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心の部屋

レジリエンス心理学②

背景
「病気とは何か」は、古来より医学が抱える哲学的な命題であった。

基本的には、発病過程を重視する「発病モデル」と回復過程を重視する「回復モデル」で論じられてきた。

「発病モデル」は、病気や症状は身体の故障として位置付けられ、症状は発病過程の一部と解釈され、治療は発病過程や症状を制御し、逆過程を生じさせることで行うとされた。病因が特定されれば、それを取り除くことが治療目標になる。
治療は、いわば病気という自然現象に逆行的、抵抗的に取り組もうとするもので、現代医学は「根本原因を措定し、それを発見し、その原因を取り除くこと」を治療戦略とする発病モデルを採用しているのである。

「回復モデル」は、病気の回復現象を重視し、「病気は自然が治してくれる。自然は癒す手立てを自力で見つけることが出来る」という自然治癒力の存在を言ったヒポクラテス、「病気は,新しい均衡を獲得するために人間内部で自然が行う努力」としたカンギレムなどヒポクラテス学派に起源を持ち、現在にレジリエンスモデルとして続く回復モデルの主張は、歴史的には1)症状は生体の適応形態の一つである、2)生体には自然治癒力がある、3)回復は発病の逆過程ではない、4)生体には環境に適応する能力がある、5〉治療は病因を排除するものではなく生体の適応能力を適切に導くことである、などである。 

古代ローマのアスクレピアデスは、自然は目的を持たないものであり、医学において自然の合目的性に期待する自然治癒力を幻想として否定し、病気はアトム(原子)の変化で生じるという原子論的、機械論的な自然観を既に述べている。

17世紀になると自然科学の隆盛とともに反ヒポクラティズムが主流になってきた。モルガーニは「人間全体が病むのではなく、臓器が病むのである」とする器官病理学的な考えを言い、ウィルヒョウは「病気という実在は変質した身体部分である。病気の実体は、組織であろうが器官であろうが、根本的には変質した細胞ないし細胞塊である。」と述べ、「病気がそれ自体立派な存在である」とする存在論が登場した。存在論的病気観は、細菌の発見による感染症の原因説明と抗生物質治療法の確立、ホルモン・ビタミンの発見による代謝性疾患・ビタミン欠乏症の説明と補充療法の確立、遺伝子の発見による先天異常疾患の説明なので大きく説得力を示した。そこでは自然回復の現象があることは認めるものの、それは偶然によるものであり自然の持つ「力」ではないとされ、自然治癒論は衰退した。

このような機械論的自然観の中でも自然治癒力の存在を主張したのがシデナムとシュタールであった。シデナムは「病気とは回復への努力、自然の治癒過程である。」「病気とは他でもなく、病気を引き起こす物質を、患者の健康のためにあらゆる力でもって排除しようとする自然の試みである。」と言い発熱を例に挙げた。発熱は駆除すべき病気の症状ではなく、治癒過程の現象であり、解熱するのは自然治癒過程を逆行させるものであるとした。
シュタールは自然治癒力の根拠として「生命原理」を想定し、病気とは侵入した害毒に対する生命原理の闘いであり、症状は回復過程を表しているとした。
1800年代に入るとベルナールは著書「実験医学の原理」の中で「ヒポクラテス医学に立ち戻りつつ、実験医学によって発病の法則と回復における自然治癒力の科学的解明とその治療応用を目指すべきとする「ネオヒポクラティズム」と呼ばれる医学思想の端緒を開いた。

近代では組織病理から細胞病理、分子病理と進化し遺伝子レベルで病気が解明されつつある。そこでは自然治癒力は死語になったかのように見えたが、キャノンのホメオスターシスの概念として復活した。かき乱され補強する必要のある身体の自動調整作用・恒常性(ホメオスターシス)を効果的にすることが治療であるとした。
ラボリは、「病気とは生体の環境に適応しようとする努力である」「病気とは侵襲後の生体が示す侵襲後振動反応の不調和によるものであるとみなし、侵襲後振動反応を制御するのが治療である」とし精神薬クロールプロマジンの働きを位置づけた。

ノイブルガーは自然治癒過程の理解について3つの基本的な見方に整理している。1)はヒポクラテス的な見方で、「ピュシス(自然)が具体的に何かは示されなかったが、ピュシス(自然)が自然治癒力や生命現象を導く」とするもので、2)は、シュタールの唯心論的な見方で、「自然治癒の基盤を<身体と不滅の霊魂との間に存在する生命原理>の中に見出した考えである。生命現象は、「生体の保持を目指し、自発的治癒や自動的再生、組織の代替があり、有機体の中では分解に抵抗する非物質的能力が絶えず働いており、それを生命原理と名付けた。この生命原理というものが自然治癒力の説明となっているが、治療に対する考えは変わっていない。3)自然科学全体が機械論的自然観に変化していく中で、因果律が信奉されると目的因が拒絶され、それが自然治癒力の概念を否定する方向になった。自然回復現象の存在は認めるが、自然治癒力の存在は否定し、あくまでもそれは偶然に過ぎないとする立場をとった。

近代医学とは、自然治癒力を否定し、その代わりに病気の法則を明らかにしよと努め、病気を物理、化学的な現象にまで還元し分析的に明らかにする方向で進化して来た。つまり回復モデルの否定と発病モデルの発展であった。

以上のような治療モデルの歴史の中で、現代精神医学において明確な予防・治療的視点を打ち出す理論を背景に持って登場したのがレジリアンスモデルである。
レジリエンス・モデルとは、発病の誘因となる出来事、環境、ひいては病気そのものに抗し、跳ね返し克服する<心身複合体としての個人に備わる復元力、回復力>を重視し、発病予防、回復過程、リハビリテーションに取り組むよう理論化されたものであり、病因論の観点からは、病因を一義的に特定する立場は取らず、単純な因果論的見方から離れ、発病は非線形的、複雑系に決定されるという柔軟な立場から、基本的には「心身複合体としての個人に備わる病的状態への抵抗力(レジリエンス)」が弱体化したために発病するとの立場をとり、従って治療とはその病的状態からの回復力・復元力(レジリエンス)を引き出し、助けるように心がけて取り組くものとなる。

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レジリエンス心理学①‐レジリエンスとは何か?

「レジリエンス、レジリアンスresilience」という言葉が広まってきた。一般社会では、「レジリエンスで逆境を乗り越え成功に導く」とか「へこんでも折れないレジリエンス思考」など、いわば昨今のアドラー心理学やポジティブ心理学などと同じように啓発本の原典としての登場である。

レジリエンスはいまだに明確な定義がなされてはいないようだが、本来は物理学用語で、ストレスに対する反対用語であった。ストレスは圧力・応力の意味であり、力によって歪む状態をイメージする。レジリエンスはそれに抗する力で、ゆがんだ形を元に戻すことイメージした回復力・復元力の意味である。

精神医学への登場は、1960年頃、心理学者ウェルナーが、同じような脆弱劣悪な幼児環境に育だった子供たち600名の長期の成長観察をし、3分の2は、おそらくと予想した通りに、うまく社会適応できずに成長したにもかかわらず、3分の1は、きちんと成長し社会的に適応して生きているのが分かり、その差は個体の持っているレジリエンスの力の差である、としたのが始まりとされている。
大まかにいえば、レジリエンスとは、同じ状況にあっても逆境に陥りにくい、また陥ったとしても、そこから回復、再起する力のことを言う。つまり、こころの要素,因子であり、かつこころの動的な過程を意味する。
その力を研究するのがレジリエンス心理学といって良いであろう。

Ⅰ.レジリエンスとは何か?

精神疾患の理論モデルとして、そして定義
精神医学の領域で1980年以降これまで力を持ってきた精神疾患理解のための理論モデルは3つである。
1.脆弱性モデル:発病促進的に作用する生物学的な基礎を持脆弱性を想定するもの。
2.ストレスモデル:病院が特定のストレスに一義的に決定されると考える。
3.生物心理社会モデル:脆弱性を持つ生物学的な要因と心理的要因、ストレスを含む患 者の社会的要因の総合作用によって病態の把握を目指す統合的なモデル
上記3つが病因論的な立場からのモデルであるが、病気の予防、治療論的な立場からの疾患モデルとしてレジリアンスモデルがある。
4.レジリアンスモデル:ここでは病因を単純な因果論的な見方から離れ、一義的に特定する立場を取らず、個人を心身複合体と捉え、発病の誘因となる出来事・心理社会的な要因、身体・生物学的な要因ひいては病気そのものに対し、抗し跳ね返し克服する心身複合体としての個人に備わる復元力あるいは回復力(レジリエンス)を重視・尊重し発病予防、回復過程を説明するものである。

ウエルナーの研究に端を発し、1970年ころより欧米では、環境に恵まれない、トラウマを持った子供たちをいかに逆境を乗り越えられるように導けるかの戦略上、レジリエンスの用語が登場するようになって来た。

「レジリエンスresilience」は、オックスフォード英語辞典では、「跳ね返る、跳ね返す」という意味から「圧縮された形を元の形に戻す力、柔軟性」に変わってきた。
「ストレスstress」はその反対用語で、「外力による歪み」をいう。レジリアンスは「外力による歪みを跳ね返す力」ということになる。
精神医学における「レジリアンス」はストレスと同様に物理学の概念からの転用で、「病気に陥りさせるような困難な状況、ひいては病気そのものを跳ね返す復元力、回復力」の意味でつかわれている。
そのような意味合いのレジリアンスという述語を整理すると、Ⅰ)防御因子、回復因子の因子として。また、2)防御、回復に向けた動的過程の二つの意味がある。
1) 因子として
防御因子、回復因子は①生物学的次元とパーソナリティの次元からなる個人特性のものと、②家族、社会など集団特性のものに大別されるが、現在までの研究はパーソナリティ特性の防御因子の研究が多い。
パーソリティ特性における防御因子に関わるレジリエンスはエゴ・レジリエンスと呼ばれる。例えば「他人と良好な関係を結べる力がある」ことは、パーソナリティ特性におけるエゴ・レジリアンスであるが、これは脆弱性の反対に位置するので、そのパーソナリティ特性は非脆弱性と言える。このような使い方のレジリエンスは、因子の意味合いを強調して、「レジリアンシー」と呼ぶ人もいる。
2)動的過程として:
レジリエンスとは、脆弱性、ストレスを包摂する概念で人間が侵襲をこうむるという受動的な状態に置かれた局面で、これを乗り越え、新たな心身複合体としての主体を生み出す能動的な振る舞いの過程を指す。困難な状況、病気に対する跳ね返しの回復の力動過程は、明らかに不都合な状況において、ポジティブな適応をもたらす力動的過程ともいえる。
この類似概念としては、①認知行動論の「対処行動(コーピング)、②宮本忠雄の「自己治癒力」③脳神経学の「可塑性plasticity」などがある。
ラボリはレジリエンスを[侵襲後の振動反応のシステム]として捉え、八木はネオヒポクラティズムとして先取りし、「疾病抵抗性」「抗病力」と訳し、防衛・回復に向けた力動過程の要素と、防衛・回復因子としての両方を含ませている。
レジリエンスは子供時代の外的世界と内的世界の要素の複雑な相互作用であり、出生時の劣悪な環境による低体重出産、幼少時の貧困、両親の離婚、身体的虐待など早期の外敵要因は過去の出来事であって覆すことは出来ない。しかし低いレジリアンスの内的要因は、思考スタイルのように修正、もしくは対抗することさえ出来るものもある。
そしてレジリエンス心理学で重要なのは、一度思考スタイルが変われば、コントロール外にある幼少期の出来事に起因し、現在まで引き続いているネガティブな影響を無効にできる、ということである。

