医長のS先生と、中堅のY先生であった。

横浜グループ

横浜グループ

 メニューは、又、小生が独断で決めておいたので、家にいるように気楽に飲み食いし、また大いに酔っぱらってしまった。

本日の目玉食材のセップ茸

本日の目玉食材のセップ茸

 それに、S先生には僕の教育効果が良く残っているようで、僕の両サイドの席は若い女性が用意されており、それも酔いの速度に大いに作用した。

 フレッシュマン2名は女医であったのだ。

 話題は、僕の得意とする形成外科の学問の話は全く出なく、よくやるニキータごっこの食事会と同じであった。

 さすがにこれまでは、医局の女医さんとニキータごっこはしたことは無く、とうとう小生もそこまで老化したかと、感慨深いものがあったが、そこは、ちゃっかりとニキータごっこ写真は撮っておいた。

ニキータその一

ニキータその一

ニキータその二

ニキータその二

  もう引退して久しいのだから、これは決してパワハラにはなりませんが、セクハラの余地は残しています。

 次回は「KO形成外科女子会with N翁」が開催されるそうで、今から楽しみでなりません。

 後輩の皆さん、消え去った老兵を忘れずにいて下さりありがとう、感謝します。

 また若くて美しい新人の皆さん(もう一人の新人、ラクロス日本代表の猿之助君を含む。)、形成ヤンジーに興味を持って下さり、ありがとうございます。

 皆さん、またお会いしましょう。

 

 

顔面移植の話-もし他人の顔になったら

雑誌GQ11月号に顔面移植の記事が載っていた。US版GQの焼き直しであるが、案外よくかけていたので、紹介したいと思う。
22歳の男性がショットガン暴発事故で顔面を粉砕し、形成外科で前腕の組織[おそらく橈骨付き遊離前腕皮弁]で鼻を作り、下腿の骨[おそらく遊離腓骨皮弁]で下顎骨など再建したが、とても外に出られる状態にまでは行かなくて、家族と一緒に山中の家に引きこもって生活していたが、5年後に脳死患者から顔をもらい移植して、社会復帰できそうなまでになったという実話が感動物語となっていることを記者が評論している。
記者が本人に会ってみると、患者は完璧な顔をしているが、表情がほとんどない不気味さ、今でも学校には実際には行けていない現実、ガールフレンドが出来たと言うが、実際にはSNSで話している程度である、毎日の大量の免疫抑制剤の服用と、それでも、もし拒絶反応が起きれば、移植した顔面を失い、死に至るという緊張した毎日の生活などから、この手術が本当に患者の為になったかを論じている。
患者は,正装して執刀医と記者会見に臨むと、「一滴の希望も集まれば、海になり、ちっぽけな信念も繋がりあえば世界になる」というような格言を良く口にし、二人は英雄気取りであったという。また彼の真実の生活では、彼には、事故前から事故後も同棲して面倒を見続けたガールフレンドがいたし、アルコールは禁止されているにも拘らず、失神するまでも胃瘻からワイルドターキーを注射器で注入せずにはおられない現実を見て、評者は一切がはかなく、幻のような感じだと述べている。

 患者も執刀医も自らを悲劇のヒーローとして売り込んで、同情や名声を得ていたわけだが、このようなことは、欧米でも日本でも、さほど珍しいことではない。

 このような顔面移植はこれ以前に、既にスペインとフランスで2例の報告がある。

 以下は形成外科医としての私の意見。

 顔面移植というとおどろおどろしいが、医学的には意外と平凡な手技だ。
 一旦、切り離した組織の動脈と静脈を移植先の動脈と静脈に吻合し血流を再開してやり、組織の移植をするという遊離組織移植、最近はよく耳にする腎臓、心臓、肝臓、肺臓の生体移植と同じことだ。
 ただ、少し専門的に言えば、顔の移植では、顔の骨をカバーすると言う意味の他に、表情を作るという運動機能、触る、熱いという知覚の再建が必要となる、という違いがある。
 大変なのは、顔の皮膚の血行を賄う血管が一組ではなく細かく分かれていて、移植では沢山の血管を吻合する必要があること、また表情を作る表情筋も付けて移植するか、あるいは表情筋は移植を受ける人の元々の表情筋を使うかで、血管のデザインも違ってくることである。
 表情筋を付けないで移植する場合は、非常に薄い皮膚になり一本の血管で栄養出来る範囲は狭くなるので、吻合血管数が増えて、より大変になるが、顔面神経の吻合は不必要になる。
 顔の表情筋を付けて移植するとなると,吻合血管は減るが、顔面神経を吻合しなければならないことになる。本幹で吻合できればいいが、そうでないと難渋するだろう。
 さらに知覚の回復には細かく分断された知覚領域の知覚神経全部の吻合が要ることになり、大変な仕事量になるが、再建後の顔の熱傷を避けるためには必須なことだ。

 ここら辺をどう細かくデザインするかは、重要であるが、形成外科医の力量によって決められていくのであろう。

 さらに顔の皮膚だけを変装のお面のように被っても下の骨格と上手く合うかという問題が残る。(皮膚はドンキのお面のように伸び縮みしない。)顔の美醜の基本は土台となる骨格にあるし、顔の移植に当っては、ドナーの骨格に似せておく必要があるだろう。

