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『エルバダナカヒガシ』に行ってみてー京都の料理人について思ったこと

昨年の一月にイタリアン『エルバダナカヒガシ』が西麻布に開店して話題になった。
エルバとはイタリア語で草という意味なので、ピンと来る人も少なくないと思う。
そう、そこは京都銀閣寺そばの『草喰なかひがし』の中東久雄氏の子息、中東俊文氏が開いたお店である。
小生も野次馬根性で、しばらく前に行ってみて、京都の料理人について思うところがあった。

料理人は、それも京都ともなると100年以上も続くような老舗料亭の世襲の何代目とかいう「エスタブリッシュメント・伝統派」料理人か、有名料亭で修行をしてそれなりの割烹料理屋か板前割烹の店を構える「インディーズ独立派」料理人かに、大きく二通りであろう。もっとも後者も既に世襲が始まってきているのでその区別は歴然とはしないのではあるが。
老舗料亭で今なお盛業中の代表的なものは「瓢亭」「」「和久傳」「菊の井」「平八茶屋」などがあり、「吉兆」、「美山荘」もこのジャンルに入るのだろうか。
後者では『たん熊」「浜作」「千花」「川上」「丸山」、「さかもと」などや、それに昨今話題の「未在」もこれに入るのではないか。

「エルバダナカヒガシ」のルーツである『中東』は初代が、京都のはずれの花背の里で、「大悲山峰定寺」再興の際、宿坊を営んだのが始まりで、3代目の中東吉次氏の代になって料理旅館『摘み草料理・美山荘』と改称し料理人の世界に入り、食通で名高くかつ鋭い美意識で知られた立原正秋や白州正子に気に入られ世に出ることになった。
現在は,長男の中東久人氏が4代目を継ぎ(早世され、現在はその子息が5代目)、二男の中東久雄氏は銀閣寺近くで、『草喰なかひがし』を開き、伝統的京料理とは一線を画した竈ご飯と野菜中心の地味な食事でミシュラン関西の2つ星にまで登りつめた。次女が、テレビで軽妙な話術で人気の美人料理研究家の大原千鶴氏である。
この輝かしい家系を背景にイタリアンレストランが登場したのであるから、注目を集めるのも当然であったのかもしれない。

さてエルバダナカヒガシの料理であるが、京野菜それも、特にこだわった地域のものを斬新な手法で供しようとする意欲的なものであったが、意欲が先に立つ余りか、少々押しつけがましくも思え、空回りしていた感は免れえなかったようにも感じた。この先幾シーズンかして俊文シェフのスタイルが完成されるならば、食べる方ももう少し肩の力を抜いてリラックスして食べられるのではないだろうか。テノワールを大事にして野菜を上手く使うセンスはさすがであり,「中東」に新しいレジェンドが加わる日も遠くないように思った。
具体的な料理の詳細は、時間が経ってしまった上に、席に献立書きの用意が無かったこともあり、正確には書けないので写真を見てイメージを膨らませて頂きたい。

始めたばかりで実力の程も定かでないうちから、名前だけで評判をとれるのは料理人の他には、おそらく歌舞伎や政治など世襲のはびこる世界くらいであり、そこでは必然的に継代による劣化が問題になってくる。
歌舞伎の世界では、芸の本質を一般人が評価するのは難しいから、どんな ボンクラやヤンチャでも何とかなってしまうのは昨今の歌舞伎界を見れば明らかであろう。
しかし、それは一般国民には実害が無いからどうでも良いが、政治の世界は実害が社会の根本に関わるから大いに困ることは、今の安倍晋三内閣を見れば明白であろう。岸信介―佐藤栄作―安倍晋太郎と続く名門血統でありながら、民主主義をまったく理解出来ず、政治権力を私物化して恥じ臆することがない安倍晋三首相は劣性遺伝の見本である。

しかし世襲が必ずしも劣化を招くとは限らない。
京料理の老舗料亭『瓢亭』や『菊の井』の現当主たちは、京料理の伝統維持と国際化にも熱心で、フランス料理やイタリヤ料理などの有名料理人との交流を進めており、そのおかげもあって、和食が世界文化遺産にもなったのであるが、中東俊文氏がイタリア料理を目指すきっかけにもなったのであろうと思う。

これら伝統派は、全員ではないだろうが、店を引き継いでいこうという使命感があり、まじめで勉強にも熱心な料理人が少なくはない。
一方独立派要理人は個性的で料理の革新もに熱心であるから世間の注目を集めやすいが、何よりも特権的富裕層に限られていた京懐石の高い敷居を下げて、一般人でもそれを食する機会を与えてくれた功績は大きい。

東京にも、多くはないが京料理の味を引き継ぐ名店がある。
新橋「京味」赤坂『菊の井』虎の門「と村」麻布十番「幸村」そして最近話題の南青山「宮坂」などである。菊の井を除けば、基本的にインディーズである。
「京味」の西健一郎氏は父親西音松氏が店こそ持たなかったが、京都の有名な料理人であったことから京都のDNAを引き継ぐが、インディーズの料理人の多くは地方(東京を含む)から京都の有名店に修行に入り、才能を開花させ独立を果たした料理人である。
彼等に共通してうかがえることは、皆ことごとく京都弁、京都なまりを使うことと、野菜は無論京野菜にこだわるが、他の食材、水でも器でも何でも京都が一番と信奉していることである。それはおそらく京都育ちの料理人であることのプライドから来るのであろうが、時に度が過ぎ滑稽に思えることもある。
「未在」出身の青山「宮坂」では、赤だしの八丁味噌の種類を尋ねたら、なんと京都産との返事であった。
(小生は八丁味噌の生産地、愛知県岡崎市の出身であるから、八丁味噌は「早川のカクキュー」と「太田のまるや」の2ブランドしかないことを熟知しているから、そのどちらのものかと尋ねたのであるが、、)

京料理といえども、「京都ブランド」に頼り過ぎていては底が知れるのである。

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