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ポジティブ心理学-幸せの心理学

心理学、特に臨床心理学は戦後目覚ましい進歩をとげたが、そこでは精神的な障害や弱さのための学問になっていて、臨床医学では大きな貢献をしてきたが、本来心理学はネガティブな精神機能による障害や弱さだけを研究するものではなく、人間の優れた機能human strengthについても研究することであったはずであるとの主張が今世紀になってから強まってきた。
こころの弱い部分に注目することは、20世紀におこった戦争などの大きな出来事に遭遇して困難の中にある人達を援助するにあたっては、こころの中の弱い部分の知識や理解が不可欠であったし、困難の中にある人を助けることには緊急性があり、より優先して取り組まれるべき課題でもあったから仕方ない面もあったと思われるが、しかしそれでは心理学が人間が経験することのある一面しか扱ってこなかったことになる。
1998年に、あめりか心理学会会長であったセリグマンは「心理学が社会の中で応用される場合に、弱いところを補い援助するためだけではなく、人間の持つ良いものを育み養うために、もっと力がそそがれるべきである」と主張した。
そうして「精神病理や障害に焦点を絞るのではなく、楽観主義やポジティブな人間の機能を強調する心理学の取り組み」として、ポジティブ心理学が誕生した。
ポジティブ心理学が大切にしていることは、「自分のこころの働きの強いところ、つまり長所を大切にして、それを生かすようにすることで、人生はずっと充実し、また楽しくなるはずだ」と考えていることである。
ポジティブ心理学は、心理学は心の強い部分を見出して、それを伸ばすという援助が出来るはずであり、それは何らかの問題を持っている人に対しても、自分の弱いところに注目して、それをどうしたら良いかを考える手助けをするのと同じくらい重要と考えている。さらに、将来の問題に備えたり、より充実した人生を送りたいと願っている多くの人たちにとっては、弱点に注目することよりもずっと重要な役割だと考えている。
コップの水が半分になったときに、後半分しかないと考えてしまう人もいれば、まだ半分あると考える人もいる、という例えがあるように、それは同じ状態に対する見方の問題である。きっとうまくいくだろうと希望を持って積極的に考えることは、何かを成し遂げるためには不可欠なことだし、希望や見通し抜きに問題点だけをチェックしても始まらないことも多い、もし問題点のチェックで終わってしまえば、何かが成し遂げられることはありえない。
それだけではなく、問題点が詳細に理解できたとしても、それを改善することだけが解決に繋がるとは限らない。過去に起きたことは取り返しのつかないことかもしれない。取り返しのつかない事実だけを理解しても、将来の改善には全くつながらない。将来に向かって何かをするためには、自分がどうしたいのかが明らかである必要がある。
ポジティブ心理学は、何かを始めるという働きを援助しようとするものでもある。
ポジティブ心理学は、ものの見方を変えれば、すべて上手く行くとするものではなく、そこが単なる啓蒙とか道徳倫理学と違い、学問としての科学性があり、期待されたような成果があることを実証する研究に基礎をおいている。
ポジティブ心理学は日常の仕事や勉強の努力についても、そのストレスによってもたらされる心身への悪い影響を中心的な課題にするのではなく、仕事のやりがいや、そのことに依る熱中、また自分が出来るという自信に目を向けている。ポジティブ心理学が目指しているものは、よい所やポジティブな側面だけに注目して、ネガティブな部分や弱い部分があることを無視することではない。それでは焦点を当てる部分に違いがあるだけで、これまでの心理学の手法と同じことになる。
ポジティブ心理学が目指しているのは、バランスよくこころの働きを見ることである。これまでの心理学がポジティブなものをあまりに無視して来たので、現時点ではポジティブな面の研究が必要と考えているに過ぎない。
そこでは、幸福感、ウエルビーイング、ポジティブ感情、オプチティズム、最適経験、希望理論、情動知能、品性と徳目、強味の研究、生きがい、生きる意味などを扱い、それらを科学的な尺度で評価し意味づけようとしている。
認知、感情心理学では「ポジティブな感情が、創造性や問題解決、意思決定のような認知過程に与える良い影響」についての多くの研究がある。
社会心理学では、自分に関わる認知をポジティブにとらえる傾向である「ポジティブ・イルージョン」、自尊心やセルフコントロールを自己のポジティブな精神機能としてみる「自己効力感」「フロー」の研究、あるいはストレスに対する個人の持つコーピングや抵抗力を高める「楽観性、レジリエンス、自尊心」など応用研究も見られる。
それらについて、これから少しづつみて行こうと思う。

幸せの心理学

裕福さ(GDP)と幸福度の関係

裕福な国の人は幸福なのか
その国のGDP(国内総生産)と住んでいる国民の幸福度との関係を国別に調べた調査がある。
縦軸が幸福度、横軸がGDP(金持ち度)を表している。つまり右になればなるほどお金持ちで、上になるほど幸せであることを示している。右下は空白であるから、ある程度豊かであれば幸福度は一定以下には下がらないことを示し、お金があれば一定程度の不幸からは逃れられること、幸福のためにはある程度の裕福さは必要であることを示している。
しかし左端に位置する貧しい国では幸福度は上から下までばらつきがある。つまり貧しい国では、豊かさ以外の要因が幸福度を左右しており、それが満たされれば豊かな国と変わらないくらい幸福であることも可能であることがわかる。
更に豊かな国をよく見ると、かなり豊かでも、他に比べて幸福度が低く、貧しい国の幸福な国とかわらない程度であったり、以下であったりする。
我が国は豊かさに比べ、幸福度の最も低い国の一つであり、匡を豊かにしたからと言って、国民の幸福度が高くなるわけではないことを示している。
国民一人あたりのGDPと幸福度を見た研究もあるが、ほぼ同じような結果になっている。
また先進諸国で個人別のデータを見ると、個人ごとでも収入の多いことがそのまま幸福につながらない結果となっている。これは経済的な豊かさを、幸福のために役立つもの使われずに、幸福にそれほど貢献しないものに浪費されているためだと推察できる。

学歴、友人、身体的魅力などと幸福の関係
一般には高学歴が社会的成功を呼び、幸福につながるものとか考えられている。そうであるからこそ、多くの人たちは、小さな時から有名な大学に行こうと様々な努力をする。
しかしアメリカのある調査では、出身大学の幸福感への影響はそれほど大きくはない結果になった。日本では事情が違うが、それでも期待したほど明確な影響はないようである。
同じように、友人の数、知能の高さ、宗教心などもあまり影響はないことが示されている。
身体的魅力、美人度なども、それほど幸福感と結びついてはいないと報告されている。
ただ高齢者では身体的健康度がようやく少し関連するという程度の影響力であるとされている。
これは何を意味するのだろうか?
メーテルリンクの「青い鳥」では、これこそ幸福の青い鳥だと思って捕まえると、何でもない鳥であることが繰り返される。そのように、幸福は、こうすれば必ず手に入るという分かりやすいものではなく、どんなものでも手に入れてみると幸福をもたらさないものに変わってしまうようだ。
幸福感は個人差のある感情だが、
幸福感とは、現状では満足できない永遠性を秘めているのかもしれない。

また、得てしまうと有難味が薄れるヘドニック・トレッドミル現象で説明されるものかもしれない。
私達も、数十年前は3種の神器と憧れたテレビ、洗濯機、冷蔵庫やマイカーすら手に入れてしまうと、今ではその頃では想像もできないほどの宝物に囲まれているのだが、その有難味は薄れてしまい、それで人生が充実していると思う人はまずいないだろう。
このように有難味が薄れてしまうことをヘドニック・トレッドミル現象という。
私達は成功や裕福さにはすぐに慣れて̪しまうので、それらをそのまま維持しても、初めて手に入れた時のようには幸せでなくなってしまうのである。宝くじに当たった人でも、次の日にはそのことを思っても、前日ほどはうれしくはない。(おそらく。私は当ったことがないので真実は分からないが)
人間は急速に今の状態に慣れて行くのである。
これは同じような幸福のレベルを維持しようとすれば、常にそのために走り続けなければならないことを意味する。裕福から来る幸福感を維持するためには、常により多くの富が必要になるのである。

幸福感は個人差のある感情的な認知だが、
幸福感とは、現状では満足できないという永遠性を秘めているのかもしれない。

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不登校―その意味と変遷

不登校という言葉は、よく知られている割には、比較的新しい言葉で、ウィキペディアでは
「不登校とは、学校に登校していない状態のことである。登校拒否とも称される。日本における「不登校」の語については、研究者、専門家、教育関係者らの間で全国的に統一した定義が無く、極めて多義的である。」としている。
多義的とは、すなわち、てんでんバラバラに使われているあいまいで不明確な言葉という意味である。
しかし、実際にはこの言葉の起源も、本来の定義も明確であったのである。
1968年日本児童精神医学会で思春期精神医学のシンポジウムで精神医学者清水将之が使ったのが始まりで、その時きちんと定義づけがされている。
「さて、子供が学校に行かないという現象は、どのよなことを意味するものであろうか?諸疾患のための就学不能、親の無理解や貧困による不就学、非行などが原因となっている怠学などを除外したものを一括して不登校(non-attendanncde at school)と称する。」とした。
がしかし、その後言葉は一人歩きして「きわめて多義的」なものに拡散してしまった。
ここで言う除外する3つの理由の一番目の病気で休むのはやむをえないし、生活が苦しくて、学費の負担に耐えられなかったり、親の都合で学校を休ませるというのも理解できる。非行でさぼるというのも了解可能であり、これらの理由による欠席は学校教育が始まった時からずっとみられたものであり、それなりに説明のつくものであった。
ところが、そこにそれ以外の理由による学校に行かない現象が起きたため、それに対して新しい呼び名が必要になったということなのである。
1960年代の初めに、「病気でもなく,利発でまじめで礼儀正しく、身なりも上品で、家庭環境も良く、学校でいじめとか人間関係でいやなことがある訳でもなく、勉強も好きで、成績もよく、本人も学校は楽しく好きで行きたいと言っているのに、でも朝になるとなぜかどうしても行けない」という子供たちが現れてきたのである。上記のような、従来の経験や考え方では説明がつかず、理解困難な「欠席」の形が出現すると精神医学に答えを求められ、そこで精神医学から「不登校」という呼び名がつけられ、上記のように定義がされたのである。ここでは、病気が原因であるものは除外されるので、不登校は本来的には病気ではないことになるが、本人や周りがそれに悩み葛藤が生じ生活に支障が出るので、不登校は病気ではないかもしれないが、児童精神医学の中心的なテーマになっていったのである。

文部省は、理由の如何を問わず、継続的であれ、断続的であれ年間50日以上学校を欠席するものを長期欠席」と定義していたが、1991年に週休2日制になると年間30日以上に変更した。
そうして、何であれ長期に学校を休んでいる状態を「長期欠席」と呼ぶことになったのだが、その中で、本人自身であれ、周りのものであれ、そこに悩みや不安、葛藤が生じているものを「不登校」とするのが良いのではないかとする考えが出てきた。なぜなら、不登校とはもともと精神医学から生まれた臨床の概念であり、臨床とは、ある事態が何らかのケアを要するケースとみられたときに、それにかなうケアを行う行為を言うので、「長期欠席」でも、どこにも悩みも不安も葛藤ももたらさず、万事うまくいっていれば、ことさら「不登校」と名付けて医学化する必要がないからである。
ただその長期欠席が明らかな病気からもたらされているものは、不登校とは言わないことになっている。「肺炎で学校を休んだ、長期欠席した」と言っても「肺炎で不登校した」とは言わないのは、これは清水の最初に定義したものと同じで矛盾しない。微妙なのは心理・社会的な失調の時で,「対人恐怖症で不登校になっている」「不安障害による不登校」とは言えることだ。その違いはどこにあるか?
肺炎など身体的な病気では、欠席はその病気の症状ではなく、それが原因で休んだということであるが、対人恐怖症や不安障害による欠席は、欠席自体を症状の一つと見なすことが出来るのである。
この違いから明らかなことは、学校教育という営みから全く離れた別の要因から生じた欠席は「不登校」とは呼ばないということで、最初の定義で外された貧困による欠席も教育とは直接関係が無い経済問題だからである。
では最初の除外要素の「怠学」はどうかというと、これは自分の意志で確信犯的にさぼることで、悩みや葛藤が生じていないので不登校にはなじまないことになる。

従って「不登校」を除外診断ではなく、直接的に定義すると、「学校教育という営みに孕まれる何らかの要素との関連において長期欠席が生じ、そこに悩みや不安、葛藤が生まれているもの」となる。(滝川一廣)
不登校は、学校教育という営みに孕まれる何らかの要素との関連という意味合いで、教育問題ともいえるし、同時に「悩みや不安、葛藤が生まれている」という側面からは医学的な臨床問題ともみなされる。不登校研究の長い歴史の中では、この欠席現象を教育問題とみるか臨床問題とみるかで、意見対立が起きてきたが、どちらの問題でもあるというのが正しい理解であると思われる。