 これは医学的にはそれほど困難なことではないが、技術的にはかなり高度な技を要する。

 ドナーの顔面骨のCT像をとり、そのデータから3Dプリンターで骨格標本を作り、それに似せ、顔面骨を作り直せばよい。骨は自分の腸骨、肋骨、腓骨、頭がい骨等を使うことになるだろう。

 ところで、最近話題の3Dプリンターであるが、その原理は、実は30年以上も前に開発され、米国では頭蓋顔面外科の領域ではテスト的には使われており、20年くらい前から実用化され、我が国でも、形成外科の領域ではすでに日常的に用いられているものである。なぜ今になって急に脚光を浴びているのか不思議に思う。

 骨も自分の骨を使わなくとも、iPS細胞で骨芽細胞を作り、鋳型にはめて培養、増殖すれば、下顎も頬の骨も自分のもので、自由に作れる時代がもう見えている。

 さらに一番肝心なのは、免疫による拒絶反応のコントロールだ。皮膚は免疫機構がとくに発達しており、臓器移植と比べ格段に難しいという。
 やけどの時の超薄い皮膚移植でも、例え母親のものでも拒絶され他家移植は出来ないことになっている。

 さらには、全く他人の顔をもらって、アイデンティティの確立が出来るかという精神的な問題が残る。

 1998年に手の移植を受けた患者は移植後その手の違和感から解放されず、せっかく得た手を拒否して免疫抑制剤を飲むのを自ら中止し、手を壊死させ切断してもらったという。
 また、2005年世界初の顔面移植を受けたフランス人の女性の熱傷患者は、ドナーを双子の姉のように感じるようになり、新しい人生を感謝しているという。

 頭蓋顔面外科で扱う患者の中には、とても正視に堪えないような容姿の患者もいるが、幸い手術が功を奏して別人のように回復すると、アイデンディティを失うどころか、逆に真の自分を獲得したかのように積極的で陽性な性格に豹変する人もいる。
 対象喪失というより対象獲得とも言うべき様である。

 顔面移植も案外これに近いのかもしれない。このような革命的な変化をもたらす手術は、対象喪失の喪の仕事からさらに進んだ「復帰の仕事」の一助になっているのではないかと思う。

では美容外科ではこのような手術は成り立つのであろうか。

 現に彫りの深い白人顔を作るまで顔を変える技術を誇る美容外科医もいるし、それを希望する患者もいる。

 形成外科の延長は美容外科であろうから、顔面移植とまでは行かなくとも、丸で別人にしてしまうような全面的顔面美容整形はありか。
 そして、もし、ある人にとって何よりもそうなりたいと思う理想の顔の人が居て、もし、その理想顔の人が脳死状態になり、ドナー登録がなされていたとしたら、移植を希望する人が現れたら、許されるべきか。

 これは仮定の話にしても、深刻な倫理問題である。考えたくない程、厄介な問題である。

 ちなみに、英国では2003年に、顔面移植は、将来移植を受けた本人が切除を希望するようになっても再切除が出来ないという理由で、(もう本来の自分の顔は切除され無くなっているので再切除すれば顔が無くなってしまう)、顔面移植は現実的ではないという見解が出されている。

 まさに倫理に踏み込まない、現実的な見解である。

 

 

N’school クラニオチームの同窓会が開催されました。

僕の形成外科時代の皮弁研究班が、同窓会と称して飲み会を定期的に始めたらしいと聞きつけた頭蓋顔面外科班の一人が、クラニオチームも同窓会をやろうよ、と言い出し、先日、S君のフランス留学を終えての帰朝報告を聞くというのを名目に、第一回目を開催した。
 参加者は総勢8名で、皮弁チームより大勢の陣容となった。平均年齢も若く、皮弁チームのほとんどが教授職になっているのに比較して、こちらは教授職はいない。正確には一人いるのだが、当人が残念なことに出席できず、今回の参加者は主に市中の病院で頑張っている顔ぶれとなった。
 従って開始時間も土曜の7時からにしたのだが、それでも大幅に遅刻した者が一人いた。それが何と一番暇な男であるはずの小生であった。
 数日後に皮弁班の3回目の同窓会が予定されており、そちらが8時からであったのを混同してしまったようだ。
 認知機能の衰えはいかんともしがたいと弁解しつつ陳謝し、乾杯になった。

 それにしても楽しい集まりであった。クラニオ関係は、まだ僕にも現役感が残っており、皆の話についていけることもあるし、まだアイデアもでる。
 また、業界の政治向きの話(次の00学会の会長は誰だれというような。)が一切出ないのも気楽で良い。

 それでも、年長の成育医療センターの形成外科部長のK君は最近副院長に就任したので、では次は院長か総長かという話になるのは人情としては仕方ないものだろう。

成育医療センターK君と東京歯科大矯正科准教授S先生

成育医療センターK君と東京歯科大矯正科准教授S先生

  今回の場所は、僕のお気に入りの白金のビストロ「ラシェット・ブロンシェ」であった。

 当日のメニューは前もってシェフと相談し決めておいた。8名がバラバラに頼んだのでは、シェフも大変だろうし、こちらも待たされるのが嫌だからである。メニューの内容をよく理解できる僕が決めておくに限ると思い、そこは出しゃばらせて頂いた。
 選んだメニューは、前菜は「ランゴスティーヌ(手長海老、赤座海老)とそら豆のリゾット」と「フォアグラと黒イチジクのポアレ」にした。リゾットは大きな海老のプリプリとした身に海老のミソの香りがまとわりついた米と豆のハーモニーが素晴らしい芳醇な一皿であったし、フォアグラの香ばしい焼き加減も絶妙でイチジクの甘さとよくマッチしていた。主菜は「マナガツオのポアレ、オリーブソース」と「、仔羊背肉のローストローズマリー風味」にした。マナ鰹は魚の臭みは全くない、ほくほくした焼き加減にオリーブソースが胃に優しく食欲をそそるものであったし、仔羊のレア気味のロゼの焼き加減は、いつもながら外せない当店のスペッシャリテである。

