嫁が3週間の入院生活の末、無事退院したので、お疲れさんということで、家人の好きな赤坂の天ぷら屋、楽亭に行った。
楽亭はおよそ20年前に、すぐ近くで旬香亭という洋食屋をやっていた斎藤元子郎氏の紹介で行ったのが最初であり、年に数回ではあるが長い年月の間にはいろいろな思い出もある。
数年のことであったが、お店の真ん前にあるマンションの1室を所有していたことがあり、そこをN’s Barと称して医局の若い連中との食事会、飲み会の二次会に使っていたことがある。
隣には赤坂教会があり、クリスマスのイルミネーションであったり、氷川神社の大みそか、元旦の初詣など、あるいはかつては近くにコルドンブルーという外人のトップレスショーをやるクラブがあったりした。
何もかも私が枯淡の境地に入る前の、まだ多少はアブラギッッシュの名残があった頃のコトデス。
さて楽亭であるが、もっとも象徴的なのはご亭主である。
寡黙で淡々と仕事をする。
決して偏屈で気難しい訳ではないが、とにかく無駄口は一切叩かず、奥方と絶妙な呼吸で仕事が流れていく。
20年通った今でも、一見の客と全く変わらない接遇である。これは見事というべきではありませんか、中々出来ないことである。
一時間間隔で予約をとり、その人数がそろうと開始になるから、遅刻する客がいると待たされることになる。
それでも15分位過ぎてしまうと見切り発車になる。
遅れてきた客は、約一時間何も食べさせてもらえない。
罰としてひたすら一コースが終わるのを待つしかないのである。
事情がわかる人なら、バツの悪い思いをするのである。
そして、たとえ一人前でも一コースが終わると、鍋の揚げ油を全部取り替える。
愛知県蒲群の竹中油脂の太白ごま油である。
まだまだ十分使えるあの油はどうなるのでしょうか?といつも疑問に思うのであるが。
天ぷらは、掛け値なしに美味しいのだが、実は他の有名店のてんぷらを殆ど知らないので、比較してどれほどおいしいのかはお話する事は出来ない。
ソラマメのかき揚げを知ったのは楽亭で、以来私の好物になっているのですが、今回は少し時期が遅かったのか出ずに残念であった。
家で真似をして作ったことがあるが、初めはソラマメの薄皮を剥かずに揚げて失敗した。
薄皮は面倒でも一つ一つ剥いて揚げてください。
そうすれば家で作ってもかなり美味しく出来ます。
海老、野菜は塩で、キス、メゴチとかアナゴは大根おろしをたっぷり入れたおつゆにしっかりつけて食べるのが僕は好きです。
そして〆のご飯は絶対に天茶がお勧めです。
天茶というものを知ったのも楽亭です。
最近の心配は、天ぷらの揚がり具合にムラが見えるようになったことです。
ご主人はおそらく70歳は過ぎているでしょうから、通い始めた頃の、50歳前後の隙のない完成された技と比較しても仕方ないと言えばないのですが、これから先どうなるかいささか気になります。
職人に限らず誰でも、いつまでも自分のピークが続くと思いがちですが、身の引き時が難しいものです。
赤坂の鮨屋、喜久好の清水喜久雄氏は特段衰えを感じさせなかったが、昨年、気力体力の限界と言って店を閉めた。関係はないが、僕も3年前に手術から一切手を引いたが、案外、大正解だったかもしれないと、今では思っている。
多分、端の者は皆そう思っているのではと思いますが。
ま、楽亭とのお付き合いは、筆おろしをした女性とずぅ?っと付き合っているようなものと言えるのかもしれませんが、それでもいつかは終わりが来るのでしょうね。
最後にご忠告を。
楽亭にお出かけの際は、遅刻はご法度です。
皆に迷惑をかけるし、自分もバツの悪い思いをしますよ。
もし僕がその場に居あわせれば、必ずや鋭く睨みつけますぞ。