年に数回のことであるが、妻に誘われて観劇に行く。1月某日、日生劇場で公演されていた「黒蜥蜴」の観劇に行った。
観劇は妻の招待であるが、夕飯は驕ることになっているので、BS朝日の「土居善晴の美食探訪」で紹介され、気になっていた銀座「茂松」に行ってみた。
演出家デヴィッド・ルヴォ‐は三島由紀夫と歌舞伎を通して日本を理解し、日本でもTPT(シアタープロジェクト東京)の芸術監督を務めるなどして活発に活動しているトニー賞受賞の世界的演出家であるが、この度は女優中谷美紀とミュージカル俳優井上芳雄を配して、満を侍して三島由紀夫の戯曲「黒蜥蜴」を演出した。
黒蜥蜴は、江戸川乱歩原作の耽美的な女賊ものの探偵小説であるが、三島由紀夫が気に入って戯曲化し丸山(現三輪)明宏主演、深作欣司監督で映画化され有名になった。
他にも映画や舞台化されているが、クールで知的な美貌と高貴な品性と耽美的な色香とカリスマ性を併せ持つ黒蜥蜴役は中谷美紀が歴代最高と評判も高く、明智小五郎の井上芳雄もはまり役と評価は高かった。
私立探偵である明智は犯罪や犯人自身を憎んでいるわけではなく、犯罪から顧客を守り犯人検挙をビジネスとして取り組んでいるだけであるから、ある意味、自分に対峙する犯罪者の本当の理解者であるかもしれないし、ましてや犯罪が巧妙であればあるほど犯罪者を好敵手としてリスペクトするのも自然である。
その相手が圧倒的な美貌と知性と品性を持つ女性であるなら、敵愾心が恋心に発展しても不思議ではないし、黒蜥蜴も、超エリート並みの知性と男前な美貌を持ちながらアウトサイダー的に生きる明智に心惹かれるのも務べなるかなであろう。
戯曲「黒蜥蜴」が唯の恋愛サスペンスもので終わらないのは、愛する相手を殺してこそ本当の恋は成就するという少しグロテスクでもある耽美性があるからであろう。三島の耽美的なサディズム、エロチシズムは「サロメ」や「黒蜥蜴」に共通する「愛するものを殺して、その首や身体に接吻するイメージ」にこそ現れている。
「美しく存在すること」に道徳功利性を排して最高の価値を置き、「私は美しく美そのものであるから、私が存在すること自体が存在理由である」と言うに相応しい女性がいるとしても、多くは白痴美であろうから、もし黒蜥蜴のように、絶対的な美貌に加え最高の知性と品性とエロスをも備えているとしたら、小生も今更ながらにしても人生を棒に振って惜しくはないと思うに違いない。
女優中谷美紀は黒蜥蜴のイメージを見事に体現していたと思う。黒蜥蜴が中谷美紀か、中谷美紀が黒蜥蜴かという程、成りきっていたようにも見えた。
中谷美紀という女優は、失礼ながら、出自も学歴・成育歴も括目に値するものは無く、テレビで見る限りではオーラも感じなかったが、黒蜥蜴と言う役を得て、彼女の隠れた天性のものが表出したのか、あるいはこれまでの努力の結実かは分からないが、とにかく黒蜥蜴の知的で品位のある美貌、エキセントリックなエロチシズムを感じさせる雰囲気を見事に演じていたと思う。
その意味でも彼女を選んだデヴィッド・ルヴォ‐はさすがに慧眼であると思った。
またドアという舞台装置を巧みに使い、物語をテンポよく展開させていくところなども感心した演出であった。
すっかり舞台の魅力に心奪われた3時間であったが、終わって会場の外に出ると未だ陽は高く、茂松の予約時間には間があったので、しばらくご無沙汰の『すし家』に顔を出しご機嫌伺いの挨拶をしたり、近くのカフェでチョコレートパフェを食べたりして時間を潰した。
茂松は銀座6丁目の少々くたびれたビルの4階にあったが、何でも炭火を使うため排煙管を設置する必要があり、それらの工事が出来る物件ということでそのビルになったということである。
噂どおりの妙齢の美人女将に迎えられ、カウンターの端っこに座った。目の前には見事な七輪コンロや沢山の土鍋(伊賀焼か?)が並べられ、大型の蒸し器までが陶器で出来ていたのには驚いた。
料理は、正直言って,主人の仁王様のような大柄な体格にも似て、やや大味な直球勝負な味であった。すべての料理に共通して言えるのだが、味がしっかりしていて濃いのである。
私たちは自腹族であるから一番廉価なコースを食べたが、隣のおそらく他腹族と思しき人たちは上級コースを頼んでいたので、例えば刺身が河豚であったり、焼き物の魚の種類が違っていたが、茂松の味を知る入門編としては、廉価なコースで十分であると思った。
料理で最も印象深く、これは余所にはないなと思わせたのは最後に出された炊き込みご飯であった。当日は黒ムツと牛蒡の炊き込みご飯で、これは絶品であった。二人分にしては多過ぎる量で、かなり残したので、もったいないから貰って帰ろうかと思っていたところ、残りは御土産にしますと機先を制せられた。
土居の番組「美食探訪」では「茂松」には一時間を当てて放送し、土居も茂松の料理を絶賛していたが、果たしてそこまでの評価か微妙であると思ったが、所詮はテレビという制約の中でのグルメ評であり、トモサトユウヤのように自己愛的に辛口過激な批評をしても始まらないであろう。
茂松はカウンター8席くらいと個室がひとつあるが、それを板前の主人と奥方の美人女将、二人で切り盛りするには限界があり、料理の間隔が間延びするのはまだしも、主人が調理に奥に消えてしまい、しばしば板場からしばらく居なくなってしまうのはいただけないと感じた。
それでも帰りがけは、主人がわざわざ炊き込みご飯の入ったお土産の折を下げて、エレベーター前で見送りをしてくれ、いたく恐縮したのであった。