 一皿一皿口にするたびに皆の感嘆の声が上がったので、おそらく料理には皆さんも満足してくれたのではないかと思い安心したのである。

 食事の美味しさと、話も弾んだせいか、ワインは白はソービニオンブロン2本、シャルドネ1本、赤はカベルネソービニオン2本、メルロー2本と良く飲んだ。(酔っぱらって正確には覚えていないのであるが。)
 いずれもドゥ・ラ・メゾンであるが十分な美味しさであった。これにフロマージュ,デセール、カフェがついて、一人頭12000円で収まれば、コスパは最高だと、いつも感心する。

 今回の会は言い出しから、開催までは約1か月とやや間があいたが、日時場所の決定までは数日と見事なスピードであった。

一重に幹事の都立小児総合医療センター形成外科部長T君の才覚の賜物である。

済生会中央病院W君と東京小児医療センターT君

済生会中央病院W君と東京小児医療センターT君

 会に必須の重要なメンバーに、まず問い合わせて、日時を決定してしまい、後は参加できるものを募っていくという、合理的な方法で短時間に全てを決したことは称賛に値する。
 全員の意向を聞いて、最大公約数をまとめるのにダラダラと時間を空費したり、幹事が自分の都合ばかりを並べ立て、丸で会がスムースに開催出来ない理由探しから始めるようでは、会など元々成立しないであろうし、気持ちよく参加しようとする者も嫌になってしまうものだ。

 なんかの本の中吊り広告に、「仕事ができる人は、飲み会の幹事も見事に仕切る」というようなキャッチがあったように記憶するが、本当にそうだと思う。
 言い換えれば、「飲み会の一つもスマートに仕切れないものは仕事も出来ない」という事でもある。

 予定する会では誰がキーマンか見極めがつき、それに見合った適当なお店の情報を手に入れる手筈を常に持っており、段取りが早く、さらには皆が感心し満足するようなセッティングをし、結果が出せる、という事は仕事を進める手筈と共通するところも多いように思う。

成育医療センターH君と慶応形成外科S君

成育医療センターH君と慶応形成外科S君

国立埼玉病院O君

国立埼玉病院O君

 人の上に立つ方は、人の能力を見るのに、飲み会の幹事を担当させてみるのも一つの良い方法かもしれませんね。

 T君は、決定から再確認の連絡まで、見事な手際であった。

 次回の幹事さんも負けないように才覚を見せて欲しいものである。

 最後にこの会の名前の提案であるが、クラニオフェイシャルサージャリ―がフランス発祥という事もあるので、Cranio-faciale Camarade de bouteille 「クラニオ瓶の会」と洒落てみるのもどうでしょうか。

全員で記念写真

全員で記念写真

師弟の絆のスカルリング

師弟の絆のスカルリング

 

 

S君からの手紙‐望郷のParis

 僕がK大医学部形成外科に在職中は、臨床の専門は頭蓋顔面外科cranio facial surgery ということになっており、その部門では少ないながらもチームを組んで仕事をしていた。  
 前にも話したが、この分野は人気が無い。手術も大変だし、難しいから普通の形成外科医は手を出したがらない。
 ごく稀に興味を持って参加してくる者がいるが、身近な利害を考えたら、到底出来るようなものではないから、当世では変わり者になるのだろうし、その分覚悟の出来た骨のある者が多いと思う。

 S君はその中の一人で、僕が大学を辞した後は、K大病院の頭蓋顔面外科を引き継いでやってくれている。その彼が、頭蓋顔面外科発生の地であるパリに、今年の1月から留学している。僕がパリに留学していた時の恩師で頭蓋顔面外科の創始者であるDr.P.Tessierは既に亡くなっているから、その弟子筋の所に行ったのである。

創始者Dr.Tesieerの墓に好物のシガーを添えて。

創始者Dr.Tesieerの墓に好物のシガーを添えて。

留学先の女医さんとTessieer 夫人―S君はマダムキラー?

留学先の女医さんとTessieer 夫人S君はマダムキラー?

