GWは、長野県の立科の山荘開きに行くのが恒例であり、今年も5泊6日で出かけた。
三日もすると、持ち込んだ本にも飽きが来て、家から昔疎開してきていた本棚を覗いてみると、古いグルメ本が何冊もあった。
中でも映画評論家の故荻昌弘の「男のだいどこ」は若い頃読んで、もっとも啓発された印象深い本であったので、暇つぶしに再読してみた。
かつて、この本を読んでからというもの、小生も、京都に行けば錦市場、札幌に行けば二条市場、金沢に行けば近江町市場を徘徊するようになったし、合羽橋で厨房用品を探す楽しみも覚えたのである。
この本は昭和47年6月が初版であり、僕が持っているのは昭和48年3月の第6刷であるから、なんと9か月の間に6冊を重ねたベストセラーであったのである。
昭和48年は僕が大学を卒業した年であるが、小生もそうであるが、既に今のダンチュウ族の元祖たちが啓蟄を待つ蟹のようにうごめいていたことになる。
その後バブルの到来でグルメブームは爆発したのであるが、当時と昨今のグルメの決定的な違いは、当時は料理を自分で作ることが基本的関心事であり、そのための情報収集に食べ歩き、食材や器、盛り付けなど、プロの美学を自分で再現しようとしたのであって、決して高級店へ出入りする自慢や、新規開業の店の太鼓持ちなどはしなかったのである。
バブルは男のグルメを、単なる食通気取りに変えたのである。
荻は食通と言われることを本気で嫌がっていたそうである。
荻の文章は、高い知性と深い教養を伺わせるだけではなくユーモアに溢れており、珠玉のエッセイ集になっている。
食一般に興味のある方には、これは必見の書であることは断じて保証出来る。
「男のだいどこ」は、まもなく文春文庫にもなったが、今は光文社からも文庫本になっているので簡単に手に入る。
後ひとつ必読の書を上げるなら、壇一雄の「壇流クッキング」をお薦めしたい。これも文庫本になっている。
男のだいどこの冒頭の「君子厨房に入る」では、男が食うを語るはみっともないか、と問いかけ、男が買い物籠を下げて商店街を歩く快感を言い、男の食い意地でみっともないのは、通ぶって有名店の顔であることや、店の評判を自分の手柄のように自慢し威張る輩であると断じている。
そして、京都の大市のすっぽんは「世界でこれ以上旨いものはない」宣言されても、否定する根拠は見つからないといいながらも、美味珍味はたまに食べるからこそ旨いのであるとし、大市のすっぽんでも3日と続けては食べたくはないと言っている。
そして戦後の社会が獲得した「特権の市民化」は「名品」の規格量産化につながり、千葉のいわしのみりんぼしや白と青の缶のクッキー(泉屋のことか?)の大衆化と、その変質を皮肉っている。
その対称的な存在として、麹町のクッキーのローザとか、日本橋のアラレの枡久、京都の干菓子の亀屋伊織をあげて、利に走らない頑固さを賞賛し、さらに全国の地方で見つけた埋もれた逸品を、余すことなく見事な語り口で紹介し見聞の広さを見せている。
当時の、食を書かせて優れた名文家は、獅子文禄、吉田健一、開高健、丸谷才一、石毛直道、渡辺文雄、伊丹十三など食を職業としない人に多いが、食と性という二大本能をうまくかみ合わせ巧みなジョークに組み立てる才能は荻の独壇場であるし、味覚を語る語彙と表現力の豊かさは、今日の食を語るグルメ評論家の遠く及ばないところである。
試しに「鍋物大全」の章をお読みになれば、小生のいわんとする意味がお分かりいただけよう。
昨今のメディアのグルメ番組に登場し、「軟らかーい,甘ーい」と目をつむり、のけ反るだけの芸能人の表現力の乏しさは、慣れっこになったが、一方で車好き向けの「ノーカーノーライフ」というテレビ番組で、ゲストと共に登場する車を毎回、「カッコイー」としか表現しないMCを務める芸人はどうにかならんものだろうかといつも思う。これらの番組は生放送ではないのだから、台詞として誰かが教え込めばいいだろうにと思うのだが、番組制作者にも、もはやその力もないということなのだろうか。
当時、荻は50歳そこそこであるのに、バー、クラブという女子の居る店から足を洗ったいい、その言い草は「女を口説くには酒はあったほうがいいが、酒を飲むときは女は要らないサカナである」といっているが、小生は60をはるかに過ぎても、うまい食事には、テーブルに美しい花があったほうが更においしくなると思うし、銀座の超庶民的キャバレー「白いバラ」へ行って、娘の年より若い女子(小生には実娘はいないが)と、でたらめな嘘のつきっこをして、もてたようにだまされた振りをするのが、また楽しくなった。要は、小生は、女を口説く楽しみがある時以外は酒は飲まないということになるのであろうか。
この本は、小生には、まだまだ修行が足りないゾと、色々教えてくれる教科書にもなっている
そしてあとがきで、著者の主題は二つであるとし、一つは、食を語り、台所に入って食の実作に手を染めることが男にとって恥でも何でもないではないかという提言であり、もう一つは最近の(注*昭和47年頃)日常の市販食品の胡散臭さは何とかならぬかという問いかけ対する同意である。
その最も酷い例として鶏のブロイラーを上げ、人間が作ったあれほど無味で虚無的な食品もないだろうから、さすがにブロイラーの運命もあと10年だろうと予言している。
これは卓見であった。現在では、あの数十年前には鶏の代名詞であったブロイラーも、さすがにまともなスーパーからは姿を消したように見えるし、男の料理は、今では恥でも何でもなく、持て男の一つの要素にすらなっていると聞く。
しかし芸能人が料理をして見せる番組は、どうも胡散臭くていけない。料理は、それを職業としない限りは男にとって、趣味道楽のものであり、お足を稼ぐものであっては本道を外れると思うからである。
もっとも僕にとっては、料理は生活の手段にもなっている。なぜなら、ここ蓼科生活では全食作るのが、昔から小生の義務になっているからである。
今回は久しぶりに、ダッジオーブンなんぞを持ち出して、オー・プロバンソーの中野シェフのレシピでブッフ・ブルギニオン(彼はハヤシライスと言っているが。)なぞ作ってみましたが、いざソースの仕上げに入るや、フォンド・ボーの缶が無いことに気付き、味は半端なものになってしまいましたが、「ここは山中にてやむを得ない、第一、美味しいいちぼ肉が手元にあるだけで有難いではないか」と諦めることが出来る心境に小生もあいなりました。この心境こそは、中村天風師の説く安定打座(あんじょうだざ)の教えが導きたもうたかもしれぬと、中村天風を教え、薦めてくれたN.Y.君に感謝したのである。
そう、今年の山籠もりは精神修養の場でもあったのです。