上で述べた、不思議な新型の長期欠席は「不登校」として抽出されたが、このような不思議な欠席現象は、一足早く欧米で見出され、1941年に、米国の研究者ジョンソンによって「学校恐怖症school fhobia」と名づけら報告された。恐怖症とは、特定の事物や状況に対して合理性を欠いた極端な恐怖心に囚われる心理現象を言い、不登校の子供たちが校門の前で立ちすくんでしまい、パニックになり動けない状況から、学校への合理性を欠いた極端な恐怖反応とみて.高所恐怖症と同じく「恐怖症の一種と考えたのである。
しかしその後ジョンソンは研究を進め、養育者(親)から離れて過ごさねばならない状況への強い不安が、これらの子供たちに共通する心理背景になっていることを発見し、この不安を「分離不安」と名付けた。分離不安は、子供から見れば親への過依存、親から見れば、過保護によって生じるもので、実は恐怖症ではなく、分離不安のために登校不能になるのではないかと推察した。「学校に行けない」のではなく、「家から離れられない」という訳である。
この考えは、日本でも支持され、「学校恐怖症」は「登校拒否school refusal 」と呼ばれるようになっていったのである。
しかし拒否には自分の意志で積極的に拒むという意味合いがあり、行きたくともいけないという実体とはぴったりしないという違和感が残り、またrefusalの意味は、「立ちすくんでしまい動けない」、というものであり、語源的にも拒否は合わないことから、「登校すくみ」などの用語が登場したが、やがて「不登校」という呼び名が定着して行った。
文部省は60年代に,「病気」、「経済的理由」、「その他」等以外の理由による長期欠席を「学校嫌い」という用語を作り、それまでの長期欠席と区別するようになった。
これは、不登校に当たる教育用語であったが、1998年からは「不登校」が採用され統一された。

しかし、不登校の成因が、分離不安だけでは、(友達の家に遊びに行く時は平気で)学校に行く時だけ、何故そのような状態になるかの説明がつかなかった。そこで滝川は、学校という所には聖性があり、それに対する一種の畏れがあること、また不登校になる子供の特徴として、裕福で、知的レベルの高い家庭の繊細な神経のこどもであったことから、一般児童の粗野でラフな環境で育だった子供達の作る学校の雰囲気に対する一種のカルチャーショックとも言うべき不安があったこと、で説明しようとした。

これらの1950年代から60年代の初めに出現した小学校低学年の新型の欠席現象として始まった不登校は、第一世代と呼ばれるが、この世代が学齢を上げるにつれ、不登校も小学校高学年、中学生と年齢層が伸びて行った。
高校進学率が上がると高校生のなかにも,退学も出来ずに、「学校に行きたい。なのになぜか行けない。」という葛藤に苦しむ高校生の不登校も現れてきた。このように年齢層が上がると、さすがに「分離不安説」だけでは説明がつかないので、「自己万能感脅威説」「回避反応説」「抑うつ不安説」など諸説が主張されるようになった。
「自己万能感脅威説」では以下のように説明する。
小学校、(中学校)までは普通に学校に行けていたのに、中学校(高校)に入ると突然行けなくなるのは、それまでは何でもよく出来る子として自他ともに認めていたのが、中学(高校)に上がって、課題が難しくなると、頑張っても上手く行かない事のある現実にぶつかるようになる。一般にはこうした体験を通して次第に自分の身の丈を知って、子供から大人へと成長していく。人間には誰しも出来ないこと不得手なことはたくさんあって当然なのだが、「なんでもできること」を自己の支えにしてきた子供にとって『何でもできる』という自己のイメージが脅かされるのに耐えきれず、ついには学校に行けなくなってしまう場合がある。つまり私的自己意識と公的自己意識のギャップ
が埋められず苦しむのである。
(これは身体醜形障害にも見られる、思春期における特徴的なこころのメカニズムである。)
その他諸説があるが、どれが正しいかというのではなく、不登校にはいろんなバリエ―ションがあり、どの観点から見るかという違いに過ぎないのである。しかしどの説をとっても変わらず共通することがある。それは「中産階級以上の、生活苦は無く、子育てや教育への親の関心は高く、成績も悪くなく、学習意欲もむしろ高い子供たちに特異的に見られる長期欠席である。」ということである。
これは学習意欲の低さを共通項とする「怠学」とは決定的に違うものであったが、この新しい長期欠席は、頭痛、腹痛などの身体症状から休み始めるケースが多く、病院に行っても異常がなく、仮病による「怠け休み」を疑われることも少なくなかった。
そこで、専門家(児童精神科医)たちは、登校拒否(不登校)の身体症状を仮病ではなく病気として扱う必要性が生じ、それを神経症として扱うことで解決しようとした。つまり、頭痛や腹痛は心理社会的なストレスがもたらすものとする神経症(今でいう転換性障害、身体表現性障害)のせいであり、本人や家族や学校の責任ではないと説明し、「まずは学校を休ませ、メンタルケアをはかることが大切」と説いた。この趣旨から不登校に「神経症的登校拒否」の呼称が診断書に使われたのである。こうして医師の責任で不安や罪悪感なしで学校を休めるようになると、学校の「が」でパニックになっていた子供達は落ち付きを取り戻し、家庭内で少しずつ試行錯誤の活動を始め、徐々に外の世界と接触し新しい体験に出会い、やがて登校を再開するようになった。これが当初の不登校支援と回復の典型的なコースであった。
60年代から70年代の半ばまでは不登校の年齢層が広がり、パターンも多様になったが、長期欠席率は下降しており、決して不登校が量的に増えたということではなかった。
学校を休む児童生徒の総数は減り続ける中で、登校拒否は、ごく少数だけに起きる極めて例外的な現象であったのである。
しかし1975年を底にして中学生の長欠率は反転して上昇に向かうようになる。
これまで下がり続けてきた長欠率が何故この時上昇に転じたかは、不登校の成因を考える上で重要になる。戦後、エンゲル係数も乳児死亡率も下がり続け、75年を過ぎてもなお下がり続けているから、貧困家庭の増加とか子供の健康環境が悪化したために長欠率の上昇を来たしのではないことは確かである。すなわち長欠率の上昇は不登校の増加を意味するのである。
詳しく見ると、50年代には長欠率は全国より都市部の方が低く、より急激に下がっており、これは都市部の方が経済回復や近代化が早く、経済的理由や病気による長欠率が地方に先んじて減少したと考えられる。ところが1967年頃から都市部の長欠率が全国の長欠率を上回るように逆転して行く。地方に多かった長欠率が都市部に多い現象になったということは、長欠率の原因が貧困や前近代性から、むしろ豊かさや近代性から生み出されるものへと質的に転換したということになる。これが第二世代不登校であり、この不登校は60年代の終わりに都市部で増加が始まり、それが都市部から地方へ広がり全国的な長欠率上昇となったのが70年代の後半であった。
1950年代から1970年代始めまでの不登校は、社会全体として長欠率が減っていく中で、特異な現象として現れ「登校拒否」と呼ばれた第一世代の不登校で、本人のパーソナリティと家族関係や学校状況などの環境的な要因と関係から生じた心理現象、つまり神経症的な躓きとして捉えていた。
また第一世代の不登校は、限られた特徴的な条件を持った子供におきる現象で、輪郭のハッキリした典型パターンを持っていた。すなわち「都会の豊かな文化的水準の高い家庭環境に育ち、親は教育に理解があり、知的で真面目で成績良好で勉強も学校も嫌いではなく、同級生からも好かれ学内の人間関係に問題は見つからないといった背景を持つ小学生に限定される。」ものであり、ごく少数におきる例外的な現象で不思議なこととして注目されたものであった。
やがて年齢層が広がるにつれ、パターンにヴァリエーションが出てきて、その類型に基づいて、それを説明する説もいくつも登場してきた。分離不安説から始まって、自己万能感脅威説、回避反応説、抑うつ不安説などである。しかしどのパターンにも、共通する現象があり、それらを念頭に最初に説明した清水の定義が出来た。そのような共通する特異な現象を持つ児童生徒が1975年頃から急増したとは考えられないので、パターンから外れた今までの第一世代の不登校にあてはまらない不登校が急増したと考えるのが妥当と考えられた。年齢も地域性も越えて、生活環境、文化環境を超えてあらゆる階層の児童生徒に不登校が広がった。現在では幼稚園の登園拒否に始まって、長じては会社への出社拒否すら見られる現状である。70年代後半の不登校の増加は、60年代までの典型的な不登校の山がますます高くなる形で進んだのではなく、むしろ典型的な山が崩れて裾野が広がり怠学などの山とも繋がり全体の傘が増えたような形となって増えた。そして文部省は1994年に「登校拒否はどの児童生徒にも起こりうるもの』と認めるに至った。
何故そのようになったか?

不登校の急激な増加と高年齢化が起きると、80年代に入ると不登校を社会問題として捉えるようになった。不登校は、個人と家庭の問題ではなく青年をとりまく社会的背景、その構造の変化による現代の社会の病理現象の一つの現れとして捉える必要があると認識されるようになった。
そいて不登校の多様化が起き、大きく3種類に分類された。
1)学校に行きたい気持ちはあるが、いざとなると不安になって行けないもの
2)なんらかの理由をあげて登校に関して拒否的な気持ちを持続しているもの
3)理由もなく、何となく学校に行かず、学校に関心を失って脱落してしまうもの

つまり、行きたいのに行けないもの、行きたくないから行けないもの、何となく行けないものに分けられた。

60年代の第二次産業(製造、工業、建設、電気など)による高度成長時代から1970年代後半の第三次産業(サービス、小売り、消費産業)中心の高度消費社会への移行で、一億総中流化意識で国民も豊かさが実感されると、貧しい時代の平等を求める声よりも個人意識、自由への欲求が強くなって行った。このような70年代後半からの産業構造の変化が日本人の意識の変化を招き、それが教育問題にも影響を及ぼした。
「自由」か[公共性]かという保革の対立点、学校教育の変化、受験ストレス論の台頭、学校の価値の凋落、学校の聖性の崩壊から「学校に行く意味」が問われるようになった。
80年代は、学校論議、教育論議が盛んで、その中で不登校問題も論じられるようになった。
中でも児童精神科医渡辺位の見解は波紋を呼んだのである。
「民主社会にあっては個人の尊厳と自由が保障されることが基本であり、したがって教育もまたその理念に従って行われるべきものであることは言うまでもない。それゆえ、学校教育は制度化されていても、子供にとっては個人として本質的要求に沿って成長・発達が保障される生活の場でなければならない。 しかし高度経済成長政策が推進された時代から、各分野はそれに沿って整備、統合、合理化がなされる中で、学校教育もまたそれに沿った人づくりを目指して改変が余儀なくされた。そして教科内容は知育中心に増量・高度化され、学力が偏重される結果となった。
一方、こうした学校状況にあるにも拘わらず、子供を持つ家族は社会通念化した高学歴志向の潮流に呑み込まれ、(中略)ただひたすら形式的通学・進学に執着し、受験態勢を激化させ、子供を、その一人一人の意思や意欲に拘わらず、あたかもベルトコンベアー上の工業製品のように、何の疑問も持つことなしに、上級学校に追い込んでいるのである。

以上の点から不登校という現象を見ると、自己喪失の危機にさらされる学校状況から自己を防衛するための回避行動であると言えよう、例えそれが無意識な発現であろうとも、早期に危機を感知できる直観力はむしろ高く評価するべきである。」
(渡辺位「不登校」清水将行編[青年期の精神科臨床]金剛出版。1982)

渡辺のこの見解は、従来の不登校は子供のパーソナリティ特徴から来る一種の心理的失調とみるジョンソンや佐藤の不登校理解を根本から覆すもので、当時は強いインパクトがあった。
「病んでいるのは不登校になった子どもではない。不登校を生み出した学校教育なのだ」というもので、不登校は「病気」ではないというキャンペーンの始まりになった。
この逆転の発想は、実は当時の精神医学が「反精神医学」を掲げ、精神医療改革の運動が世界的に起きていたことと無縁ではなかった。

レイン、クーパーらは、「人間とは社会的な存在で、人間のこころの働きは個人の脳やこころの中で独立して生起しているのでなく、絶えず個人をとりまく社会的な環境の中に会って、環境とのかかわりによって生起している。従って、社会環境に過大な無理や矛盾があればこころに失調が生じても不思議ではない。ところがこれまでの精神医学は、失調を生み出す社会環境に側には目を向けず、ひたすら個人側の脳やこころの問題(病理)としえ捉えて、個人に「病気」「障害」のレッテルを張ってきた。精神障害者とされる人たちは社会の孕む矛盾や負荷のしわ寄せをこうむった者で、しかも社会は彼等を「病人」「異常な存在」として差別や排除を行い二重に苦しめてきた。精神医学者は医学や科学の名を借りて、それを女要する役目をはたしてきた。」と主張した。

