かれこれもう30年近くも前になるだろうか、「ひらまつ」の平松宏之氏に誘われて、彼の友人の建築家と小生の3人で柏の蕎麦屋「竹やぶ」に行ったことがあった。
竹やぶの主人,阿部孝雄氏は「ひらまつ」の常連、友人であり、小生もパーティなどでよくお会いし面識はあったのである。
道中、与太を飛ばしながらの楽しいドライブの思い出である。
竹やぶに囲まれた小高い山の上に洒落た和風の建物があり、何よりもそのアプローチが洒落ていた。門は茅葺で、林の中を行く坂道は鉄の曲がった手すりと足元灯が、何とも言えない味わいを出していた。それはロートアイアン作家の松岡信夫氏の作品であった。
蕎麦は、店主の阿部孝雄氏が自ら石臼でそば粉を引くところから全てやってくれて、竹やぶ至高の蕎麦を味わったのである。
その後竹やぶは人気を博し恵比寿に支店を出したが、そこも同じ松岡氏がインテリアを担当しアイアンの手水が店の中央に置いてあったりして、とても粋であった。蕎麦も本店の味を上手く引き継いでおり、気に入って小生も恵比寿店にはしばしば通ったものであった。恵比寿店は六本木ヒルズが出来た時にそこに移ってしまい無くなったが、その頃、箱根のオーミラドーの奥の山中にも出店した。箱根店のインテリアは松岡氏の担当ではなく店の雰囲気も変わってしまい、同時に蕎麦の味も少し変わったと感じた。
そしてこの4月の上旬に、安孫子にある松岡さんの自宅と工房を尋ねる機会があり、チャンスとばかりに竹やぶに案内していただいたのである。
まず驚いたのは店構えの変貌ぶりであった。かつての入り口の門の茅葺屋根も、アプローチのロートアイアンの手すりも足元灯もすべて無くなり、コンクリートにタイルやビー玉や皿を埋め込んだモザイクのようなものに一変していたのである。かなり長い坂道のアプローチもすべて同じモザイクタイル風の作品で埋め尽くされたのである。作者は店主阿部孝雄氏である。キノコ風のオブジェがあったり、塀や壁には皿が埋め込まれていて、ちょっとしたアジアンテイストのテーマパークの雰囲気であるが、フランスのシェバルの城をモチーフにし、阿部氏が数年かけて、コツコツを作りあげた作品とのことであった。
これらが蕎麦屋の雰囲気に良くマッチしているかどうかは別にして、ダリ並みのセンスで見事に統一された作品群は相当な美意識が無いと出来ないだろうと心底脱帽したのであった。
しかし、自分の作品を完膚なきまで壊された松岡氏はさすがに怒り、10年以上も絶交状態になったそうであるが、やはり竹やぶのそばの味が忘れがたくよりを戻したそうで、そのお蔭もあって、今回私達を案内して下さる手筈になったのである。
しかし変わったのは店構えばかりではなかったのである。
蕎麦もすっかり変わっていたのである。
田舎蕎麦は、こしが全く無くなり、風味も弱く、かつての竹やぶの蕎麦の面影を感じることが出来なかったのである。聞くところでは、阿部氏は庭づくりに専念し始めた頃から蕎麦を作ることから手を引いて、子息や弟子に任せっぱなしにしているそうである。
阿部氏は蕎麦が変わっている事に気付いていないのか、あるいは阿部氏の考える蕎麦の進化形が今の味と言うことなのかもしれないが、なんせ相手は蕎麦の神様であるから真偽をただすことは出来なかったのである。
蕎麦がきは、蕎麦の実を粒状に砕いたものを蕎麦粉に混ぜて作られており、こちらは風味がさらに豊かになり、確かに蕎麦がきの進化形であると理解出来た。
にしん蕎麦を最後に食べたが、にしんは奥方である女将によれば、醤油一升瓶を20数本使い2週間かけて仕上げる渾身の品だそうで、たしかに崩れるように柔らかく美味かったが、蕎麦の方はやはりぴんと来なかった。
竹やぶの蕎麦は、蕎麦と言う食材が、ここまで香り高く、のど越しを楽しむ滋味あふれる奥の深いものであることを教えてくれ、その後の小生の蕎麦のスタンダードになった。以来東京の伝統を誇る蕎麦の老舗でも、蕎麦の美味いという地方の名店でもなかなか感動するそばに出会うことは少なかったのであるが、依拠してきたスタンダードの味がここまで変わってしまうと、永年の人生の価値基準を失ってしまったようなもので、大袈裟に言えば依って立っていた処を失った自我喪失の思いであった。
竹やぶ出身で、白金から広尾に移った「三合庵」は今でもかつての竹やぶの味を守っており、小生も永年のフアンであるが、現在の阿部氏にその評価を伺いたいものである。
帰りは阿部氏が駐車場まで送ってくれ、記念写真を撮ったりしたが、まるで高僧のように温和なお人柄が風貌に現れているのである。
人は何かを極めることで美意識が変わり、やがて味覚の基準も変わっていくものなのだろうか?
脳科学的にも興味深い体験の一日であった。