天麩羅は鮨と並ぶ、和食の雄である。
日本の男は、人に紹介できるくらいの天ぷら屋の一軒位は常に持っていないと粋とは程遠いであろう。
以前、赤坂の『楽亭』に20年以上通っていると、ここで書いたが(2013.7.6.グルマンライフ参照)、楽亭の主人が亡くなって、店も閉めたと聞いたのが、今回紹介する『天真』の亭主からであった。
天真は、住所は平河町であるが、麹町駅からほど近く、小生の仕事場からも3,4分ほどの距離であり、ランチで天丼を食べに行ったりしているが、たまには人を招いてディナーで行くこともある、お気に入りの天ぷら屋である。
天麩羅も、日本料理や鮨、蕎麦をはじめフレンチ、イタリアンでもそうであるように、系列と言うか店主の修行し育った出身店によっていくつかに大別される。
天麩羅は鮨に比べれば店舗数そのものも少なく、関東の天麩羅屋は「天一系」「天政系」「山の上ホテル系」「京星系」「みかわ系」くらいで殆ど網羅されるという。
『天一』は銀座に大店を構え、弟子も一番多く、最も有名な老舗である。なかでも「天亭」は良く知られている。以前に紹介したが、天一は群馬の谷川温泉に建築家吉村順三の遺作となる「天一美術館」を持っている。(2013.5.16.CASA-AF参照)
『みかわ』の主人も美術、書画骨董には一家言のある人でコレクターでもあるが、天ぷらの科学性にもこだわる人であり、それらが少々薀蓄、説教くさいと思うのは小生だけではあるまい。但し、天ぷらは説明通りに味わえば確かに旨い。
『山の上ホテル』は、昔から作家が執筆に専念するように出版社から缶詰にされる宿として知られ、多くの文人がそこの天ぷらを贔屓にし、池波正太郎等が隋筆で紹介したためにつとに有名になった。歴代の料理長の多くが有名店を構えていて、『近藤』や『楽亭』がその筆頭格であろう。小生はなぜか「近藤」には縁が無いままであるが、「楽亭」には随分世話になった。
『天政』の初代は、天ぷら紙に油が付かなかったという伝説があるくらいの天才職人であったらしいが(小生は実際には知らない)、その天政の一番弟子が『天真』である。
天真の天麩羅は、四日市の九鬼のごま油と綿実油の混合で、衣をフワッと揚げるのが特徴で、「みかわ」のようにカリッと脱水させないところは『楽亭』に近い。最初にサイマキ海老から始まるのは定番通りだが、頭の素揚げが最初に出るところが面白い。多分それなりの理由があるのだろうが、未だ聞いてはいない。
それと最後のご飯に、かき揚げをばらしてご飯にまぶした、「天バラ」というものがあるが、天政流なのであろうか。
天真の主人は、楽亭の故亭主と対称的に饒舌であり、世相にも詳しく教養も深い。特にワインには一家言がありそうで、ワインのストックも多い。
ちなみに天麩羅には一本目はソーヴィニオン、2本目はシャルドネが彼のお薦めである。
天ぷらはどれも美味いが、小生はメゴチや秋口のハゼなど江戸前の白身が特にお気に入りである。ソラマメ、アスパラや銀杏などの野菜系の揚げ具合も絶妙である。
店は、カウンターの他テーブル席が一つと、揚場のついた個室が一部屋ある。無論目の前で亭主が揚げてくれる、お座敷天麩羅であり、神楽坂の『天孝』と同じスタイルである。仲間内でくつろぎたい時、お忍び、接待には使い勝手が良いだろう。
今は、楽亭の後継として、それ以上に『天真』に大いに満足しているのである。