渡辺の説は、レインらが統合失調症で述べたことの不登校バージョンであり、受験ストレスというレベルではなく社会体制全体の問題として捉えたところにあたらしさがあった。
すなわち「高度経済成長政策が推し進められる社会では、学校は産業のための人づくりの場と化し知育偏重・学力強化に走り、子供達は登校と進学に追い立てられるようになった。学校は本来あるべき子供達が個人としての本質的な要求に沿って成長発達が保障される、社会的な共同体に入る準備のための成長の生活の場としての機能を失ったため、子供達は自己喪失の危機にさらされ、そこから身を守る反応として「不登校」が多発するようになった。だから、この社会状況、教育状況が不登校の元なのだ。」という趣旨で、子供主体の自由教育を主張し、不登校に対しては従来の「登校刺激を避ける」ものから「登校しないもの」へと推し進め、これは、その後のフリースクールの設立に道を開いていった。
以上は70年代後半から80年代に急激に増えた不登校の原因を学校側にもとめるものであったが、一方で批判の的にされた教育サイドからは、原因を家庭の変化に求める意見が上がったのも当然であろう。これは不登校の原因を何らかのパーソナリティの特徴に求めるジョンソン以来のものではあるが、その特徴像は大きく変わっている。
「一般に登校拒否の児童生徒の性格は、自己決定力が弱く、協調性や融通性に乏しく、神経質である。このような性格は、本人の生得的なものもあるが、家庭における養育態度や親の性格などの要因が大きく影響する。長男長女時代に象徴される子供の数の減少や、生活の合理化によってできた時間のゆとりは、わが子の将来への期待に向けられ、過干渉、過保護と言った養育態度として現れる。また社会情勢の変化は父親像・母親像の変容にもつながり、子供の性格形成上必要な生き方を示すモデルとなりにくい場合もある。いずれにしても判断力・忍耐力・協調性に富んだ児童生徒が育ちにくい土壌が家庭内にあることは確かである。」(愛知県教育委員会『登校拒否児童生徒の指導』1989)
「いろいろ考えてしまうたちで、踏ん切りが悪く、器用に周りに合わせたり臨機応変に振る舞うのが苦手で、それでまたあれこれ考えてしまい些細なことまで気になってくるタイプで集団行動や集団の人間関係をこなすのがいかにも不得手で、学校の集団生活につまずいて登校できなくなってしまう、という子供」が増えた。この背景には少子化と豊かさが親たちに時間的・経済的ゆとりを与え過保護、過干渉な子育てとなり、学校生活をこなす社会的な力が身についていない子供達が増えた、とするものであった。

以上が、不登校の成り立ちと、その変遷の概略であるが、最後に現在の不登校の定義として二人の精神科医の見解をあげておこう。

(門信一郎)
「本人、家庭、学校、地域、社会の各々の要因(登校に関しては不利にな条件)の絡み合いによって、子供が精神的に疲労困憊し、登校することに不安を覚えるが、登校しければならないという義務感のために葛藤状態になり、ついに登校できなくなった状態」とする。
不登校は、初めは頭痛、腹痛、発熱、倦怠感という身体症状で始まることが多いが、医者には病気ではないと言われてしまうが、実際は病気ではないが元気・健康でもない「疲れた」状態と言える。
ここで言う不利な条件とは、本人の問題としては、性格(完全主義、潔癖症、感受性が強く傷つきやすいなどの登校には不利な条件になる性格)、親の側の問題としては、学校へのこだわり、学歴主義、世間体などが、学校側の問題としては、義務教育が文部省の独占企業になっていること、いじめ、などがあげられる。

(滝川一廣)
「不登校、登校拒否とは、子供が登校しない(出来ない)と言う現象と、それにまつわる葛藤状況の総称に過ぎない。発熱、腹痛と同じ症状に過ぎず、虫垂炎というような疾患単位を構成できるようなない現象ではない。」とするもの。

同じく滝川は、本文中で直接的な定義として「学校教育という営みに孕まれる何らかの要素との関連において長期欠席が生じ、そこに悩みや不安、葛藤が生まれているもの」
としている。

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こころの方程式「P×C×I=D 」と「自律統合性機能AIF」の関係

人は何故こころを病むのだろうか?
こころが何処にあり、どのようなメカニズムで存在しているかが全く不明な現時点では、「こころが病む」という現象を科学的に説明することは出来る筈もないが、それでもなんとなく納得できるような説明は出来ないものだろうか。それを精神科医、滝川一廣の本『「こころ」はどこで壊れるか』を参考にして考えてみた。

まず、「こころの働き」を見てみると、
精神現象は、一人ひとりの個体の脳の内部で生起している現象でありながら、その個体の外に大きな社会的・共同的な広がりを持った現象として存在している。
私が赤いとみているバラは、他人もまず間違いなく赤いという。めいめいの脳内で起きている現象なのに、赤いという認識は個体を超えて共有可能になっている。
つまり、めいめいの脳内で生起している現象なのに他人と共有可能になっている、この共同性が心の働きの特性である。
人間は個体の持つ生理的な感覚知覚機能のまま世界をとらえるのではなく、知覚されたものを、絶えず「意味」や「関係性」の相で世界をとらえ直して、それによって個体の認識世界を社会的に他人と共有可能なものにしていくのである。
「こころ」は最初は外にある。赤ちゃんの心の世界は赤ちゃんの外、つまりその子を取り巻く大人たちの内にある。しかし大人たちは、赤ちゃんに、初から自分たちと同じように「こころ」のある存在として関わっていくことによって、子供の内側にも次第に大人たちのそれと同型の「こころ」の世界が形成されていくのである。
「こころ」は植物のように、自生的に成長、成熟したり、自分一人で恣意的に作りあげたりは出来ないものであり、他者との共同体の中で育つところに、そもそも「こころの不自由さ」の原点があるように思われる。

人間の精神機能、「こころの働き」とは、それぞれの個体の脳の中で生起している現象でありながら、その個体の外に共同的な広がりを持ち、そこにおいて生起している現象だという根本矛盾を抱えている。この矛盾が「こころの不自由さ」の根源ではないかと推察できる。

こころが病むとは何か?
つまり、こころとは、もともと不自由さを本質としているので、「こころの健康な状態」とはこころが自由な状態をいうのではなく、その不自由さにそれなりに折り合いがついている状態ということが出来る。また、「こころを病む」とは、自らのこころの不自由さと折り合いがつかなくなった状態ということができる。

精神医学とは、人間の心の在り方や行動の在り方、社会的な在り方の一般性と、その特殊性としての逸脱や病理を対象とする学問と実践のことをいう。
自然科学や身体医学のように、客観的な物質現象を対象とする学問や実践と違って、自分たちを、つまり主体的な現象を対象としているので、その方法は決してニュートラルなものではありえず、必ず自分の人生観、その人生観に基づく方法的立場というバイアスがかかる。そのバイアスが様々な精神医学の学派、説明を生むことになる。

現在、精神医学は正統精神医学と力動精神医学の、大きく二つの潮流がある。
正統精神医学とは、近代医学の枠の中で、病気をフィジカル、身体的物理的な現象として、できるだけ生物医学的にとらえようとするものをいい、
力動精神医学は、精神障害を基本的にメンタルな現象として、出来るだけ心理学的にとらえようとするものを言う。

その違いを、例えば『人格障害(パーソナリティディスオーダー)』を例にとって考えてみると、
パーソナリティとは、人ととなり、個性というようなもので、人には、それぞれ、その人のその持ち前のものの見方、感じ方、振る舞い方、があってそれがその人の個性を作っている。それをパーソナリティと呼ぶ。
ディスオーダーとはオーダ―(標準)から外れているという意味。
(不登校になって学校に行かないのも、3年間無欠席というのもディスオーダーであるとされる。)
ディスオーダーの概念には、価値判断とか病的かどうかの判断は含まれておらず、オーダー(標準)から外れたものを考えた時、背景にしかるべき病理性が見つかって、その時始めて「病気とか障害」とされるのである。パーソナリティディスオーダーは並外れた個性というところであるが、やはり生きにくいことが多く、対人関係においては、失調を来しやすい。

力動精神医学の流れからは「人格障害」という概念は生まれてこない。精神分析は、人間のこころは元々,非合理なものという立場であり、西欧近代が、自由で主体的で合理的な個人という人間観をうち立てたが、それ故にこそ逆に不自由でなかなか主体的に生きられない非合理な人間存在という現実に直面した時、非合理性のうちに人間の心の本質とらえ直そうとしたのが精神分析、力動精神医学だからである。

岸田秀は「人間は本能が壊れた存在」であるという。本能は生得的に種保存のために合理的合目的に生きる基本様式のようなものであるから、人間にはそういう合理性は失われているから「本能が壊れた存在』とした。力動精神医学では、人間のこころは何でもありで、何をしでかしても驚かない、人間が垣間見せる尽きぬ非合理性には驚かないが、その非合理の構造や成り立ちを合理的に解析することは出来るとし、それが精神分析であるとしている。

正統精神医学は、心の世界は基本的に合理的なものと考える。
人間の身体メカニズムは合理的に作られており、そこに異常が生じ不具合が生じた時に病気だと考える。
同様に人間の認識や感情、行動は基本的に合理的であり、そこに非合理が見られたら、脳なり心に異常が起きたためだとする。
こころの本質は合理的なものとして捉え、非合理性を出来る限り脳の病理のうちに探し出そうとした。それが、精神病や神経症だとするのだが、しかしオーダー(標準)を超えて非合理な、非適応的な振る舞いを見せながら、しかし精神病の診断も神経症の診断もつかない人たちがいる事実に直面した時、(病気でもないのに非合理な人たち)その人たちに人格障害と言う名前を付けて分類した。
これはDSM分類が、基本的に正常ではない状態はすべて網羅して分類することを旨としていたからである。

近代医学は細菌医学を柱に科学性と臨床性を確立してきた。
症状―病原菌の同定―診断―抗生剤の選択という感染症の診断治療のセットが組まれ、近代医学の基本的なスキームになってきた。
進行麻痺は、梅毒スピロヘータの脳感染であることを野口英世が突き止め、精神医学の扱う「狂気」が、近代医学の方式で解決出来た幸運な例となった
しかし、結核では、多くの人が結核菌に感染しているにも拘わらず、発病するのはほんの一部で、結核菌感染というよりも、むしろ免疫力とか栄養状態とかストレスが発病を決める要因とも言え、結核菌は結核にとって必要条件でしかないことが分かってきた。
-物事は複雑に絡んだ関係の網の目からなっていて、網の目のどの結び目を「原因」とみなすかは、ある意味では任意である。

「心を病む」精神失調も同じで、何かある「原因」に特定して還元して説明するのは無理があるが、しかし、ある仮説で単純化して説明することは出来る。
滝川が示した方程式がある。
P×C×I=D
P×Cm×Cph×I=D

Pはパーソナリティ
Cは環境であり、それは二つの要素、Cmは精神的な社会的・心理的環境
Cphは身体的(脳も含む)な環境に分けられる。
Iは出来事
Dは病気あるいは精神失調

精神状態とはこの三つの要素P,C,Iの関数で表される。
人は、それぞれが持ち前のパーソナリティを持って、与えられた環境の中で、様々な出来事にぶつかり合いながら生きている存在である。P、C、Iが全体としてそれなりに折り合いがついており、ぶつかる出来事を、その都度解決しながら生きられている状態を精神的に健康な状態と呼ぶ。他方、折り合いがつかなかったり、解決に大きく失敗すれば、それを精神失調と呼ぶ。
環境Cは精神的な社会・心理的な環境と身体的な環境の二つの要素の相関と考えれば、C=Cm×Cphとなる。

同じパーソナリティの人でも、失調する人もしない人もいる、同じ環境に置かれても、失調する人もしない人もいる、同じ出来事を体験しても、失調する人もしない人もいる、という差異は、失調するかどうかは全体の関数として決まるからである。ある一つの原因に還元できないのは、こころはこの様な全体性に依って決まるからである。病気や失調がどんな構造を持つかは、3要素の中のどれに比重がかかっているかの配分によって決まる。精神科の診断とはその比重を判断することである。
何といっても、あのパーソナリティ(P)では生きて行くのが困難と思えれば「パーソナリティ障害」、あんな大きな出来事(I)に遭遇すれば傷つくだろうとなれば「PTSD」,社会心理的な環境Cmの問題が大きかったと判断されれば「神経症」、身体的環境Cphに決定的な問題があるとすれば、「外因性精神障害」と診断される。
内因性精神障害は、PCIのどこに比重があるか分からない失調であるが、木村敏が統合失調症を「間の病」としていた喩をとるなら、PCIの間として、つまり×の所に比重があると説明する事も出来よう。