 その彼から、多少落ち着いたと見えて、4月に近況を知らせるべく手紙が来た。
一緒に数枚の写真が同封されており、その中に見覚えのある建物が写っているものがあり驚いた。
 35年ほど前に、僕がパリに留学していた時に住んでいたアパートの写真であった。アパートの住所は、教えた覚えはないし、当の本人が既に忘れている。
後で聞いたところでは、古い「医局の連絡簿」のようなもので発見して、密かにメモして行ったらしい。そして、その住所を訪ねてくれたのだ。

35年前に住んだアパート

35年前に住んだアパート

6 rue Weber 16em

6 rue Weber 16em

 その数枚の写真は、僕にいろんな思いを起こさせてくれた。

 まずは、30そこそこの若い頃の自分である。まだ自分の行く末も全く不透明であり、漠然とした不安もあったが、それよりも無限の可能性があった。
 何も決まっていないということは、何でも出来るということでもあり、自由であった。
 若いということの最大の取り柄はその可能性であり、精神の自由さである。今、歳を取って、若さを失ってみて、一番欲しいと思うのはその自由さである。青春に戻りたいと思ったことはないが、それだけは羨ましいと思う。

 そして、パリの生活の情景が思い浮かぶ。アパートメントが少しも変わっていないように、パリは、今も同じように生活しているのだろう。
 30年なんてパリには一瞬でしかないように、いつものマルシェには、今でもいつもと同じように野菜が並び、色とりどりの果物が山になって並んでいることだろう。
 パリッ子は小奇麗に装い、背筋を伸ばしてカツカツと靴音を立てて足早に歩くし、アルジェリア系ニグロは一様に、だらしなく丈の長い背広を着て外股で歩き、ベトナム系アジア人は、どこか締まらない服装で、所在無げにウロウロ歩いていることだろう。

 一日中、どんより曇って小雨の降る、夜の長い秋冬季が終わると、青空と、マロニエやプラタナスの新緑がまぶしい春が来て、すぐに初夏になり、とたんに昼間が長くなる。今は、そんな一年で最も良い季節であり、S君も美味しいアスパラガスを堪能していることだろう。

 そして街中でバーゲンsoldesが始まる頃にはバカンスに入り、パリッ子は殆ど消えてしまい、街は観光客ばかりになるのである。

 それにしても写真を見るにつけ思うのは、S君の細やかな気遣いへの感謝である。
 そういえば、この写真を撮っていたら、ポリスに見つかり職務質問を受け、大変だったという。彼は用意周到な性格だから、フランス語も渡仏前にしっかり勉強して行ったようだから、何とか無罪放免になったようだが、さぞかし肝を冷やしたに違いない。なんせ、向うの警察はすぐに自動小銃を持ち出すから、日本人には恐怖にうつるのである。

 僕も怖い経験をした。けたたましくサイレンを鳴らしてワンボックスのような警察車両がアパートの前に停ったので、窓から見ていたら、自動小銃を構えた警察官数名がアパートに入ってきた時は、息が止まった。僕はその時は、ビザが切れており不法滞在だったから、本当に生きた心地がしなかった思い出がある。幸い、警察はすぐに帰って行き、目的が何であったかは結局は分からずじまいであったが。

S君が学んでくるものは、多分一見多くは無いだろうと思う。
学問的には、僕たちは、もはや世界の最先端にいるし、手術も革新的な新しい方法をいくつも持っている。
 ただ患者の症例数はヨーロッパに圧倒的に多いから、数をこなさないと分からない手術手技のコツのようなモノは得るものが多いのではないかと思う。
 それより何より、異文化の中に身を置いて生活してみて初めて分かるようなことや、沢山の外国人の友人が出来るところにこそ一番の価値があると思う。

 それにフランス人から学ぶものは多い。

 物事を俯瞰的、大局的に見る習い性というか能力。
 全く未知な分野を切り開く、創造的でユニークな発想と先見性。
 自由だが、節度と社会道徳に富んだライフスタイル。

 日本人に欠けた優れたところはいくつもある。S君もそれらを肌で感じて帰ってくることだろうと思う。

 S君は僕の息子と同級だが、心遣いというか、思いやりの精神には雲泥の差がある。息子に勝る後輩が持てたことを本当にうれしく思う

 彼は、もう、行きつけの、我儘のきくビストロ(医者が引退してから開いたという。)が出来たというから、既に、それだけで留学の成果があったように僕には思えるのである。

 齢を重ねて分かることだが、年を取るということは能率が悪くなる、ということである。60過ぎて精神科の勉強を始めて痛感したことであるが、同じことをするにしても、数倍のエネルギーがいる。

 「勉強するのは今でしょ」は、至言であり、真理だと思うよ、S君。

 

N’sスクール同窓会―老兵はただ酔うばかり。

僕がまだK大学医学部の形成外科医であった頃は、一つの研究グループを率いており、15名くらいの若い形成外科医達に学位論文の指導をした事があった。
研究テーマは皮弁という形成外科におけるもっとも重要な再建手術の方法を、血行の面から研究することであったが、主に動脈、静脈の3次元的血管解剖の研究と、皮膚、筋肉の血行の動態の研究であった。

一人が解剖学教室に移籍して研究のインフラを支えてくれたおかげもあって、多くの成果を生むことが出来たと自負している。

新しい皮膚や筋肉の組織の機能解剖の概念を作り、その様態を全身的に明らかにした。また新しい血行形態の解剖を発見し、それらを臨床に応用し、新しい皮膚血行の皮弁の概念や、それらに基づく新しい100有余の皮弁の開発を行った。そして、新しい血行概念による皮弁分類法を提案し、それは今や世界標準にもなっている。いくつかの国内、国際的なプライズもとった。

研究は多くの成果を上げたが、教室全体の中では人間関係に軋轢を来たした。
当時我々は徹底して反主流、日蔭の立場に追いやられたので、そうなると、人はいろんな反応を示し、行動をとるものである。泥船からいち早く降りるものもいるし、どっちつかずの日和見を決める者もいる。一方、運命共同体の様に最後まで、泥船を守ってくれた者もいた。

