前職の形成外科関係の集まりが続いた。
いずれもKO大学形成外科教室の後輩達にお誘いを受けたものだ。
一つは、僕が在籍時代に入局し、一緒に仕事をしたことのある、丁度今が働き盛りの先生達で、現在は自分で、いわゆる開業をしている先生達を中心とした7名の会で、もう一件は、ずーと若い、初めて会うフレッシュマンを中心としたY市民病院のメンバー5人に誘われての会であった。
中堅の後輩たちの会の幹事は、元赤坂で美容皮膚科、形成外科を開業しているM先生で、同時期にKOで働いたC先生が韓国のソウル大学の教授になり、この度、教授の留学制度を利用して、KO大学医学部解剖学教室に一年間来られたことを歓迎する食事会がセットされ、それに小生にも声をかけて頂いたという行きさつであった。
会場は元赤坂の「カニユニ」であった。カニユニは僕は知らなかったが、例の畏友ジョージによれば、数十年前は有名人が集まる、一世を風靡した超有名店であったようで、店のホームページを見ると、1966年創業で、アメリカでアルカポネにカクテルを作ったバーテンダーとか、帝国ホテルでシャリアピンにシャリアピンステーキを運んだメ―トルドテルとかがいたこともあるそうで、当店の名物のオニオングラタンの紹介では三島由紀夫の賛辞の一節が載っていた。
赤坂の豊川稲荷の裏手に当り、日本料理の辻留
、クレアシオン・ナリサワがプロデュースしていることで有名な洋食の東洋軒がある辺りである。お店は地下で、入り口は分かりにくいが、階段を下りてゆくと、何か懐かしい、思いっきり昭和の匂いがしていた。生バンドとボーカルがいて、70年代に流行ったいわゆるかつての大人のサパークラブの雰囲気であった。
多分、料理もサービスも昔のままで、すべてがスローでお店のペースで進められた。
自慢のオニオングラタンは、当時としては、エスプレッソ同様物珍しく、三島のようなハイソ好みには喜ばれたのだろうが、今ではリバイバルの映画をみるように懐かしむだけだった。
それも昔の事を知っている小生だから、その良さはわかったが、二回りも若い諸君にはカニユニの良さは通じなかったに違いない。
もう一つの若手の会は、会場は例の四の橋のラシエット・ブランで、メンバーは僕のホームページを見て、先輩のジジーに興味を持ってくれた3名のフレッシュマンと、医長のS先生と、中堅のY先生であった。
メニューは、又、小生が独断で決めておいたので、家にいるように気楽に飲み食いし、また大いに酔っぱらってしまった。
それに、S先生には僕の教育効果が良く残っているようで、僕の両サイドの席は若い女性が用意されており、それも酔いの速度に大いに作用した。
フレッシュマン2名は女医であったのだ。
話題は、僕の得意とする形成外科の学問の話は全く出なく、よくやるニキータごっこの食事会と同じであった。
さすがにこれまでは、医局の女医さんとニキータごっこはしたことは無く、とうとう小生もそこまで老化したかと、感慨深いものがあったが、そこは、ちゃっかりとニキータごっこ写真は撮っておいた。
もう引退して久しいのだから、これは決してパワハラにはなりませんが、セクハラの余地は残しています。
次回は「KO形成外科女子会with N翁」が開催されるそうで、今から楽しみでなりません。
後輩の皆さん、消え去った老兵を忘れずにいて下さりありがとう、感謝します。
また若くて美しい新人の皆さん(もう一人の新人、ラクロス日本代表の猿之助君を含む。)、形成ヤンジーに興味を持って下さり、ありがとうございます。
皆さん、またお会いしましょう。