しかし、この関数が単純ではないのは、P,Cm,Cph,Iの各々が、さらにはDもが、相互にpositiveにもnegative にも影響しあうという複雑系を成していることである。この複雑系が絶妙にバランスを保って折合いを付けて行くには、宇宙、自然現象が超絶妙なバランスを保っているのと同様に、全体性を自律的に統合するバランス機能がこころにもあるとしか思えないのである。筆者はその超機能を「自律統合性機能AIF:Autonomous Integrity Function」で説明する仮説を提案している。人では、この機能がホメオスターシス、レジリアンスの中心的役割を果たすが、AIFが何らかの理由で機能不全を起こし、バランスが取れなくなると、身体も精神も失調すると考えている。

治療はP、C、Iの各々に働きかけ、バランス、折り合いの回復を図ることであり、精神医学的には、P、C、Iの動かせるところから動かすということになるのであろうが、筆者は、それよりもAIFのバランス機能の回復、強化を図ることが最も大事ではないかと思っている。私の理論では、量子論的な物質波(身体波)と精神波の共振からAIFが機能するとするから、身体的な恒常性の強化をはかることが精神的なレジリアンスを強化することに繋がる。それには、まず免疫機能を強化することが大事であり、それによって精神的なレジリアンスの強化が図られ精神の失調も回復させることが出来ると考える。また、当然のことながら、自我を強化することも重要ではあるが、ある意味では、それは「悟る」「解脱する」ということに近い、極めて宗教的な到達目標につながるから、万人には困難な方法となる。

健康的な精神生活とは、普通にはP、C、Iの「折り合いをつける」ことであるから、失調したこころDを回復させるには、P、C、Iのどれかの要素を動かして全体の構造変化を促すことで折り合いが可能になる。Pであれば、自分のパーソナリティを知ることで、モノの見方、感じ方、考え方、対人関係の在り方を修正することで、Cmであれば、環境調整を行うことで、Cphであれば、薬物療法で身体に働きかけ、あるいは身体的な免疫力をつけることで改善できる。

以上、極めて観念的な説明であるが、これは滝川が、結局は力動精神医学の立場に立っているからである。

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マクロ精神医学?―精神科医・滝川一廣の視点

マクロ精神医学?―精神科医・滝川一廣の視点

①

かつて、現在の我が国の精神医学が、米国の精神医学会の動向を無批判的に輸入している現状を批判し揶揄したが、それとは違う立ち位置の精神科医がいうことを知った。症状だけを操作的に扱うだけで、疾患としての成因を病理学的にみなくなった現在の精神医学の現状を嘆き、「人間学的精神病理学」を基本的な視点として、精神障害というものの症状の共通原理を探すという新しい学問的姿勢というか、精神医学が医学としての科学性を持つなら当然ともいえる姿勢を堅持しようとする精神科医のいることを知り少し安心し嬉しかった。

例えば不登校の起きる原因の意見ををめぐる混乱をリンゴが落ちる話にたとえて説明している。

<成因論についての例えーリンゴが木から落ちるのはなぜか?>

A:林檎の実、あるいは木事態に成因を求める説明法(内在因論)
実が熟して重くなった,実が腐った、ヘタが弱った、枝が枯れた

B:林檎がおかれた環境に成因を求める説明法(外在因論)
風が吹いたから、カラスがツツイタから、人が木を揺さぶったから、害虫が付いたから

C:諸要因の複合と説明する説法(複合成因論)
熟して重くなった実は落ちやすい上、熟したリンゴは食欲をそそるので、カラスがツツイタり、人間が木を揺さぶったりする可能性が高い、また熟すとヘタが弱くなり僅かな力でも枝を離れやすい。これらが複合してリンゴは落下する。

D:一概に何が成因とは言えないとする説明法(ケースバイケース論)
カラスではなく雀の場合もあろう̪、自然落下する例もあり、成因は一概にいうべきではない。林檎落下は症候群に過ぎない。

いずれも間違ってはいないが、問に対しては本質論にはなっていない。本質論は「林檎は重力があるから落ちた。」というニュートンの重力論である。

不登校の論争点は1)子供自身の何らかの問題性2)家族関係や養育の問題性3)学校教育の問題性、のいずれかに帰して説明される。

不登校成因論の定型

A.内在因論
子供ないし家庭の在り方に本質的要因を求めるもの。
 サンプルA:登校拒否の児童生徒は、自己決定力が弱く、協調性や融通性に乏しく、神経質である。このような性格は生得的なものもあるが、家庭における養育態度や親の性格などの要因が大きく影響する。少子化や社会情勢の変化は親が子供のモデルになりにくい状況を作り、判断力、忍耐力、協調性に富んだ児童生徒が育ちにくい土壌があることは確かである。
すなわち、分離不安が強かったから、社会性が未熟だった、自我が弱かった、家族内に葛藤があった、学校教育が画一的になったから、受験体制や管理が強化されたから、などの各説があるが、結局「こういう場合に林檎が落ちる」「いや、こんな落ち方もある」「私の観察した林檎はこんな落ち方をした」「近頃は、こんな風な落ち方も見られる」などの諸説と同じである。仮に引力が強まれば、今まで落ちなかった林檎も落ちるようになり、その引力に相当する(引力が無ければ林檎は落ちない)マクロな本質要因、全体を貫く大局的な事象が重要であるがそれが欠如しているのである。。

B.外在因論
「学校環境」ないし、社会全体の教育環境の在り方に本質的要因を求めるもの。
サンプルB:学校教育は知育に偏り、教育内容の増量、高度化から能率一辺倒になり画一化が起こり、学校現場も多彩多様な子供一人ひとりに柔軟に対応することが困難になった。結果子供たちに大きな精神的負担がかかるようになった。さらに最近の学歴偏重、高学歴志向は受験競争を激化させ、より知育編重となりよりストレスへと追い込むものになった。

C.複合成因論
ABのブレンドしたもの

D.ケースバイケース論
問題が複雑であると言っているだけ。複雑多岐な現象から普遍的な認識を引き出す努力を放棄しているともいえる。

つまるところ、成因論はA,Bの2パターンに集約される
すなわち、分離不安が強かったから、社会性が未熟だった、自我が弱かった、家族内に葛藤があった、学校教育が画一的になったから、受験体制や管理が強化されたから、などの各説があるが、結局「こういう場合に林檎が落ちる」「いや、こんな落ち方もある」「私の観察した林檎はこんな落ち方をした」「近頃は、こんな風な落ち方も見られる」などの諸説と同じである。仮に引力が強まれば、今まで落ちなかった林檎も落ちるようになり、その引力に相当する(引力が無ければ林檎は落ちない)マクロな本質要因、全体を貫く大局的な事象が重要であるがその視点が欠如しているというのである。

滝川は、重力が根本的な共通原理であり、このようなマクロ的な視点無くして心の本質に迫れないだろうという。たしかに重力が無ければリンゴは落ちないが、しかしたとえ重力を発見しても、同じ重力下で、落ちる林檎と落ちない林檎のある理由の説明は出来ないであろうが、しかし重力の存在を無視して、落ちる理由をあれこれ言ってみたところで始まらないのも事実である。

滝川は統合失調症、双極性障害、自閉症、不登校という従来の精神病理学では病因の共通原理を見出し得なかった精神障害を、共通原理で説明して見せた。

人の存在する世界を個人的な関係世界、パーソナルな共同性世界と、個人性を離れた社会的な関係世界、インパーソナルな共同性世界の二つの位相世界に分けて考え、精神の発達を個人的(パーソナル)な共同世界から社会的(インパーソナル)な共同性世界への依存の在り方で説明し、それへの依存の関わり様で、統合失調症、双極性障害、自閉症、不登校の病理を説明してみせた。
今回は滝川のいうキーワードとなる「こころの持つ共同性」について述べる。

こころの持つ共同性(滝川一廣)
精神現象は、個体の脳の内部で生起している現象でありながら、その個体の脳の外の社会的・共同的な広がりを持った現象として初めて存在する。何を考えているかは、口にしない限りは他人には分からないが,話せば他の人にもその内容は伝わる。めいめいの脳内で生起している体験なのに、不思議なことに個体を超えて他人と共有可能になっている、この共同性が心の働きの大きな特質である。心の働きは孤立してはありえないのである。こうした心の共同的構造が認識というレベルで機能すれば、人間はそれぞれの個体の持つ生理学的な感覚知覚機能のままに世界をとらえるのではなく、絶えず「意味」や「関係」の相において世界をとらえ直して、それによって個体の認識世界を社会的に他人と共有可能なものとしていくという心の働きとなって現れる。

人間の心の働きは高度の共同性を持っており、精神発達とは、この共同性の獲得のプロセスに他ならない。
この共同性は日常レベルでは、自分以外の他人との関係に絶えず心を働かせながら精神生活を営むという形を成す。人間は、長い人類史からも複雑高度な相互依存的な生存様式を発達させてきたので、すでに心の仕組みとして他人との関係を生きざるを得ない存在となっている。私たちの心にはいつも他人がいて、精神生活とは他人との関係抜きには営まれることは不可能になっている。

人間とは他人無しでは生きられない、人間とは周りの依存性を生きる存在であるから、「依存性」を他人から基本的に保障されるかどうかは、社会的な存在に関わる重大事であり、自分は他人との関係において、安全を脅かされないか、排除されないか、承認を奪われないかと言った不安が常にあるため、「安全」「受容」「承認」があって初めて安心して生きていけるのである。

生まれたばかりの赤坊は全く無力な、全く依存的な存在であり、そこに人間の依存性の本源がある。その依存性が養育者によって十分護られて、安全が受け入れられ、存在が承認されて、養育的なかかわりを受けるところから世界との関係が始まる。これが精神発達の出発点で、依存性にこそ心の発達の最初の原点がある。

こころの形成つまり精神発達とは、認識(理解)と関係性(社会性)の両面で発達するが、関係性は、一個の個体として生まれ落ちた子供が、養育者への依存に始まって、人々が互いに依存し合う共同性の世界(個人的関係世界から社会的関係世界)に次第に歩み寄っていく過程に他ならない。
依存を本質とする我々にとって、関係における安全や受容や承認のいかんは共同性を生きることに関わる死活問題であり続ける。
人間が生きる関係世界は、大きくとらえれば二つの位相の違う世界からなっている。
一つは個人的な関係世界であり、個人性を備えたある人とある人との関係からなるパーソナルな共同性世界である。それは吉本隆明が言うところの、性(身体)に媒介された家族的な関係から生まれ、その関係を支える観念、(対幻想)の世界であり、また小浜逸郎が言うエロス的関係に当たる。エロス的関係とは、セクシャルという意味では無く、いわばその人から滲み出る風貌とか表情とか雰囲気とか息使いとか、そういう身体性をはらんだ親和性(エロス性)が関係の成り立ちに深く預かる関係という意味である。
もう一つは、そのような個人性を離れた関係の世界、社会的な関係世界、インパーソナルな共同性世界であり、すなわち社会的役割を通した関わりの世界、職場のスタッフ同士、顧客と店員など抽象性の高い関係である。これは吉本隆明の言う、共同体的な関係から生まれ、その関係を支える観念が共同体幻想であり、それは身体的媒介を持たない観念、観念的な観念であり、まさに幻想であると言えよう。小浜逸郎の言う「社会的関係」は、エロス的関係は切り捨てられ、より抽象的でインパーソナルな社会的な役割性が関係をつなぐものとなっている。さらに抽象性が高くなれば、直接の接触の無い「市民」とか「国民」と言った抽象概念によって社会的な関係のネットワークがつくられ、「国家」のような大きな相互依存の共同性を生み出し、そのような社会性の位相で我々は生きていることになる。

ところが、私達はこうした重層的で高度の共同世界を作り上げ、そこで依存し合って初めて生存を可能にしながらも、一方ではこうした共同性を不自由なもの、制約的なもの、生きにくいもいのとする違和の意識も持っている。これは、矛盾した非合理な心的作用であるが、この矛盾は私たちが共同的な存在でありつつ、一人一人が個体の存在(孤的存在)であるところからきているのではないかと思われる。

この矛盾を心の働きで見て行くと、私たちの心の働きは共同性を本質としながらも、やはり個々の頭の中で個体的に生起するものであるという矛盾にたどり着くしかない。

統合失調症のクリチカルな時期に共同的な「意味」や「関係」によって統合されている認識世界が解体に瀕するのは、しかもそのような事態が0.8%という高率(統合失調症の発病率)で生じるのは、もともと私達の心とはそうした矛盾を普遍的に抱えた存在だからではないかと思われる。
統合失調症の病態がハンチントン病のように生物学的な脳疾患として、あるいは神経症のように心理・社会的な失調としても病態が説明できないのは、個体性(一個の生物体である)と共同性(社会的な共同存在であること)との矛盾そのものを病理の根底においているからだと思われる。