最後まで船に乗っていた者の内、4名が集まって、先日研究グループの同窓会を開き僕を呼んでくれた。

場所は15年ほど前に、僕が良く使い、従って彼らもしばしば一緒に行ったことのある青山の‘おかだ’という、思い出深い居酒屋であった。

雑誌[大人のOFF]などが、大人の隠れ家として取り上げるのに、まさにぴったりの雰囲気の良い店である。

僕と同年の,アホの坂田似の(そういわれることを本人は、異様に嫌っていましたが、やはり似ていたんでしょうね。)、いわくありげな怪しげな亭主が、不釣り合いな可愛い女子大生数名を率いてやっていたが、数年前に他界したとのことで、今は彼の細君とうら若いが無愛想な御嬢さん(血縁かどうかは知りませんが)と二人でお店を切り盛りしていました。料理は往年と同じようなメニューでしたが、味は引けを取らず、変わらず大変おいしかった。

さて集まったメンバーですが、形成外科業界では、俗にN四兄弟と言われている諸君で、長男のS.,F.君は今はT大学千葉医療センター形成外科の教授となり、次男のN.,I.君は母校医学部の解剖学の准教授であり(彼は他大学の教授職を断り続けている。)、三男のT.,M.君はS医大川越医療センタ―形成外科教授となり、四男K.,K君は母校医学部形成外科の教授になっている。

左からN,I.,T,M.,(N),K,K.,S,F.君

左からN,I.,T,M.,(N),K,K.,S,F.君

今は、皆僕より高い地位にいるが、この場では、僕が一回り以上年長でもあり、今までの流れからも、やはり僕が一番上座に座ることになった。

僕は形成外科を離れて、はや4年が過ぎていることもあり、話題には少しついていけないこともあったが、多くは昔の思い出話であり、話が尽きることもなく、酒も進み、楽しいひと時であった。

それに今回は、僕はごちそうになった。これも初めての嬉しい、誇らしい経験であった。

ごちそうさまでした、ありがとう。

さて、いまさら先輩面するのもなんですが、老婆心から、幾つかの助言を言っておこうと思う。

各人、胸に手を当て、自分のことかと振り返り、一層精進し成長して欲しい。老兵は、ただ、そう願うばかりである。

*先ずは、立ち居振る舞いは常にきれいか気にかけてほしい。これは人として一番大切なことである、と常云言ってきたことでもあるが、それなりの立場になればなおさらである。

*石橋は叩いてもいいが、渡らねば橋の意味が無い。渡ることが大事なのである。

*律儀であるのはいいが、身を滅すほどであってはいけない。それはやり過ぎである。ほどほどに。

*権力の魔力に負けてはいけない。自分が権力に奢っていないか常に反省してほしい。

*教授職はせいぜい数十人の長でしかない。自分が常に先頭を走らなければ人はついてこないし、自分の人間力でしか人は動かない、と肝に銘じて行動して欲しい。

時の権力にすり寄ることで延命を図ろうとした者たちは、誹謗中傷をしたり、他人の仕事の成果をわが物の様に盗用するに一向に恥じないのが共通するのだが、彼等は権力者の行動を見習ってそうするのか、同じように恥知らずの思考様式を体質的に持つのか知らないが、いずれにしろ、その後を見れば、それではそれなりの人生しか送れないのである。

君たちは真逆の人生のはずだ。

ヌーベル和三盆―スカルのお菓子

高松市丸亀町商店街がお土産物プロジェクト委員会を立ち上げ、作ったのがこの和三盆のスカル干菓子です。

箱もスカルのデザイン

粒もスカルの形


私の前職は形成外科医で、中でも頭蓋顎顔面外科を専門としていたので、スカルのアイテムに目が無く、指輪、ネックレス、スカーフ、靴下、セータ―とスカルがデザインされていれば、つい買ってしまいます。そんな事情を知った慶応病院の形成外科の後輩がこのお菓子を見つけ送ってくれました。

口に入れると、すぐに溶けて、口中に上品な甘みが残る、雅な美味しいお菓子ですが、それがなぜスカルの形なのかよくわかりません。

高松丸亀といえば、讃岐うどんが思い浮かびますが、それが嫌で今度はスカルで町興しなのでしょうか。

デザインは高橋信雅、木型職人は市原吉博と書いてあります。確かにこの木型を作るのは結構大変かもです。?

所で、頭蓋顎顔面外科というのは、頭がい骨や、顔面の骨をバラバラに切断して組み立て直して、頭や顔の形を整える形成外科の一つ手術分野ですが、約50年前にフランスの天才形成外科医テシエが創始しました。?

