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京都でお茶屋遊びの至福―嬉しいK君の心遣い

 形成外科医時代の後輩たちとの集まりが京都の学会に合わせてあった。

お茶やさんで集合写真

お茶やさんで集合写真

 今回はいつもとは趣の違うもので、頭蓋顔面外科の草創期に一緒にやっていた仲間の一人が、その後ゆえあって整形外科に転科し、今や立派な整形外科クリニックの院長となり、同時に理学療法リハビリ関係の大学の学長にまでなった者がいて、その彼が私を始め縁故の数人を招待し、宮川町のお茶屋で宴席を持ってくれたのである。彼の名はK君という。

 京都の花街は祇園がつとに有名であるが、祇園に二つ、隣の宮川町それに先斗町と上七軒が5街と呼ばれているそうで、宮川町は地元の人達の贔屓が多く、観光客は少ないようだ。

 日本でクラニオフェイシャルサージャリ―を本格的に始めた頃は私も若く、血の気も多かったので手術室はいつも緊張感でピリピリしており、K君などは、しょっちゅう頭ごなしに叱られた毎日で、悔し涙に明け暮れたことと思う。

 そんな彼が、20数年の月日を経て、私を曲がりなりにも、師として扱ってくれたので、感慨深いものを感じつつ、喜んで饗応を受けたのである。
 実は、私のリクエストに合わせて、前回書いた「すっぽんの大市」から宮川町のお茶屋まで、すべて彼の接待であったのである。

神妙なI君

神妙なI君

初めての金毘羅船ふね

初めての金毘羅船ふね

場慣れたK君のとーらとら

場慣れたK君のとーらとら

 わがままついでに、こんな席には無縁な解剖学のI先生も人生経験として参加したいとの意向であることを伝えると実に快く引き受けてくれたのである。

きわどい歌も出たオネーサン

きわどい歌も出たオネーサン

年夏菜ととし純にはさまれてご満悦

年夏菜ととし純にはさまれてご満悦

ローカルなクリアファイル

ローカルなクリアファイル

 人というのは、立場が変われば、すべてが変わっていくものであろうか。
しかし、皆が皆このような振る舞いをし、心情のこもった恩顧の気持ちを表すものではないことも事実であろう。
むしろ、これとは逆のパターンの方が多い。いや殆どがそうであろう。

 世話になっておきながら、立場を得ると、まるで一人の力でなったかのように振る舞うのである。表向きは兎も角、腹の中では、なってしまえばこっちのものと言わんばかりの態度をとるのである。そんな風だから形だけの盆暮の挨拶すら出来ないのである。若いころから面倒見てもらうことに慣れっこになり、する立場に変わっても、相も変わらずしてもらおうとする情けない根性無しなのである。真に自分の力で成り上がっていないから、苦労やキビに疎いのであろうか。
 そんな考えであるから、後はやることは保身に走るだけになるのである。

 誤解されるのは心外だから言うが、これは接待や金品が欲しくていうのではないよ。立場が変わって、自分にできることがあれば、それで報いようとするのが、人間の持つ根源的な情愛というものであり、誠の心粋であると思うからだ。

拙著

拙著

 最近著書「本当に美しくなるための医学」を著したので、多くの大学関係の知人に本を贈呈したが、真っ先に礼状が来たのは年長の先輩たちからであり、特に学問的なライバルとしてきた東大を始めとする国立大学系の方が多く、たとえ後輩からでも、実に親愛の情のこもった手紙を頂いたが、もっとも濃い関係であった同学の者たちからは何の音沙汰も無いのである。

 互いの利害が離れた立場になって、どのような交流が出来るかが、その人間の人物をあらわすことを理解していないのであろうか。

 ま、これはつまるところ、当の教育する側に問題があったとするほかは無く、尊敬する私の脳神経外科学の恩師であり、人生の師でもある名古屋保健衛生大学名誉教授の神野哲夫先生は、近著で同じようなことを嘆いておられる。
 要するに指導的立場になりながら人間学、教養学が決定的に欠けているものが多すぎると。

 僕の永年の仲間たちは、そんな風でいるとは信じたくはないのだが、、。

二次会、合流組を加えて

二次会、合流組を加えて

 

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