今年のお正月は、海外に赴任中の息子夫婦が帰国したので、久しぶりに家族そろっての正月を過ごすことになった。
彼等のたっての希望が温泉だったので、たまには贅沢を経験させるのもいいだろうと、間違いの無いところで修善寺のあさばに行くことにした。12月中旬に入ってからの予約であったが、運が良いことに2日に部屋が取れたので、奮発して行くことにした。部屋は能観劇の前回と同じ‘雨月’であった。仲居さんもお馴染みの人が担当であり、すっかりリラックスでき、良い骨休みになった。
息子たちは初めてのあさば体験であり、私達もあさばの正月は初めてであり、大変優雅で贅沢な正月を体験出来た。
立派な門松が飾られた、あさばを象徴する古い門をくぐると、いつもにも増して華やいだロビーが迎えてくれた。今回は若女将も若主人も玄関におられ、久しぶりにお会いできた。若女将は二児の母親となり、落ち着きと艶やかさが増し、さらに美しさが磨かれたかのように見受けられた。
お正月は、能舞台で雅楽と舞が行われるとのことで、それは予想もしていなかったので、春先から幸運であった。今回は能と違って、浴衣のままの観劇でよいとのことであったが、写真を撮るのは懲りたので、目だけでしっかり眼福を楽しんだ。
雅楽の奏者は3人で、笙とヒチリキと横笛を演奏し、横笛では鈴を持った巫女さんが登場し舞を舞った。黒田節のようなメロディから始まったので、おそらく最初の雅曲は越天楽であり、後はその編曲であったのかもしれないが、よくは分からなかった。
雅楽をきちんと聞いたのも初めてで、西洋楽器と違って音階も不安定で、ハーモニーもとれていないように聞こえ、何とも奇妙な音色に違和感はあったが演奏する風情は抜群で、巫女さんの舞も美しかった。
家の近所の大宮神社の巫女さんの舞とは、だいぶ違っていた。
まるで平安時代の貴族になったかのようで、正月気分も盛り上がったところで夕飯になった。
献立はお正月メニューでいつもとすっかり感じが変わっていた。まず、数の子から始まり、3段重のお節が出され、あさばでは、いつもは出ない鮪の刺身がヒラメと紅白で出された。恒例の黒米アナゴ鮨と鍋物は無く、ご飯はとろろであった。
3段重は山海の珍味がこれでもかと言うくらい並んでいて、これでは我が家でお重を作ることはなかったと、悔やまれたのであった。種類も量も多く、女性たちはお重でもはや満腹の体であった。
個人的には、初めて美味しいと思えた伊達巻というものに出会えたし、田作りも自作のものより口に合ったというのも初めての経験であった。料理人の仕事の深さを感じた。
それに今回は友人から開院祝いに頂いたシャトームートン・ロートシルト95年を持ち込んでいたので、これ以上は無い贅沢な祝い膳になった。
あさばには葡萄のエンブレムを着けたソムリエが居り、きちんとワインの世話をしてくれるからワインも安心である。
ちなみにあさばのワインリストにはロートシルトもラトゥールもあった。
参考までに言えば、開栓料は税込3500円でした。
翌朝の雑煮は丸餅白みそ仕立てと切り餅澄まし仕立ての選択が出来た。サロンでのコーヒーも、凛とした正月の空気であった。
まだ学生の頃、父親が何の風の吹き回しか、家族全員を引き連れて京都の俵屋で正月を過ごしたことがあった。5つ星の高級旅館に泊まるのも初めての経験であり、初詣に行った八坂神社で縄に火をつけて、くるくる回しながら旅館に帰ったことや、京都の丸もちの白味噌仕立ての甘い雑煮や、俵屋の設えの完璧さなど,細事にわたって良く記憶しているのは、それだけ感激も深かったのであろう。
その鮮烈な記憶が、今、自分が親になって子供に同じようなことをする動機になっているのかもしれないなあと、風呂に入りながら亡き父親を思い起こした。
白状すれば、私はまぎれもないファザコンであり、オヤジの背中を見て育ち、オヤジの背中を追いながら今日まで来、結果、超えるどころか丸で追いつく事すら出来ず、ただ徒に年を重ねてしまいました。
僕は、息子には父親として誇らしいことは何も残せていないから、失敗続きだったけど、最後まで常に新しいことに挑戦し続けたという姿勢だけは貫いておこうと、思いを新にし、30年前の老いた父親を自分に重ねてしみじみとし、両手でお湯を掬い、何度も顔を拭ったのでした。
帰路は、息子夫婦を新幹線三島駅で降ろすことになり、三島に来たからにはお昼は“桜やの鰻”にしようと電話してみると、予約待ち250名というので諦めた。
250名という数字にはびっくりしたが、これは三島市民の正月行事?になっているのか、それともアベノミクスの効果なのでしょうか?
三島からの帰りは、東名が大渋滞だったので、熱函道路、ターンパイクから厚木インターの迂回コースをとったのが大正解で、渋滞にもあわず、おまけに狩野川べりからの美しい富士山も見ることが出来ました。
このところのあさばは、何かしら安定感が薄らぎ、どこかに不安が感じられたが、今回の訪問では盤石で、再びためらいもなく、あさばファンを名乗れる自信を回復する旅となりました。