私が医者になりたての頃の日本の形成外科医は、テシエの文献片手に、スゲーなあ、とただ感心するばかりでした。

手術もダイナミックで、結果もドラマチックに出ますが、手術そのものが大変で、(12時間くらいかかる手術は珍しくありませんでした。)形成外科医の志が高かった頃はともかく今や、日本はおろか世界でも、この分野を志す形成外科医はごくごく少数になってしまいました。

その希少な一人がスカルの菓子を送ってくれた慶応病院のS君なのです。

頭蓋顔面外科は、かつては手術が難しいが故に、形成外科医の中でも敬意と羨望の目で見られたものですが、今や若い形成外科医は我関せずで、美容方面ばかりに人気が集まる中で、彼は本当によく頑張っていると感心します。

最近は眼球が飛び出たのを、顔に手術瘢痕を残さないで治す手術が得意分野になり、これって、美容の究極ですよね、と美容外科では絶対にできない手術を保険でしかできない現状を嘆いています。10ミリ位までは眼球を後ろに下げる事が出来ます。

眼球が出過ぎていて、悩んでおられる方は慶応病院形成外科をお尋ねください。

 

頭蓋や顔面の骨自体のゆがみも、最近は骨延長という技術で低リスク、低侵襲で治せるようになりました。実例をお見せ出来れば一目瞭然で良いのですが、さすがにそうもいけませんので、イラストで手術の概要をご紹介してみます。。

 

全頭蓋再建術ーバンブーウエアー法

図1.全頭蓋再建法、頭の形を全部作り直す方法


人の頭骸骨は縫合というつなぎ目があり、そこで、骨を成長させることで、脳の成長につれて頭蓋も大きくなっていくことが出来ます。

しかし、生まれつきそのつなぎ目が閉じてしまっていて、頭蓋が大きくなることが出来ない病気があります(頭蓋縫合早期癒合症)。その子たちは、脳が窮屈になり知能の障害を起こしたり、頭の形が大きく変形してしまいます。そこで頭蓋を大きく拡大し、かつ正常な形に再建する手術があります。テシエは頭の前額部(おでこ)だけを前方に出す方法を発表して、それでも皆がビックリしたわけですが、その約10年後に、私達は頭蓋骨を全部をいったん取り出して、骨を分割して、理想の形に自由に拡大して作りなおす方法を考案しました。図1はその方法の概略です。この方法ならどんな変形にも対応でき拡大も自由です。

 

ルフォ―?+?顔面骨延長法(NAVID)

図2.ルフォ―?+?顔面骨延長法左赤線のように骨を切り、右図のように移動する


頭蓋ばかりでなく、顔面の骨の発育も悪く、大変強度に顔の変形をきたしてしまう生まれつきの病気もあります(頭蓋縫合早期癒合症候群)。多くは眼球が突出して反対咬合(受け口)になっています。顔の骨の真ん中を2つのブロックに切り離し、それぞれを前方に移動して顔の土台を作りなおします。少し前までは一気に移動して骨を移植して固定して直したのですが、現在では骨を徐々に移動する方法で、骨移植も固定もしなくてすむ方法に変わっています。図2は、NAVIDという私達の考案した延長方法です。これで、目の突出も咬合も良くなり、ほぼ正常の顔貌になります。

 

ルフォ―?+?顔面骨延長法(NAVID)

図3.ルフォ―?+?延長法、前額も眼窩も上顎も別々に移動する


顔面だけでなく前額部も後退していて、眼窩の上も前方に移動する必要がある時は、図3のように、頭蓋骨の一部も同時に延長して拡大します。

これらは頭蓋顎顔面外科の手術法の一例です。変形は千差万別であり、一つの症例に一つづつ手術法を考えていくというのが、形成外科の基本的なスタンスです。

 

精神科の病気に身体醜形障害という、身体のどこかに醜いところがあると、勝手に思い込んだり、あるいは僅かな問題を極端に誇大的に考え悩んで日常生活もままならなくなってしまう心の病気があります。

それらの人には形成手術は禁忌と言われているのですが、形成外科が扱うのは基本的に外観の病気であり、悩んで当然な理由があるわけですから、その原因を出来るだけ解消する事には大きな意味があるわけです。

引きこもりだった子供たちが、学校に通い始め、引っ込み思案だった少女が外来診察で、恋の悩みを語るようになるのに接するのは形成外科医の大きな喜びの一つでもあります。

形成外科と美容外科ー銀座ヴェリテクリニック福田慶三先生のこと

1ヶ月ほど前に、朝起きたら右目の眼球結膜が真っ赤に充血していた。

勤務先では感染性結膜炎ではないかと疑われ、厄介者扱いである。

感染性なら、まずは左眼もなるだろうが、と言いかけたが、なんせ相手は精神科医だから、無駄と思い黙っていた。

東京に戻って、信頼できる友人の眼科医に診てもらったら、なんとまさかの右下眼瞼の睫毛内反症(逆さ睫毛)であると。
多分老人性?テーピングでなんとか矯正し、しのいでいたが、日によっては痛くて目も開けられない状態で、もはや手術するしかないと覚悟を決めた。

さて、問題は誰にやってもらうかである。
まず、眼科医にするか形成外科医にするか、である。

眼球の疾患ならもちろん眼科医であるが、眼瞼とか眼窩部(眼窩骨など)は形成外科の方が上手いと元形成外科医としては自負しているし、
この分野の多くの論文もほとんどが形成外科医によるものである。

しかし逆さ睫毛は?多分症例数(経験)の多さは、患者が集中する特定の眼科医であろう。

手術で大事なことは知識と経験、それに手術中の即座の判断力、機転のきく応用力、創造力など、いわゆるセンスである。それに器用な方がいい。

眼科医は経験の範囲で判断するのは優れているかもしれない。

経験が多いのだから引き出しの数も多かろう。

しかし経験したことのない事態になったらお手上げになるのではないか。

また解剖学的な洞察も浅いのではないか、と不安が残る。
ましてや私の症状は日によって変化する曲者である。

結論としては、形成外科を選んだ。

次は誰に頼むかである。

古巣の慶応形成外科に声をかけても、好き好んでやろうとするものはいない。(私の慶応時代の行いが悪かったのが裏目に出たか、後輩の躾が悪かったのだろう。)

