3月の終わりの日曜日に池上本門寺に花見に行った。
実を言うと、本門寺に前に行ったのは数年前の正月以来のことで、本門寺に桜があるかさえも知らなかったのであるが、偶然寄ってみたら見事な桜があったというのが本当のところであった。
本門寺の魅力は境内の広大さである。建造物は幾つもあるが、いずれも間隔がゆったりと建てられており、スペースにゆとりがあるのが、ちまちまとした都会の日常とかけ離れて清々しいのである。桜もところ狭しと咲くのではなく、各々の樹が堂々とゆったりと咲き誇っているのが見る者の気持ちをおおらかにしてくれるし、木の下で酒を飲んだりする花見客の喧騒が無いのもいい。それでも参道沿いにはいくつかの屋台も並びなんとなく映画の「寅さん」を思い起こさせるのどけさもあった。
大きな駐車場が境内にあり、しかも無料であり、年寄の花見には誠に好都合な所であったのである。
桜を見て、もののあわれを感じたと言った友人もいたし、古来より咲き、散る桜に様々な思いを託した賢人も少なくはないが、小生は今年は何の感慨も無しに、ただ美しいと鑑賞した。それは現在の自分がいかにストレスが少なく平穏な日常を過ごしているかの証のように思え、嬉しかったのである。
すっかりこころ洗われて、心に余裕が出来たのか、環状7号線が国道246号線に近くなった時に、ふと懐かしい「シニフィアン・シニフィエ」が三宿にあることを思い出した。
シニフィアン・シニフィエはパン職人で知らぬもののいないカリスマパン職人志賀勝栄さんのお店の名前である。
そのお店には行ったことはないが、シニフィアン・シニフィエの志賀勝栄さんとは5,6年前までは毎月一度は一緒にご飯を食べた仲であったからである。
小生が7,8年前に群馬県の精神病院で精神科の研修をしていたときに、志賀さんが病院のパン工房の監修、指導のボランティアをされており、毎月一回は、にわかパン職人になった病院職員の教育に尋ねて来られていたので、その時はいつも焼きたてのパンをごちそうになり、時には職員(群馬のオバサン)の打った手打ちうどんをパン工房で一緒に食べたりしたことがあったからである。時には夕食にお誘いしたこともあった。
あの穏やかな風貌、人柄から、誰にも負けない日本一と評価の高いパンを創り出すエネルギ―を想像するのは難しい。
名前のシニフィアン・シニフィエとは哲学用語であり、一度その意味を尋ねたことがあったが、「ソシュールの言語学の、、、、」と言葉を濁されたのは、小生に話したところで理解出来ないだろうと見透かされたに違いあるまい。
フランス語でシニフィアンは「意味を表しているもの(文字や音声)」でありシニフィエは「意味されている内容(意味内容や概念)」であるから、その二つが出合い一体になったところつまりシーニュsigne、記号としてのパンが彼の目指すパンの位置づけであるのだろうか。
パンはぺイザンに代表されるヨーロッパの田舎パンのように、生地がモチモチとして香り高いパンであり、市井の凡百のパンと一線を画すのは、パンの持つ品格であると思う。
値段が高級であることもあるが、パンとしての存在感からして違うのである。
お店ではパンは切り売りされているので、少人数でも何種類も買うことが出来、小生たちはバゲットの他にドライフルーツが入ったパン・オ・ヴァン、ナッツの入ったピカンなど数点を買い求めてきた。
お店に並んでいた客の大半は、昨今は倹約志向の強いと言われる若い人たちで、ケーキに遜色のない高価格にも拘らず気前よく買う姿は、本当にいいものにはお金を使うという合理的なワイズスペンディングというものを教えられた気持になった。
志賀さんは酵母に拘り、小麦粉に拘り、加水量と発酵時間に拘り、発酵で産まれる気泡に拘りながらのパン作りに、終わりのない挑戦を続けておられ、昨年には今まで数十年の全てのパン作り、レシピをリセットされたという。
おそらく65歳は過ぎておられようから、小生自身の生き方、在り方を省み、比べてみると、彼のどこからそのエネルギー、気迫が生れるのか面食らうばかりである。
おそらくそれは彼が自分の店をシニフィアン・シニフィエと名付けたあたりに所以があるのだろうと考えるのだが、彼自身からはその片鱗すらうかがうことが出来ないのである。