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理解のための基礎知識-フロイトの心的構造と自我

以下の記述は、自我心理学の専門家からみれば、浅い理解かも知れませんが、
これから自律機能主義を考えていくために、その名前の由来の基礎知識として理解して下さればと思います。

フロイトは『精神、心』というものを自我、エス、超自我の3層に、『意識』を意識、前意識、無意識の3空間に構造化して科学的に捉え解釈しようとしました。

自我(ego)とは、「私はこういう人です」「これが私です」というthe I, the 私であり、
アイデンティティにつながる自己概念のことですが、ここではその自我をコントロールする機能的な要素をもう一つの側面として持っています。

エス(id)は the it の意味で、自分の中にあるが自分ではない、自分が知らない世界と言う意味です。

自我が締め出してしまった本能的な欲動であり、自分の中にはあるが自分では気づかない世界のため、人格のない3人称の「the it」で表し、その主体は自我を動かすエネルギーの源泉となる本能的な欲動のようなもので、一つはリビドーと言って、かっては性本能とされていましたが、今は、前向きに生きようとする、人を愛し、仲良くしようとする、というような愛情的で生産性のあるポジティブな欲動であり、もう一つはアグレッションで敵対的、攻撃的、破壊的な欲動で、死の本能ともいわれたりします。

その他に、エスの中には単に欲動、衝動の混とんが入っているだけでなく、それにまつわる記憶、感情、願望など意識化してはいけないもの、意識化出来ないものが入っているとされています。

超自我(super ego)は、自我がこれらの欲動をコントロールしてうまく現実対応しようとする際の、そのコントロールの基準を示すお目付け役、監視役の役割を果たします。
親の表徴を取り込んで、最初の超自我は出来るとされ、健全な大人ではそれは成長し自我理想になり自我に統合されていくとされます。

フロイトは、自我は、外的世界、エス、超自我の奴隷であるようなものだというように表現しています。

意識の理解ですが、意識とは自分で自分を自覚している世界をいい、前意識とは自覚しようとすれば出来るが、普段は自覚していない世界のことを言います。
無意識は自覚しようとしても自覚出来ない世界のことで、例えて言うなら、意識は表舞台で無意識は楽屋、前意識はその中間というところでしょうか。

フロイトは当初は、自我のことを、本能、欲動という無意識に対立するものとして、これを統制する意識として考えていましたが、無意識の中にも防衛という対立する働きがあるのに気づき、無意識、意識の局所的対立論から自我、超自我、エスという3層構造論に進み、今は自我は前意識、無意識、にも存在し自分を何とかするためにあらゆる操作をする機能と考えられています。

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