そこで、今は美容外科の銀座ヴェルテクリニックの院長をしている
福田慶三先生に引き受けてくれるか相談した。

彼は今や、日本の美容外科のカリスマで、千客万来で患者も多く、手術料も高いと聞く。

逆さ睫毛のような割の合わない手術をやってくれるか一抹の不安を持って銀座4丁目に訪ねた。

アルマーニビルの角を曲がって、いつも行列の出来ているチョコレートのピエールマルコニーニの手前のビルにある。

妙齢の美しいご婦人方に並んでコンサルテーションを待つ。

症状を検討し、手術法で合意すると、「では明日16時から全麻でやりましょう。11時から禁飲食ですよ。」と即決である。

この思い切りのよさが彼の真骨頂でもあるのだが。

福田先生との出会いから今日までのお付き合いは長い。出身大学も違い、一回り以上後輩なので珍しい関係であろう。

彼の経歴はヴェリテクリニックのホームページに掲載しているので省くが、
1989年に慶應形成外科教室が日本形成外科学会総会を担当した時、頭蓋顔面外科のシンポジウムに留学先の米国メイヨークリニックから応募してきて知り合ったのが最初であった。

日本の形成外科にも自己主張の強いこんな生意気な若造がいたか、
というのが当時の気持ちであったが、逆に彼は米国でしていた3DCTの
手術シミュレ?ションの仕事を得意げに持ってきたのであろうが、日本でも我々が独自の手法で、もう少し先を行く手術シミュレーションシステムを
発表したので、驚いたのではないかと思う。

それが縁で、帰国後慶應に来たいとの話があり、慶應の医局にも1ヶ月間程いたが、カンファレンスでの発言や、発想は抜きん出た才能を感じさせるものがあり、日本のcraniofacial surgeryの後継者は彼しかいないと思い期待をしていたが、人事はうまく運ばず、その後紆余曲折があり、結局、出身の名古屋大学の教授ともそりが合わず辞めてしまい美容外科に身を転じることになった。

日本の形成外科にとっては大きな損失だったが、一方美容外科にとっては大きな力になったものと思います。

その後、私は彼の下に弟子入りし、美容外科の一から最新先端技術まで余すことなく全てを教えてもらい、自分の手術の完成度を高めることが
出来、大いに感謝したものでした。

美容外科の世界はビジネスに徹した市場経済の世界であり、生き残るには、特徴のない平均的な商品(手術、施術)をいかに安く大量に売って利益を上げるか、あるいは他には出来ない高品質なものを、少数だが高価に売って利益を上げて行くか、に2分されて行くように見えます。

外食チェーン店展開か、グランメゾンのオーナーシェフになるかです。

福田先生のヴェリテクリニックは、紛れもなく後者でしょう。

大手のチェーン店には、およそ外科的な手技に関わったことのない、いわばど素人に近い先生方が、まるでジプシーのように各クリニックを条件次第で渡り歩いているのが現状です。

ま、色んな光を当てて皮膚の若返りをするとか、何かを注入して形を変えるだけなら、別に医者である必要もありませんが。

美容外科医の名簿を見ると、意外なことに地域医療の担い手を育成すると期待されて開設された新設国立医大出身者が多いのに驚きます。防衛大学卒業生が民間企業へ行くようなもので、納税者の気持ちからはしっくり来ないのは私だけでしょうか。

いずれにしても、10年前なら形成外科医が、美容外科医に自分の手術(美容以外の)を頼むなんて考えられないことでした。

まあ、正直言えば、今でも福田先生以外の美容外科の先生にお願いするかどうかはナイーブな問題ではありますが…。

ともあれ、無事手術は終了し、経過は今のところ順調です。

しかし手術の成功は3ヶ月以上経ってみないとわかりません。

術後、組織は変動するからです。

福田先生には、3ヶ月なんて待たずに、先生の好きなフレンチとワインをご馳走させて頂きますので、楽しみにしていて下さい。

もちろん、事情で例え再手術になろうと、予定に変更はありません。

長年の深い友情と恩義に応えてふさわしいお店を探します。

そして、ヴェリテクリニックのスタッフの皆さん、お世話になりました。

ありがとうございました。

 

ヴェリテクリニック

全身麻酔の導入

手術中、一応真剣にやっているようです。

終わって記念写真ー私はまだ半覚醒状態

 

 

 

 

 