この共同性と個体性との矛盾において、共同的(社会的)に生きる中で、私たちは誰しも共同世界から排される(依存を断たれる)ことへの強い恐れを持つと同時に逆に共同世界に支配され,呑み込まれる事への恐れも抱いている。
貌の見えない大きな共同性がはらむ底知れなさ、それに対する漠たる恐れと、その共同性の中で自分は真に安全なのか、という恐れがある。

近代以前の伝統社会における人々の共同意識は、地縁血縁的な共同体世界にあり、エロス的関係世界、パーソナルな共同世界とインパーソナルな共同世界はまだ溶け合って 地続きなものであったが、近代社会になって、両者がはっきり区分され、インパーソナルな巨大な共同性社会が個々人の上に覆いかぶさってきた。人々は極めて高度で抽象性の高い共同世界を生きるようになると、それとパラレルにコントラストをなすように「個人」という意識(近代自我意識)をより強く生きるようになった。
近代社会の個人と共同体とのあり方の変容を背景に近代社会以降に統合失調症が頻出するようになったとすれば、人間の心のはらむ個体性と共同性との矛盾の表れが鋭くなり失調したものが統合失調症と呼ばれる精神現象ではないか、と説明できるかもしれない。
こころの持つ共同性の大きな揺らぎが統合失調症として捉えられるなら。共同性が育つ過程の躓きが発達障害として捉えることが出来るのではないかと思われる。

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エリクソンのライフサイクル⑦ Ⅷ期・老年期(56歳から)-「統合性/絶望」-人は最後に人生への感謝を問われる

Ⅷ期・老年期(56歳から)-「統合性/絶望」-人は最後に人生への感謝を問われる

エリクソンの8つのライフサイクルの8番目が老年期である。老年期は人生の終盤、晩年の時期をいうが、成人期が55歳までであるから56歳からが老年期になる勘定であるが、現代では平均寿命も長くなり、50代は成人期とあまり変わらないので、56差から65歳までを向老期とする考えもあり(神谷美恵子)、一般に受け入れられているようである。
またエリクソンは晩年には、80歳以上を9番目のサイクルとして分けた方が合理的であるとしている。

人は常に老いを自分とは関係のない異質なものとして否認しつつ生きているから、老いを自覚するのは突然、ふっとした出会いによることが多い。成人・壮年期に心身の若さが下降局面に入ったと思った時に老いることの予期不安を覚えるが、向老期には老いることが確信に変わり、老年期には老いが現実のものとなる。
老いを受容するのは難しいが、それでも老いは緩やかに確実にやって来る。まずは心身機能の低下、老化の兆候が出てくる。それは死の自覚である。
社会的には、定年、退職など青年期から壮年期に努力して築いた自己の生活基盤、自己のあり場所としていた仕事から去ることを意味する。家庭内での立場も変わり、孤独感と無用者意識が発生する。
無用者になることの方が定年退職よりもっと耐え難いことである。それは経済的な問題もさることながら、心理的に社会からスクラップのように投げ出されてしまったと感じるからである。
向老期は、普通は未だ真の無用者ではない筈であるが、少なくとも覚悟はして、この新しい自己像を受け入れることがこの時期の困難な課題であり、第二の思春期と呼ばれる所以であろう、私はこの時期を「思秋期」と呼ぶのが相応しいような気がしている。
思春期が人生の旅立ちにあたって自己像を受け入れていくのに対し、思秋期が旅の終わりに当って新しい自己像を受け入れていくのである。
この受け入れにあたってのエリクソンの心理社会的危機の課題は「統合性(完全性)」で表現される。
エリクソンの「老いつつある人」の中で考えを見ると、
「ものごとや人間の世話をしてきた人、他の人間を生み出したり、ものや考えを作り出し、それに伴う勝利や失望に自らを適応させてきた人―そういう人においてのみ、これまでの七段階の実が次第に熟して行く。この事を言い表すのに統合integrity以上にいい言葉を私は知らない。それは自分の唯一の人生周期ライフサイクルを代替不能なものとして、まさにそうあるべきものであったとして 受け入れることを意味する。なぜならば一人の個人の一生は単なる一つのライフサイクルが歴史の一コマと偶然にぶつかったものに過ぎないことを、こういう人はよく知っているからである。」
このように「老いつつある自分」を全体的に受容出来た人には、「英知」「知恵」という徳または力が現れるとエリクソンは言う。
「英知」とはすなわち死に直面しても人生そのものに対して「執着の無い関心」を持つことである、これの備わった人間は心身の衰えに拘わらず、自己の経験の統合を保ち続け、後から来る世代の欲求に応えてこれを伝えるが、しかも「あらゆる知識の相対性」を意識し続けている。-もし、知的能力と共に責任を持って諦める能力を併せ持つならば、老人達のうちには、人間の諸問題を全体的に眺めることが出来る人がある。これこそがintegrityの意味するところである。「このような自我の統合」に達することが出来なかった老人は、もはや人生のやり直しがきかないという「絶望感」を持ち、人間嫌いになったり、絶えず自己嫌悪に陥ったりすることが臨床的に観察されるとエリクソンは加えている。
これについて、神谷美恵子は次のように解説している。
「成人は自分の生み出したものに対して責任を取り、これを育て、守り、維持し、そしてやがてはこれを超克しなければならない。」つまり、老年になってからは、自分が一生の間に「世話をし」、守り育ててきたものを相対化し、客観化しなければ「人間の諸問題を全体的に眺める」ような「統合」に達することが出来ない、というのがエリクソンの考え方なのだ。一生をかけた事業、学問があれば執着も大きいだろうが、自分の過去についての見方も、突き放して見る習慣を養っておかねば心の安らぎは得られないだろう。自分の過去についてこそ、エポケー判断停止が必要とされている。
つまりどのような仕事、学問、業績を生きがいにしてきたにせよ、すべては時と共にその様相も意義も変わっていくものだ、自分の後から来る世代によってすべてが引き継がれ、乗り越えられ、変貌させられて行く。その変貌の方向も必ずしも進歩とは限らない。分散か統合か、改善か変革か廃絶か、歴史の動向と人類の未来は誰が予見できようか。自分の過去の歩みの意味も自分はもとより、他人にもどうしてはっきりとわかることがあろう。その時その時精一杯に生きてきたのなら、自分の一生の意味の判断は、人間より大きなものの手に委ねよう。こういう広やかな気持ちになれば自分の過去を意味づけようとして、やきもきすることも必要でなくなる。徒に過去を振り返るよりは、現在周りにいる若い人たちの人生に対して、エリクソンの言うような「執着の無い関心」を持つ事も出来よう。彼らの参考になるものが自分にまだあるなら、喜んで提供するが、彼らの自主性をなるべく尊重し、自分は自分で、命のある限り、自分に出来ること、なすべきことを新しい生き方の中でやっていこう、という境地になるだろう。

自分の人生を振り返り満足できると危機感を感じないで幸福に人生を終えることができるといい、すなわちそれが統合、完成であるが、それには宇宙という大きな秩序の中で自分を捉えることで達成されるとエリクソンは言う。
健康に幸福に生きてきた人の心は、そういう満足と感謝の境地にいたるもので、死んでも死にきれないという人や、未だ人生に感謝できないと言う人は、きちんと老年期を迎えていないのだ、という。最後に問われるのは、「人生に感謝できるか」が課題となる。感謝できる人は危機感を持たずに死んでいける。感謝出来る人は年を取ることを受け入れることが出来る。

この宇宙観に通じる、神谷美恵子の素晴しい文章があるので最後にそれを紹介する。
老いて引退した人間の最大の問題の一つは、社会的時間の枠が次第に外されていくところにある。体内時計の回転は遅くなっていくうえ、周りからの押し付けられる時間の圧力が減ってくると、うまく時間を自主的に支配するのが難しくなってくる。このことを良く覚悟したうえで、自主的に自分なりのペースで生きる時間の用いかた、配分の仕方を考え、超時間的に時間を観ずることが出来るようになるのが望ましい。そうすれば自分の一生の時間も、悠久たる永遠の時間から切り取られた極小さな一部分にすぎないことがわかるであろう。
自分は自ら志願してこの世に生まれてきたわけではない、この永遠の時間の一部分を意識して生きる人間存在になろうと願い出てきたわけでは無かった。しかし生まれたからには与えられた時間を精一杯生きてきた、時間を充実させて、なるべく良く生きようとは努めてきた。しかし、自分の一生には多くの若気の至りや過ちや「もっと良く出来たはず」のこともあるだろう。他人が自分をどう見るかは大した問題ではない、その他人もまた死んで行くのだから。
それより自分こそ、自分の一生が完全無欠なものでは無いことを知っている。ましてや、もっと大きな目から見れば、自分の一生などなんとおかしな、滑稽な憐れむべきものであろう。それにもかかわらず今まで人間として生きることが許され、多くの力や人によって生かされてきた。生きる苦しみもあったが、また美しい自然や優れた人に出会う喜びも味わえた。そしてこれからも死ぬ時まで許され、支えられて行くのだろう。これからも自分が意識するとしないとにかかわらず支えられて行くのだろう。永遠の時間は自分の生まれる前にもあったように自分が死んだ後にもあるのだろう。人類が死に絶えても、地球がなくなっても、この「宇宙的時間」は続くのだろう。自分は元々その宇宙的時間に属していたのだ。だからその時間は自分の生きている間も自分の存在を貫き、これに浸透していたのだ。
時間を一つの流れに例えるのなら、岸辺に在ってその流れを見ている観察者を想定しなければ成り立たない比喩だという意味のことをメルロー・ポンティは言ったが、厳密な意味では人間はその観察者たりえない。人間は流れそのものの一部なのだから。誰かが観察しているとすれば、それは「神」か何らかの超越者だろう。

私は神谷の言う超越的存在は、何も形を持った有機体を想像しなくても良いのではないかと考えている。それが、私が自律統合性機能autonomous integrity funcionと呼ぶような超越的な宇宙統制システムであるとすると、神ではなく私の宇宙観でも良く説明できる。

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エリクソンのライフサイクル⑥‐Ⅶ期 成人・中年・壮年期(35から55歳)―「世代性/停滞性」-過去と未来をつなぐ架け橋になり世代性を生きる

アイデンディティを選択し確立してから、相手のために自分を捨てることが出来るような親密な関係性が持てるようになると、人は結婚し、仕事にも充実感を覚えるようになる。こうして人生本番への関所を通過すると、いよいよ人生の本番、最盛期が訪れる。壮年期あるいは中年期と呼ばれるおおよそ35歳から向老期までの55歳くらいまで時期がこれに当たる。

働き盛りは、これまでに育まれてきた心身の機能をフルに働かせて人生と取り組み、歴史と社会のかかわりの中で何らかの足跡を残して行く時期である。生物学的には子孫ということになる。エリクソンはこの現象を、あるいはこの期の危機的な課題をジェネラティヴィティ(generativity:生殖性あるいは世代性と訳されている)としている。

generativityは、子孫を生み出すことprocreativity、生産性productivity、創造性creativity、さらには自分自身のさらなる同一性の開発の一種の自己―生殖self-generationも含めて、新しい存在や新しい制作物や新しい観念を生み出すことを表しているとしている。それは何よりもまず次の世代を設け、これを導くための配慮を意味する。停滞感は、生殖的活動の活性を失った人達の心全体を覆うものであるとしている。

  鑪幹八郎はこれを「次の世代を支えて行く子供たちを生み、社会に役立つアイデアを生み、それを育み、育てて行くことへの積極的な関与」であるとしている。

 佐々木正美は「前の世代の人から、その人体達が生み出した文化を学び継承する。そしてその上に様々な業績や創造を積み重ね、新たに生み出したものを自分たちが生きてきた証として次の世代に譲り渡す、これがエリクソンの言うgenerativityである」としている。

 壮年期は,先代に学び後進に託する世代性を生きるのである。このサイクルは次の世代のライフサイクルと交叉するのであるが、これを自覚し、次の世代への関心、関与が無いとき、わたしたちの生活、社会的活動は停滞し、むなしい自己愛的な陶酔しかなくなる。

