僕がまだK大学医学部の形成外科医であった頃は、一つの研究グループを率いており、15名くらいの若い形成外科医達に学位論文の指導をした事があった。
研究テーマは皮弁という形成外科におけるもっとも重要な再建手術の方法を、血行の面から研究することであったが、主に動脈、静脈の3次元的血管解剖の研究と、皮膚、筋肉の血行の動態の研究であった。
一人が解剖学教室に移籍して研究のインフラを支えてくれたおかげもあって、多くの成果を生むことが出来たと自負している。
新しい皮膚や筋肉の組織の機能解剖の概念を作り、その様態を全身的に明らかにした。また新しい血行形態の解剖を発見し、それらを臨床に応用し、新しい皮膚血行の皮弁の概念や、それらに基づく新しい100有余の皮弁の開発を行った。そして、新しい血行概念による皮弁分類法を提案し、それは今や世界標準にもなっている。いくつかの国内、国際的なプライズもとった。
研究は多くの成果を上げたが、教室全体の中では人間関係に軋轢を来たした。
当時我々は徹底して反主流、日蔭の立場に追いやられたので、そうなると、人はいろんな反応を示し、行動をとるものである。泥船からいち早く降りるものもいるし、どっちつかずの日和見を決める者もいる。一方、運命共同体の様に最後まで、泥船を守ってくれた者もいた。
最後まで船に乗っていた者の内、4名が集まって、先日研究グループの同窓会を開き僕を呼んでくれた。
場所は15年ほど前に、僕が良く使い、従って彼らもしばしば一緒に行ったことのある青山の‘おかだ’という、思い出深い居酒屋であった。
雑誌[大人のOFF]などが、大人の隠れ家として取り上げるのに、まさにぴったりの雰囲気の良い店である。
僕と同年の,アホの坂田似の(そういわれることを本人は、異様に嫌っていましたが、やはり似ていたんでしょうね。)、いわくありげな怪しげな亭主が、不釣り合いな可愛い女子大生数名を率いてやっていたが、数年前に他界したとのことで、今は彼の細君とうら若いが無愛想な御嬢さん(血縁かどうかは知りませんが)と二人でお店を切り盛りしていました。料理は往年と同じようなメニューでしたが、味は引けを取らず、変わらず大変おいしかった。
さて集まったメンバーですが、形成外科業界では、俗にN四兄弟と言われている諸君で、長男のS.,F.君は今はT大学千葉医療センター形成外科の教授となり、次男のN.,I.君は母校医学部の解剖学の准教授であり(彼は他大学の教授職を断り続けている。)、三男のT.,M.君はS医大川越医療センタ―形成外科教授となり、四男K.,K君は母校医学部形成外科の教授になっている。
今は、皆僕より高い地位にいるが、この場では、僕が一回り以上年長でもあり、今までの流れからも、やはり僕が一番上座に座ることになった。
僕は形成外科を離れて、はや4年が過ぎていることもあり、話題には少しついていけないこともあったが、多くは昔の思い出話であり、話が尽きることもなく、酒も進み、楽しいひと時であった。
それに今回は、僕はごちそうになった。これも初めての嬉しい、誇らしい経験であった。
ごちそうさまでした、ありがとう。
さて、いまさら先輩面するのもなんですが、老婆心から、幾つかの助言を言っておこうと思う。
各人、胸に手を当て、自分のことかと振り返り、一層精進し成長して欲しい。老兵は、ただ、そう願うばかりである。
*先ずは、立ち居振る舞いは常にきれいか気にかけてほしい。これは人として一番大切なことである、と常云言ってきたことでもあるが、それなりの立場になればなおさらである。
*石橋は叩いてもいいが、渡らねば橋の意味が無い。渡ることが大事なのである。
*律儀であるのはいいが、身を滅すほどであってはいけない。それはやり過ぎである。ほどほどに。
*権力の魔力に負けてはいけない。自分が権力に奢っていないか常に反省してほしい。
*教授職はせいぜい数十人の長でしかない。自分が常に先頭を走らなければ人はついてこないし、自分の人間力でしか人は動かない、と肝に銘じて行動して欲しい。
時の権力にすり寄ることで延命を図ろうとした者たちは、誹謗中傷をしたり、他人の仕事の成果をわが物の様に盗用するに一向に恥じないのが共通するのだが、彼等は権力者の行動を見習ってそうするのか、同じように恥知らずの思考様式を体質的に持つのか知らないが、いずれにしろ、その後を見れば、それではそれなりの人生しか送れないのである。
君たちは真逆の人生のはずだ。