形成外科医として医療崩壊を考える。

海堂尊のベストセラー『極北クレーマー』は、現在の医療が抱える問題を多方面から鋭くえがいた作品として高い評価を得ている。

医療崩壊は国家の数々の誤謬による制度的な破綻に加え、医療従事者の意欲喪失を招いたことで致命的ともいえる状況にあるといえよう。

原因はいくつもあるのだが、まず医療の全能性、万能感と言う誤解、錯覚から来る国民の不満がある。

現代医療は検査が適切に行われ、医療処置が間違わなければ、あらゆる病気は治って当然という理解である。

うまくいかないとすれば、それは誤診か医療ミスの結果であるという短絡的な思考がまかり通っている。

残念なことに現代医学は生命現象のほんの一部を解明しているに過ぎず、生命は何であるかという本質的な所はほとんど分かっていな

いにもかかわらずにだ。

また手術をするのは神の手ではなく、人間の手であるという事実だ。

分かっていない事は分からないと、出来もしない事は出来無いと厳然と否定しない医療側にも責任があるが、問題の根本は、現在の

医療は進歩しており、検査で異常はすべて見つかるし、治療が適正なら殆どの病気はすべて治るという根拠のない医療への万能感であ

る。(検査をすれば体の異常はすべて分かる筈であり、ふつう病気というのはすべて原因が解明されており、治って当然である、とい

う根拠のない万能感が一般世間にあるため、治療が始まってから新たな異常が見つかったり、治療が予定通り進まないと医療過誤だと

か、医療ミスだと直ぐにクレームをつける事になるのです。)

検査で分かることは、現在医療が持っている検査法によって、という前提であり、ある検査で異常がなかったということは、その検査

法では異常が見つからなかったというだけのことであり、正常である事とは違うのです。

ひとつの検査法では、一つの方向からある一面の異常の有無を見ているにすぎないのであって、身体全体の異常を全方向から全てを掴

んでいるとは程遠いのです。

CT,MRIに代表される画像診断の無かった、ほんの数十年前は今からみれば、異常の見落としや誤診の連続だったでしょう。

同様に数十年後になれば現代医学はたくさんの見落としをしていたことになるでしょう。

時々マスコミの報道をみると、人が死ぬことはすべて医療ミスなのかと言いたくなります。

老衰死であろうが死因にはかならず、心不全やら呼吸不全やら多臓器不全など直接的な病名がつけられますが、それを救命できないと

ミスだと考えるなら人間は死なないことになり、死ぬのはすべて医療ミスになってしまいます。

また私のかつての専門の形成外科の分野では生まれつき外観に大きな障害を持って生まれた患者さんが受診するのですが、手術して本

人の期待通りの結果が得られないと、話が違うと言って医療費を払わないとか、不幸にも想定外の合併症が起きてしまうと(あらゆる

異常を術前に把握する事は困難)、予測できなかったから医療事故だと言い、あたかも、それまでの抑圧された感情をぶつける正当性

を得たかのように医者を責め立てることもしばしばみられます。

期待どおりの結果がえられなかったのは、すべて医者のせいで、あげくは、まるで障害を持って生まれたのも医学が不十分のせいだ言

わんばかりの態度をとる人すらいます。

現在の医療は何でもかんでも分かって当然、治って当然という理解がまかり通っているのです。

もう一つの意欲喪失の要因は世間の身勝手さである。

海堂尊も言っている、困難に立ち向かって問題を解決したところで、誰も褒めてくれない。

そのくせ一度でも失敗すると袋叩きにする。

誰が世の中のために尽くす気になれるか、と。

出来るだけ何もしないに優るものは無くなるのだ。

ましてや、創造的な仕事は誰もしなくなる。

何かをするという事は、失敗をするという可能性を同時にもつということである。

過去に成功例が何例あるかが、医療の正否の判断基準であるなら何百年も同じ治療をするしかない。

学問を究め、ある理論を完全に理解したと言えるのは、その理論の限界、欠点が明らかになった時であり、それを超える新しい理論を

手に入れた時である、と脳科学者の茂木健一郎も言っている。

東北大学の電子工学の西沢潤一は『守・破・離』の言葉で同様の事を述べている。

もちろん臨床医学では新しい治療は周到、慎重であるべきは当然だが、それでも最後は、誰かが飛ぶしか進歩のしようはないのである。

現在の大学の(管理者の)体質は、その大きな障壁になっている。

どんな火の粉でも降りかかる危険があれば、その元を切るか、自らの身は遠ざけて逃げる。

しかし、自らが火の粉を播いた時は、知らぬ顔をして開き直るのである。

とにかく責任は取らないが得に徹している。

私の居た大学もそうであった、というか現に今も同じ体質である。

権力への出世の秘訣は、部下の失敗には知らん顔、手柄は横取り、私の長年のルサンチマンになっている。

あらゆる臨床外科系は再建的要素を含み(病変となった臓器を取るだけでは生きていけず、何らかの再建が必要とされる。分かりやす

い例として臓器移植がある。)、その再建の不可能性が外科系臨床科の限界性となってきた。

再建形成外科は、それらの限界性の解決を生業とする臨床科である。

従って常にイノベーションが求められ、その実施に当たっては進歩に伴う失敗のリスクを常に負う事になる。

先に述べたような医療を取り巻く現在の環境は、形成外科(の進歩)にとっては致命的であるともいえる。

従来の再建形成外科に代わる再生医療はこれまでの医療の概念を根本的に変えるものであり、外科がCrash (Resection) and Buildを基

本理念としてきたものからCrashしないでbuildのみで治療しようとするものである。

現在の再建形成外科が、少なからず再建材料としてのドナーの犠牲を要するのが大きなジレンンマであったのに対し、小片の細胞で組

織、臓器の再生の可能性を希求して、皮膚や軟骨の組織培養、組織工学(tissue engineering)の研究を始めたのが、現在の再

生医療の端緒となり、今や大きく医療革命を起こそうとしている。

しかし、それとて、臨床の初めの一歩は、誰かが医者生命をかけて、『見る前に飛ぶ』ことから始まる。

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