 生殖対停滞という対立命題から現れる「徳」は「世話」であり、それは、これまで大切にし来た人や物や肝炎の面倒をみることへの広範な関与をいう。

   成人期では、男も女も自分が何を誰を心にかけるcare forことになったか、何を成し遂げたいと願うcare toか、自分の作り生み出したものをどういう風に世話するtake care of方針なのか、を自らはっきりさせねばならない。このcareこそ壮年期の生殖対停滞という対立命題から現れる「徳」または「力」としてエリクソンが考えたものである。これは人間に備わった自然な力であろうし、生み出したものに対してあと後まで責任を負い続けることに、心は張り合いを感じ、真に生きている実感を持つが、これがうまく果たされないと、沈滞感、退屈感、人間関係の貧困、自己への没入などが生じるとエリクソンは言う

世話が本能的エネルギーを持った活力のある協和傾向の表現であるとするならば、それに対する不協和傾向が存在する。老年期ではそれは侮辱であり、成人期では拒否性、前成人期では排他性として現れる。世話は人間の本能的な協和性を表し、拒否は本能的な不協和性を表す。それは特定の人間や集団の世話をしたくないということであり、本能的な世話を洗練して行くとき、もっとも近しいもいのを好むというように選択的なものになるという事実は、人間は、ある程度明確な拒否性を有するということになる。ある程度選択的にならないと、何者かに対して生殖的であり、かつ世話に満ちているという状態にはなりえないという。

  30代後半から40代始めという時期は、青年期の感情の波も収まり現実への適応が増す時期ではあるが、家庭や職業への責任感と執着から来る悩み葛藤と老化の兆しへのおびえが出てきて、それが「中年の危機」と呼ばれものである。(エリオット・ジャック)

 小此木圭吾は、この期には上昇停止症候群(青年期以来前提となっていた「年と共に地位が上がり、収入が上がり、社会的な力が強まり、家庭も豊かになる」という思い込みが突然破たんすることによって生じる心身の症状をいう)の到来とともに、青年期に獲得し、これまで選択以前の当然のこととみなしてきたアイデンディティが正しかったのかと改めて自覚し、それを選び直す自由が与えられるとライフサイクルの危機が訪れるという。これが、ライフサイクルから見た中年の危機であり、この惑いを現実適応的に乗り越えて自己肯定が出来るのが「不惑」といわれるものであるという。

人によってはここで新しい境地に踏み出し、大きな創造性を発揮することもあるが,多くの人では、この時期に新しい自己像を受け入れることは困難な課題であり、このアイデンディティの危機は老年に近づけば、更に強いものになり、向老期が第二の思春期といわれる所以であるが、私はこれを「思秋期」とするのが相応しいのではないかと考えている。

 平均寿命の延びた現代では、子育てが終わったからといってじっとしているわけにはいかない。一生を貫くほどの生存目標がなかった人は、ここで一旦孤独になってみて、今後の生き方について自問して見る必要があるのかもしれない。

 自分に残されている半生を、本当に自分がやりたいこと、なすべきことに捧げようという意味で方向転換し、自分にとって本質的な事やろうという思いに駆られることもあるだろうし、それがユングの言う自己実現ではないかと思う。生物学的には下降線にありながらも、人間は内面的には上昇し始めるのを見ると、ポルトマンが言うように、「人間はただ社会的条件や生物学的に還元してしまえないところがある」ことがわかる。それは人間が、家族や社会に対して生きているだけではなく、自分、自己とも相対して生きているからである。

 神谷美恵子は、人生の旅路半ばで悩み多い所に差し掛かっても、その悩みをバネに、意思と決断と選択によって敢て冒険をおかしてより建設的な、より創造的な生き方に切り替えられるならそれは決してマイナスな生き方ではない。過去を切り捨てられない不決断こそ、人生後半を悔いの多い、愚痴の多いものにしてしまうおそれがあり、これは青年期より一層深刻な危機であろう、と言う。

 壮年期の終わりは向老期に接している。人生の半ばに一息ついて、余生をどういう風に使うか、と自問し、計画の練り直しをするのは現代に生きる者としては人間らしいことである。まだまだ時間も体力も残っている。問題は、迫りくる老いそのものより、それに対するおびえ「予期不安」の方にある。それは定年を前にしたサラリーマンの神経症、更年期うつ病などでよく見られるところである。

  人は皆が皆、青年期から壮年期にかけ順調に上昇し、ある程度の達成感の後で、上昇停止症候群に襲われ、実存的な悩みを持つわけではない。青年期に描いた目標に達せず、やむを得ず目標値を下げても、それにも達せず、さらに下げても達することが出来ず、負のスパイラルを描くような下降線のやるせない壮年期になることもある。これを私は「墜落症候群」と名づけているが、ここでは自信喪失と既成の自己の崩壊がおきるから、もし新しい自己を実現しようと内面的な心情のまま行動してしまうと社会不適応をもたらす恐れがあるので、ライフサイクルの危機となりうるのである。

  壮年期は、表向きが順調であろうとなかろうと、アイデンディティの危機であることに変わりはないようである。

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エリクソンのライフサイクル⑤‐Ⅵ期  前成人期、青年後期( 23-35歳) ―「親密/孤立」―親密性を持つこと、家族や同僚との結びつき、結婚に人生をかけ、価値を見出す


青年中期、思春期後半の後の18歳から35歳くらいを青年後期、エリクソンでは前成人期としている。
ピアジェによれば、女性は18歳、男性は20歳が知力体力のピークであるとされ、ここで両性が結婚してもおかしくはないが、実際にはからだとこころの発達のズレのためにかなり長い間こころはからだにゆさぶられて、これと意識的または無意識的に格闘しなければならないという。
 アイデンディティの確立後の成人(中年、壮年)に至るこの期の人間関係を満たすためのテーマは、エリクソンは「親密性」連帯性であるとしている。同時にこの期間は神谷美恵子が言うように職業の選択、恋愛、配偶者の選択という「人生本番への関所」が構える時期でもある。この時期は多くの人が社会に出て行く頃であるが、今までよりも人間関係で親密な関係性を持つことで、自分の価値を見出し、社会に価値を生みだして行く、というのがエリクソンの考えである。
仕事では、相手と連帯する中で、相手の為に自分を与える(自己放棄)くらい信頼できる親密な関係性ができると仕事も非常に上手く行き、生産性も非常に高まるとしている。
 親密性は、恋愛においては特に孤独を癒すものであるが、相手の中に自己放棄できるような域に達すると(スタンダールの言う結晶化であろうか)、結婚という形で相手に自分を賭けることが可能になる。自分を放棄することが可能になるには、放棄しても自分を失わない強い自我、アイデンディティが確立している必要があり、従って思春期・青年期に上手くアイデンディティを選択し終えて、強い自我が出来ていないと、親密性のある人間関係が出来ず、孤立し孤独感に苦しむことになってしまう。孤立の孕む最大の危険はアイデンディティの確立が揺らぎ退行してしまい、青年期・思春期の葛藤が再燃してしまうところにある。

 しかし、現代では精神社会的猶予期間(モラトリアム)の延長がこの期にずれ込むことしばしばみられ、それは非婚であったり、結婚しても容易に離婚する等の現象として現れている。

 エリクソンは、人生の各時期の危機的な課題を見出して、ライフサイクルモデルを描いたが、それはその時期、時期に合った人間関係を満たす必要性をいうものであり、またサリバンは、人間は自分の存在や意味は人間関係の中にしか見い出せないと言い、ともに生きていく上での人間関係の重要性をいっているのである。エリクソンの各期に示された課題は、人間関係を満たしていくための危機的課題であり、行動の指標でもあるといえる。

 人間にとって必要な人間関係はエリクソンが示したように、時期によって異なっていて、乳幼児期は、母親あるいは母親的な人との関係が重要で、児童・学童期では母親より友達が大事で、中学生くらいに(前思春期、思春期)になると、多くの友達よりも仲間、親友、尊敬できる先生が大切になってくる。前成人期・青年後期になると仲間や同僚に加えて新しい家族との関係を築き始め、仲間の中から自分を賭けられるような相手を見つけ結婚していく。

 思春期・青年前・中期の身体的心理的激変に続いて前成人期・青年後期の職業の選択、結婚というような社会的・個人的課題の重さに耐えるには、生まれ付きの素養はもとより、どのような環境で生まれ育ったかという、それまでの成育環境が大きくものをいう。
それらになんらかの問題があると前成人期を順調に乗り越えられず、社会生活に支障を来たしたり、あるいは精神障害を来したりするので、精神医学的には、この期は一つの「危機」として捉えられている。
青年期の難関をどう切り抜けるかは人さまざまで、遊び半分でというほどの身軽さや形式的とでもいえるようなそつなさで潜り抜ける青年もいれば、悠然と構えるもの、不器用に試行錯誤を重ねて泥まみれになるものもいる。まさしく千差万別である。

 日本の教育制度では、一般的にアイデンディティの選択、確立が出来る前に、将来の方向性を決めてしまう大学の進路を決めなければならないし、いったん進学してしまうと、専門教育に突き進むという現在の国の施策に大きな問題があるように思えてならない。現在の学生には、広く自由にリベラルアーツ(一般教養)を学びながら、苦悩しつつ自己のあり方を見出していく余裕が与えられていないのである。これは成人期にまでモラトリアムを持ち越す大きな要因になっていると思う。

 小此木啓吾は、ライフサイクルにおける成人期の意味合いが変わり、青年期にアイデンディティを選択するという大きな山が一つであったのが、成人、中年から向老期、老年期に向かってもう一つの山が現れるようになったという。アイデンディティの見直しである。(というか、前述のようにアイデンディティの持ち越しであるのかもしれない。)現代は厳格なアイデンディティの確立とそれに対する忠誠心を最高の人間的価値と見做す時代ではなくなり、常に自己の可能性を豊かに残し、現在の自己の在り方は多数の自己の在り方のひとつであって、次の年代や時代ではまた別の自己の在り方がありうると思うようになった。「あれかこれか」で来た人間が「あれもこれも」で常にいろいろな可能性を養い、時ところで柔軟に発揮しようとする、こうした心理構造をもった人間を小此木はモラトリアム人間とし、現代社会の心理的性格の特徴でもあるとした。

 すべてが一時的、暫定的として捉え、最終的な自己決定を猶予して、できるだけ多くの可能性を残そうとする。これは自発的というようより、社会の変化に順応した生き方と言えるかもしれない。社会は一貫した揺るぎない生き方より、時代に順応した新しい自己を登場させていくような活力を必要とするようになったのである。
 その為に人々は自己選択の危機が繰り返し訪れるため、不安から安らぐことはなくなった。
 それは、自分の発達、変化を超える時代の変化の速さが常に眼前にあり、旧来の終身雇用制、大家族制が失われたことで、一貫した不変性、安定性が失われたことと関係するだろう。ある年齢からは、自分以外の周りの力で支えられて生きて行くというエトスが無くなったためか、現代人は常に備えていなければならない、変化に対応しなければならないという切迫した宿命を抱えることになったのである。

 従って前成人期の在り方も変わらざるをえない。
過度な親密性、自己放棄はためらわれるようになったし、自分が選んだアイデンディティに忠誠を尽くす必要性は薄らいだのである。
アイデンディティは容易に可塑性をもつようになり、青年期に選択し確立したもので一生を貫き確固たる人生を送ることは困難になった。
幸か不幸か、人は常に自己の在り方を見つめ直しつつ生きる時代になったのだろうと思う

 

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エリクソンライフサイクル④ Ⅴ期ー思春期・青年期(13から22歳)「アイデンディティ/アイデンディティの拡散、」-仲間を鏡にして自分を見出す

精神の科学6

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 エリクソンによれば、13歳から22歳ころまで、中学生から大学生の時期を思春期青年期という。
普通発達心理学では、児童期と成人期の間の幅広い発達区分を青年期とし、それを更に青年前期、青年中期、青年後期3期に分けて記述するのが常である。また思春期の用語も使われるが、それらの関係は13歳から15歳の中学生の時期を青年前期あるいは思春期前半とし、16歳から18歳の高校生の時期を青年中期、あるいは思春期後半とし、19歳から22歳の大学生の時期を青年後期とする分け方になる。本来エリクソンのパーソナリティの発達段階は、個人差が大きいのではっきりと暦年齢では区切るのは適当ではないとしているが、我が国では、思春期に重きを置くのか細分化して論じる傾向があるようである。 

