僕は数年前までは形成外科医でした。
医者になったのは40年も前のことですから、当時の形成外科は学生の講義科目にもなく(講座ではなく)、何をする科であるかは普通の医者では知りもしない頃で、僕が入った動機も、当時の形成外科医局が階段の下の元物置場であったという、その見るからに疎外された感じが当時の僕の心象風景に良く合ったものと思われます。
そうは言っても、僕が40年間いじけっぱなしでいたわけでもなく、
レジデントが終わった1980年には頭蓋顔面外科 craniofacial surgeryの創始者でフランスの形成外科医Dr.P.Tessier の所に留学し、我が国に頭蓋顔面外科を導入し、以後終始その発展に努めました。
まぁ、これは臆面もなく言うのですが、頭蓋顔面外科とか皮弁再建外科の分野では、幾つもの新しい手術概念を創案し、印の手術法を200近く開発し、一世を風靡?した頃もありましたよ。
自慢ついでに言えば、国際形成外科学会最優秀論文賞をはじめ受賞もそこそこあります。それが何故また、定年直前にして、全く対照な臨床科である精神医学に転科することになったのか、その思考経路は自分でもよく覚えておらず、今思うと、よく決断できたものと思っています。
また時を前後して、脳梗塞を発症しました。
本人的には自覚症状が殆どなく、TIA(一過性脳虚血)かラクナ(微小脳梗塞)くらいかと思っていたのですが、MRI画像(写真参照)では大脳基底核の広範囲に及ぶ立派なもので、どうして症状がそんなに軽いのか説明出来ないと親友でもあった脳外科の教授や、発見してくれた放射線診断部の教授達に驚かれながらも、呆れられたものです。もともとストレスに弱く(と言うか、当時のストレスが強すぎたともいえますが)、病気のデパートと言われるくらい様々な病気をし、おまけに毎年、季節の変わり目毎には発熱し1週間くらい寝込むような体質だったのが、知らぬ間に、風邪ひとつ引かない、引きそうになっても盛り返す、今でいうレジリアンス(抗病力)の強い体質に変わっていたのです。
その原因を考える中で、身体の自律機能の概念が浮かんできたのです。
趣味は仕事と言うほど仕事バカであったし、元来不器用で遊びべタな所もあって基本的に無趣味ですが(趣味を持たない老後生活が不安で、ま、それもあって新しい学問を始めたところもあるのですが)、学生時代に山岳部にいた事もあり、料理が好きで、パリ留学中の半分はコルドンブルー(料理学校)やパラディ通り(陶器、ガラスなどの食器、調理器具専門店街、バカラ本社のショールームは一見の価値があります。)に通ったほど。
元祖ダンチュウを自負しており、ジャンルを問わずこなしますが、器具と材料にこだわるのは類にもれず、作っては人に振る舞い、褒めることを強要するのが趣味であり欠点。
昨秋は勤務先病院が開催したセミナーのレセプションで、5キロものローストビーフを焼いて絶賛され、同時に料理人へのさらなる転職を勧められ、早くも精神科医としての適性の限界を実感させられているところです。
他に密かな誇りとしては、部外者ながら博多山笠を40代50代と2回完走していることくらいです。
形成外科を辞めるにあたって記念に作ったスカルの指輪。
額の2catのアレキサンドライトはかってブラジルでの学会時に購入したもの。