雑誌BRUTUSの、「暮らしの手帳」の編集長松浦弥太郎の「男の一流品カタログ」という特集号を読んでいたら、バ―ラジオの尾崎浩司氏が載っていた。その前後に雑誌GOETHEにも載っていた。いずれも尾崎氏が京都の上賀茂の里山に建てた家を紹介するものであった。松浦は家というより尾崎の人となりが一流であることによるものであった。
「暮らしの手帳」は、かの花森安治が創った、広告を一切のせないことで、メーカーに遠慮のない辛辣かつ客観的な商品評価で評判をとった個性の強い雑誌であったので、花森が亡くなって、もう随分になるので、とっくに廃刊になっているだろうと勝手に思っていた。あの後を継げる編集者はそうはいないと思っていたからだ。
かつては、そういう個性の強い雑誌が幾つもあった。山本夏彦の「室内」、森須滋郎の「四季の味」、鈴木正文の「CAR-NAVI」などだ。室内は山本亡き後、廃刊となったが、四季の味は鎌倉書房からニューサイエンス社に代わって最近までは存続していたが、今はどうなっているかは知らない。CAR-NAVIの顛末は既に述べた。(2012.8.1グルマンライフ)
そのようなわけで、松浦氏はそれなりの個性的な力量のある人物なんだろうと思い、BURUTASを読んだのであるが、彼の敬愛する人物として3人が取り上げられていて、その最初が尾崎氏であったということなのだ。
その家は、総なら材で出来た簡素ながらも意匠と材には凝った尾崎氏の人物像を彷彿とさせるものであった。
尾崎氏は、バーラジオのオーナーで、青山辺りで青春時代を遊んだ団塊の世代には忘れがたい人であろう。
今や伝説の店になりつつあるが、最初は40年ほど前に、神宮前に、デザイナーの杉本貴志が内装をした斬新な店を出し、戦後生まれの新物好きでお洒落な若者を引き付け、やがて青山3丁目のビルの地下に、何とも妖しい雰囲気のセカンドラジオを作って見せた。
木の重いドアを開けると薄暗い中に、アンティークのグラスの並んだ飾り棚が浮かび上がっており、既にそこには別世界があった。階段をゆっくりと下りて行く時の、あの高揚感は、いつも入り口に置かれていた、とてつもなく大きくて見るものを圧倒する見事な生け花の感動と共に、今でもはっきりと覚えている。
やがてそのビルの事情で、今の青山2丁目のサードラジオに移った。今度はオールドブリティッシュスタイルの田舎家風の、今までとは丸で違う雰囲気だが、今話題になっている京都の自邸に通じるものを感じるから、お茶や花を良くする彼の基本的な好みはサードラジオにあったのかも知れない。
バーラジオでは、突き出しとして、季節のフルーツと練り込んだチーズが、趣味のいい洋皿に載せられて出てくるのが定番である。
カウンタ―には随所に小ぶりのフラワーアレンジメントが置かれ、
連れの彼女を気に入ると、そこから小さなブーケを作りプレゼントしてくれたりしたものだった。これは彼女が、彼のお眼鏡にかなったという証拠でもあった。
使っている花屋はキラー通りにあるフーガという、茶花も置く、主に商業施設が相手の、とても個性的な花屋で、紹介されて、その後僕も時々使うようになった。
彼は、独特の所作、振る舞いで店の空気にある種の緊張感を持たせていたが、物事すべてに対して、美しく一流でありたいとする彼の哲学があり、また、それを客に強いるようなところもあった。
彼は、礼儀を欠き雰囲気を壊していると判断した客には退散を願ったりした。
結構な有名人がバツの悪い顔をして出て行ったのを何度も目撃したが、大体その手の人は、テレビによく出ている評論家、有識者と呼ばれる類の人であった。
日頃、身についていない教養を傘に着て疲れていて、ついアルコールが入ると、地が出てしまうのか、態度が傲慢、横柄になり、マナーに欠けたのである。
従業員に対するしつけも半端ではないようであった。多分彼の何かのコンプレクスがそうさせたのかもしれないが、彼の出自もバーテンダーとしての履歴も公にされていないから、真実は分からない。
とにかく店で働くバーテンダーの入れ替わりは激しかったように思う。
というか、セカンドラジオの全盛期はバブル崩壊前だったので、どんどん独立して店が持てたという事情もあったのだろう。
従って、ラジオそっくりなバーが西麻布とか、地方にも乱立したもので、地方のバーでは尾崎浩司箸「バーラジオのカクテルブック」はバイブルのような存在になっていたように思う。
ある時、尾崎氏と焼き物の話をしていたら、時々パリのパラディ通りにカトラリーの買い出しに行くというので、僕も好きで留学時代はよく見に行ったよ、と言う具合で意気投合したことがあった。
その時に、店ではもう使えなくなった皿で、家庭なら十分使えるのがあるが持って行くかと、数枚くれたことがあった。
それはエルメスの犬シリーズのデザート皿3枚であった。使えないと言っても数ミリの傷である。いかにも尾崎氏らしいと思いながら、ありがたく頂戴した。
それからもう20年は経っているだろうが、未だに我が家では健在である。
その皿を見ると、思い出したかのように、時にはサードラジオに行ってみるのだが、今はもう尾崎氏は京都に隠棲したかのように、店には居ない。
いささか行儀の悪くなった昔ながらのバーテンダーがいるばかりである。
段々、個性のある店が減っていると嘆くのはジジーの愚痴なんだろうね。
個性の強い、気概のある店のオーナーも雑誌の編集者も減っているが、店や雑誌を育てる客も読者も減っているのである。
昨今の若年層の家めし、家酒の引きこもり現象と倹約傾向こそ、諸悪の根源ではないかと、密かにジジーは思うのである。
若者は雑誌も本も読まなくなったのか、雑誌の衰退も激しいし、一般に出版界は青息吐息である。
若者よ、スマホを捨てて街に出よう。
こんな風では、東京はつまらない街になってしまうよ。