 思春期・青年期はアイデンディティ(自己同一性)がテーマになる。
「自分はこういう人間なんだということを知ること」である。自分がわかる、自分自身を客観的な目で見られるということ、「自分が他人にどう見られているかを意識すること」、つまり公的自己意識が高まって来るのである。
学童期までは何事も主観的に考え、人が自分をどう見るなんて気にしないのが普通であり、自分は、自分が考えるイメージ通りの人間だと思っている。それが自分は思った通りの人間ではないと気が付きだし、人に言われて客観的に自分が見えてくるようになってくる。
友人など周りの反応を見ながら自己認識、自己洞察が出来るようになってくる。

 従って学童期まではたくさんの友達と交わり、色んなものを共有し合っておくことが大事となる。
 思春期になると、不特定の友人の中から価値観や主義、信条の合う仲間や親友を作り、その仲間や尊敬出来る先生との関係を自分を映す鏡とし、自分がどのような人間かを見出していくようになり、自分の価値、能力、長所、逆に欠点、短所、弱点を知っていくことで自分の適正が自覚されるようになり自分の社会的役割が見えてくる。そうゆう活動を通して自分を見出していき、アイデンディティが固まってくるのである。
 その過程で親離れをするが、それは親から完全に離脱するのではなく、距離が遠くはなるが適切な距離を保つことが大切であり、親との距離を適度に取って、仲間たちの付き合いのなかで自分を見出していくのが健全な成長である。この過程が無いと不安定なまま20代に入ってしまう。
 別の言い方をすれば、学童期までのテーマとして、学校の先生とか、家族の周囲の人たちを理想の人物として同一化し、模倣していたものが、その人の欠点や、その人と違う自分に気付くようになり、理想と失望のプロセスを通して、本当の「自分とは何者か」「自分は何をやりたいか」が見えてくることでもある。他人の影響から脱して自分が自分の主人公になっていくということ。これを同一化から同一性へのプロセスというが、これは、自分で自分を作っていこうとする心の動きであり、決定したことの責任は自分で負うという孤独を味わうことを意味し、多くのエネルギーを必要とする。
 青年は、このプロセスの中で、「自分が何であるか」「自分の社会の中での位置づけ」「思想的信念や価値観」を獲得していく。
 この過程で、孤独感に耐えられない人は、決定のプロセスを人に任せたり、人の言いなりになって回避したり、決定を先に延ばし逃げてしまう。決定のプロセスから逃げ出すということは、自分から逃げだすことと同じであるから、自分をますますわからなくなってしまう。これをアイデンディティの拡散、混乱という。
 そのような場合は、アパシーやモラトリアム、引きこもり、ニートになる可能性が出てくる。しかし本当はアイデンティティの拡散、混乱と言う思春期青年期だけの躓きというより、乳幼児期の愛着関係の形成の失敗、児童学童期に友達と十分交流出来なかったことなどに原因があることが多い。
 最近の日本人は、愛着関係が希薄であるという指摘(ジーンレンガ―)もある。
ひきこもりの人は、コミュニケ―ションに絶望していて、疎外感が生きる喜びを奪っているのであり、その解決には親子関係、仲間との関係をゆっくり築きなおすことが、重要となる。

*思春期前半期(中学生時代)
思春期前半は、第二次性徴の発現と併行して、多感な人生の春の訪れを意味する。この時期の心理現象は多彩で個人差も大きく的確にとらえるのは難しいが、大きくは3つのテーマを想定することが出来る。
1) 児童期までとは異次元の性、2〉親から離脱自立する一歩を踏み出すこと、
2) 自他の間に新しい関係を作り出していく、ことである。
 この時期の変化の根底にあるのは【性】であり、性的アイデンディティの形成が始まる。
 ⅰ)自身の身体の変化に直面して、困惑、不安、罪悪感、混乱が生じ、ⅱ)異性の身体への関心が芽生え、性に目覚め、ⅲ)秘密の世界を持つようになり、ⅳ)今までのように他者と無心で接することが出来なくなり、新しく他者が出現して来て、他者のまなざしを意識し始め、他者の気持ちや立場を察することが出来るようになる。この中で性愛的感情のこもった、自我理想を希求する同性の友人を作ることで、親からの離脱によってもたらされた自我の弱体化によって、見失ってしまった自分を取り戻すようになる。そして親や教師の権威が崩れ落ち、建前だけの空疎な権威が通用しなくなるのもこの時期である。一方で空想が活発化し、無気力で内省的で自己への静かな集中、内向傾向を示す時期が繰り返し訪れる。

 そしてこの間の中心的なテーマは両親からの離脱の開始である。
 この過程は乳幼児の分離―個体化の過程と基本的には同じであり、マーラーが示したように分化と身体像の発達、練習の段階、最接近、個体化の確立の下位段階を経て達成される。
 親と距離を置き、親の目を盗んで冒険を試みるが何回も挫折にみまわれ、親との肯定的な新しい関係が出来て行く。いろんな局面で、否定―肯定―統合という展開が繰り返され、万能的な自己認知が現実的な認知に代わってゆくのである。

 サリヴァンの対人関係青年期論によれば、青年前半期には、真の性欲(性器的欲求)とそれに由由来する関心とが噴出し、やがて生殖行為の基本的形式が身に備わっていくのであるが、性欲は往々にして安定を脅かし、また親密さへの要求とは必ずしも適切に統合されず、葛藤を生じるが、それを乗り切って統合を図るのが青年前半期のもっとも基本的な課題であるとしている。

 ブロスはこの時期を、3歳の頃に達成される個性化に次ぐ第二の個性化であるとし、心的構造の変革が生ずるという。児童期までの親への愛着・依存を脱して、新たに家庭外に愛情の対象を切実に求め見出す過程で根本的自我変革が生じる。親との一体感が失われる結果として親の機能の絶対性が緩み、より主体的に選ばれた、しかし自己愛的な性格の強い新たな価値規範(自我理想)が影響力を持つようになる。母親からの分離独立の過程は3歳時と同じように退行と前進を振り子のように往復しつつ次第に確立されていく。この過程は不可欠だが、脅威に満ちた厳しい課題であり、成功するためには児童期に達成された自我分化と成熟が退行中も心の周辺に在って自我を支え、現実についての的確な認知を完全に失わせないことが重要であるとしている。退行的状態に陥って、象徴言語によるコミュニケーションではなく行為言語に回帰して行動化すると家庭内暴力や種々の問題行動になったりするとしている。親や親代理とのきずなを断ち切って真に分離する過程では、親には甘えられないが、まだほかに甘える対象が見つからないといった宙ぶらりんな状態に耐えねばならない。この間は超自我(親の躾、良心、内面規範)の自我統制力が弱化し、親の権威に左右されないより普遍的な価値も道徳律も十分ではなく、愛憎や依存の対象が失われる結果、孤独感や抑うつ気分、内的混乱に陥り易く、これらの状態から逃げ出したいと無意識に強く望むようになる。これらの自我統制の弱化と逃避要求の気持ちが、問題行動に関与していると思われる。
 この時期の心理的特質は、新たに自己のうちに立ち現れてきた、身体的、対人関係的、社会的な諸次元での決定的なある変化を、戸惑い、困惑、不安、期待、好奇心、希望等々の感情や態度を伴いながら、受けとめ同化し、またそれらに順応していく一連の複雑な過程が思春期の開始とともに動き出すことであり、漠然としていてはっきりとした形を成してはいないが、しかしそれらの変化が学童期までの経験とは全く次元の違うものであることを少年少女は承知しているのである。

*思春期後半(高校時代、17歳前後)
 17歳という年齢は青年を代表するものとして文学作品の題材にもしばしば用いられるように、もっとも青年期らしい特徴がくっきりと出てくる時期である。
異性との愛情関係の確立がこの時期の切実なテーマであるが、それには必然的に個の確立が要請され、未来の自己がとるべき社会的役割を明らかにするというアイデンディティの確立がかかわってくる。
 異性愛を成就するには一段と明確に両親との間の幼児的愛憎、依存の気持ちを断ち切らねばならないが、この際に対象放棄に伴う悲哀感情、両親との別れへの喪の気持ちが生まれ、この時期の抑うつ気分、悲しさの憂いを表出させる。
 また異性に愛情を感じることが出来るためには児童期までの両性的傾向を脱し自分の性別に相応しい特徴を中心に統合された自己像を作りあげる必要がある。
生物学的に一応男であること、女であることと心理社会的に男、女として通用するかどうか、本人自身も自己の性に安心と満足を持てるかどうかは別の話であるが、青年期には「男らしさ、女らしさ」を身に着けようと、自覚的に自分の性役割に相応しい目標、理想を選び取り追求しようとする気持ちが起こってくる。

 我々は児童期までは人格を持ったリアルな他者に出合うが、やがて青年期になると他者一般というべきもの、俗にいう世間にも通じる抽象的超越的な何かに出合うようになる。こうした他者一般が見えて来るのが思春期の特徴でもある。目に直接見える世界とその奥にあるより本質的な何かとが弁別できるようなるのも思春期の特性である。言い換えれば、他者との対人的距離をオモテ・ウラ(建前・本音)の二段構えを用いて適宜保って行くことを学び始めるのである。

*青年後期(19~22歳)
青年後期は歴年齢からいえば、大略18,9歳から22歳に当たり。大学生の時期がこれに該当する。
青年後期の大まかな特徴は、思春期がいずれかと言えば心理・生物学的な規定要因が強いのに対比して心理社会的な規定要因が増す時期ととらえることが出来る。
思春期において、ほぼ身体的な発達課題を達成し、自立をし始め、自我、パーソなりティの再編成を推し進めてきたが、青年後期ではその総決算を行い、社会の中での自分の役割や位置づけについての自覚を、さまざまな試行錯誤の中で見出していく。それは、自分は、この世で何をするべきであるか、何が自分の貢献できる持ち分であるかという問いであるのと同時に、自分は何者であるのか、何のために生きて行くのか、という実存的な自己意識であり、このような自我意識の形成についてエリクソンはアイデンディティの概念を作った。

<同一性アイデンディティ>
エリクソンは、フロイトの精神・性的な観点に、精神社会的な観点を加え、かつ対象関係の視点を導入して、人間発達の漸成説を展開した。母親との関係、両親との関係、友人・仲間集団との関係など、それぞれのライフサイクルに重要な対象との対象関係を発達段階に準じて、達成されるべき8つ精神・社会的パーソナリティ特徴のテーマをあげ、それが上手く達成されなかった時の陰性の状態とを図式化してライフサイクル理論を建てた。(図1)

図1:エリクソンのライフサイクル

図1:エリクソンのライフサイクル

 同一性とは、このような自我と対象との関係の漸成説を基礎としてエリクソンが造出した概念である。すなわち同一性(アイデンディティ)とは、まず第一に自己の単一性、連続性,不変性の感覚を意味する。第二には、しばしば自我同一性と言う言葉で表現されるように、-エリクソンは必ずしも同一性と自我同一性を厳格に区別して用いているわけではないー乳児以来の発達段階で見られるように、各個人のそれぞれの段階ごとに獲得された意味のある同一化群を統合し、単なる総和ではない一個のまとまり、新しい同一性を作り出す自我の統合力を意味する。第三には、それは一定の対象、グループとの間で是認された役割の達成や共通の価値観の共有を通じて獲得された自己尊重感及び肯定的な自己像を意味している。

 個人は出生以来、父母、家族などその段階ごとに意味のある対人関係の中で同一化を重ねることにより、自我発達をとげてゆく。この過程でそれぞれの家族同一性、集団同一性を形成し漸進的に自己の生活圏を拡大してきたが、青年期に至り、それ以前のすべての同一化や自己像を社会との関連の中でとらえ直し、選択・統合して、一つの首尾一貫した全体として形成したものが『同一性』である。
自我同一性とは、青年が成し遂げなければならない中心的仕事であり、彼がかつてそうであり、また現在なりつつあるものと、それから彼が考えている自分と、社会が認めかつ期待する彼と、これらすべてを総合して一貫した自分を作り上げることである。すなわち自我同一性は青年期に及んで結晶化し形成されたものであるが、その素材は個体の乳幼時期以来の数々の同一化を含んでいる。このような過去から由来するものと、現在の状況の中で与えられている機会と役割から自我同一性は形成される。
青年が確実な自分、自己定義を見出すに至るまでには様々な役割、価値を試行錯誤的に取捨選択する時間的余裕が必要で、何ら責任を伴わずに、そのような可能性を自由に試し得る期間を『心理・社会的猶予期間、モラトリアム』と言う。モラトリアムは緊迫感と危機感を持っているが、その危機を上手く乗り越えられれば、自我同一性を実現できるが、乗り越えられないときは「自我同一性の拡散・混乱」の状態になる

 

Platinoron Gel(プラチノロンゲル)細胞・分子レベルから量子レベルへ

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