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半世紀ぶりのテント劇―花園神社、新宿梁山泊「腰巻おぼろー妖鯨編」を観た

この5月11~21日まで下北沢小劇場でシュヴァ―ヴ作『シェフェレ』の主役をやって燃え尽き症候群になっていた友人の女優K.L.嬢の誘いを受けて、6月の末に、花園神社の境内に紫テントを張って上演している劇団「新宿梁山泊」の30周年公演『腰巻おぼろー妖鯨編』を見に行った。
テントで上演するいわゆるアングラ演劇の類を見るのは、実に50年ぶりのことであった。

演目名からして唐十郎の状況劇場・赤テントを想起させたが、事実、『腰巻おぼろー妖鯨編』は、唐十郎が42年前の1975年に上野不忍の池の赤テントで5時間に及ぶ大作を上演したものを、唐の演劇論の後継者を自認する演出家の金守珍が3時間3幕に短縮し編成し直したものであった。
唐十郎が1963年に状況劇場を旗揚げし、新宿・花園神社境内に赤テントを立て「腰巻お仙―義理人情いろはにほてと編」を上演し、周辺の町内と揉めて、退去を余儀なくされ上野で上演した時代の作品であるから、当然60年代の実存主義の色合いが強く、ドタバタ劇ではあるが基本的には不条理劇なのであろうが、小生にはストーリーは皆目追えず、この芝居の主張は一体何なのかよく分からなかった。劇中で、「ある」のか「いる」のかが問われていたり、ヘミングウェイのキリマンジャロの雪が意味深に使われていたりしたが、当時の、日本経済が正に高度成長の頂点に向って邁進して行く中で、70年安保の激しい政治運動で挫折し、多くの若者が自分の存在や生きる方向性を見失った状況が重なり、まさに実存が重く問われた時代背景が読み取れるものではあった。
ストーリーはよく理解できなかったが、場面、場面の台詞回しは面白く、特に古参俳優の大久保鷹の演技は円熟し枯れた妙味があり、多くの観客を引き付けるものがあった。

テント劇場と言っても50年前と比べると、設備環境は数段良くなっており、舞台は立派に出来ていたし、桟敷席には座布団が敷いてあり、指定席は雛壇で、椅子にはクッションも付いており、お尻が痛くなることも無かった。また昔と違って場内禁煙で、時代の変化を感じさせるものであった。

芝居の最後には、お決まりの、舞台の背景が突如開き新宿の夜景をバックに噴水のような水柱が何本も立上がるのは迫力もあり図らずも感動してしまった。また大きな鯨の尾ッポの周りに女優たちが人魚姿のコスチュームで水しぶきを浴びる演出も場違いに妖艶というかセクシー?な演出で楽しかった。

テント興業というからには、もっと野性的というか暴力的な雰囲気かと思って出かけて行ったのだが、至って上品なもので、観客のヤジや掛け声も無く、一体この芝居をテントでやる意味があるのかとさえ思ったりした。(逆に、今の国会こそ野次の応酬で、時に乱闘もあり、テントでやるにふさわしいと思った。)

演出の金守珍

最古参の大久保鷹

 

「新宿梁山泊」は、唐十郎の弟子にあたる金守珍が1987年に創立した劇団で、唐十郎の状況劇場や唐組とは直接の関係はないらしいし、それに当時とは時代も違うので、危険な雰囲気が消えているのも当然かもしれないが、唐十郎といえば、寺山修二の天井桟敷への殴り込み乱闘事件やゴールデン街での包丁を振り回しての数々の立ち回りや、芝居の最中に客と殴り合うとかの伝説が余りのも喧伝されているので、少々拍子抜けしたのも事実であった。

思えば、あの頃(1960年代)は、暴力が日常性を持った時代であったのかもしれない。新左翼に限らず、権力に暴力で抵抗するという構図は一種のヒロイックさを持って見られる社会的風潮があったのだ。
小生が大学に入学し上京した1965年頃は新宿は本当に自由な街であった。どこで何をしようが警察権力が規制したり取り締まるということは殆どなかった。どこで群れ騒ごうが、東口のロータリーで朝まで寝ていようが、コマ劇場前の池に飛び込もうが、まさに“”状況の中でどうするかの選択は自由”であったのだ。
それでいて、街中が無秩序であったとか治安が悪かったということではなかった。不思議と自然に平衡・均衡がとれていたのである。

1967年の10.21新宿騒乱事件の後、新宿駅西口地下広場のフォークソング集会すら弾圧されるようになってからは、新宿はすっかり変わってしまった。自由が規制され弾圧されたのだ。歩道は歩くところであると警察に規制されれば、やがて若者は歩道で立止まることはやめ、すっかり従順になってしまった。そして猥雑で自由であった歌舞伎町はヤクザのはびこる単なる風俗の街になってしまった。
当時は紀伊国屋や風月堂は新しい文化の発信基地であり、新宿、渋谷のPIT-INやDIG,DUGなどのモダンジャズ喫茶や天井桟敷、赤テント、黒テントなどのアングラ劇場には世の中に背を向けた学生やヒッピー気取りの若者で溢れていた。銀座や六本木にはアイビールックで軟派のミユキ族もいたりもしたが、新宿の泥臭い若者カルチャーが世の中を圧倒していたのである。

今回の「腰巻おぼろー妖鯨編」の舞台美術、広告ポスターを担当している宇野亜喜良も、当時は横尾忠則と並んで彗星のように登場してきた非体制の超人気のイラストレーターであり、新しい芸術の表現者でもあった。小生の記憶では、横尾忠則は主として天井桟敷のポスターや平凡パンチ、東映の任侠映画で活躍していたが、宇野亜喜良は繊細な線描画で朝日ジャーナルの高橋和己の小説の挿絵などを書いたりしていたが、やがてロマンティックで何処か退廃的でエロチックな少女像でサイケデリック、ピーコック革命と称したモードの寵児になった。現在80歳をゆうに過ぎても、彼の独特な少女画はロスゴリ趣味的な少年少女、青年たちにとても人気があり、ポスターや舞台美術、美術展などでなお幅広く活躍している。

小生は、新宿には自由が無くなった、と思うようになってから、つまり1970年前後から新宿にはすっかり行かなくなってしまった。少なくとも夜は全くと言ってよいほど足を踏み入れることはない。昔を知っているだけに、空気が余りに違ってしまい、つまらないのである。
日中なら、伊勢丹地下の食品売り場と、東口の眼鏡の和真だけには時々行きはする。その2か所には他に替えがたい長所があるからである。小生には、その他には行くべきところはもはや無いのである。

しかし、花園神社に又テントが張られるのであれば、再訪はありかも知れない。
それほどにテント劇は小生のノスタルジーをくすぐったのである。
それは単に青春の日々をセンチメンタルに反芻するためだけかもしれないが、
それよりも、それだけ小生も十分に歳をとり、老い先短いという証拠なのだろう。

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