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コクーン歌舞伎[四谷怪談]-勘三郎から串田和美へのリレー

プログラム

プログラム

今年もコクーン歌舞伎の季節になり、渋谷コクーン歌舞伎第15弾『四谷怪談』が6月6日から始まったので観に行った。

そもそも「コクーン歌舞伎」は、演出家の串田和美によれば、1994年当時、Bunkamuraシアターコクーンの芸術監督をしていた串田のところへ、松竹から、この劇場で歌舞伎をやれないかという申し出があり、戸惑った彼は四国の金毘羅歌舞伎をやっていた中村勘九郎(故18代中村勘三郎)を訪ね、相談に行ったところ、勘九郎が後日シアターコクーンを見学に来て、その劇場の在り方にインスピレーションを感じ取って、即座に意気投合しコクーン歌舞伎が始まる手筈になったという。串田はシアターコクーンを、観客に開かれた劇空間にしたいと考えていて、一方、勘九郎は、金毘羅歌舞伎の復活に意欲を見せるなど、観客と一体化した江戸の歌舞伎のありようを模索していて、二人がこれからの演劇、歌舞伎の方向性で意見が合うのに時間はかからなかったようである。それに勘九郎の中村屋が歌舞伎の世界では、いわゆる宗家、名門ではなかった事が、彼の革新への情熱を支え、また長老たちとの軋轢も少なく、仕事もしやすかったのではないかと思われる。

配役

配役

コクーン歌舞伎は中村勘三郎が起こした新しい歌舞伎の試みであったことから、中村屋の歌舞伎役者を中心に、また串田が自由劇場の出身であることから笹野高史ら元自由劇場の俳優らが共演するのが慣例となっている。今回は中村扇雀を中心に中村獅童、中村勘九郎、中村七の助が主演クラスを演じている。

演目の「四谷怪談」は、言うまでもなく鶴屋南北作の歌舞伎狂言[東海道四谷怪談]を基に脚本化されたものであるが、コクーン歌舞伎では既に今までに2回上演されており、22年前のコクーン歌舞伎第一弾と10年前の第七弾では、共に演目は[東海道四谷怪談]となっている。第一弾は勘三郎が中心となって演出し、第7弾は勘三郎と串田が別々に脚本、演出を担当し、「北番」「南番」として日替わりにしてみせるという意欲的な試みが行われた。今回の第15弾では、勘三郎亡き後で、演目から東海道を取り、『四谷怪談』としている所にも串田の強い意欲が感じられるのである。

『東海道四谷怪談』は「仮名手本忠臣蔵」の世界を用いた異聞、外伝という体裁で書かれているが、元禄時代に、「於岩稲荷由来書上(お岩伝説)」を基に、不倫の男女が戸板にくぎ付けにされ神田川に流されたという当時の(1825年頃)話題や、砂村隠亡掘りに心中者の死体が流れ着いたという話をとりいれて書かれたものであるという。

「お岩稲荷由来書上」の内容は、貞亨年間(1680年間)、四谷左門町に民谷伊右衛門(31歳)と妻のお岩(21歳)が住んでいて、伊右衛門が婿養子の身でありながら、上役の娘と重婚し子供をもうけてしまい、そのことを知ったお岩は発狂して死んでしまう。(上役の妾が妊娠したので、伊右衛門に押し付けるために、お岩に毒薬を飲ませ、顔を変形させて別れさせようとしたという説もある)その後、お岩の祟りによって伊右衛門の関係者は次々に死んで行き、18人が非業の死をとげ、民谷家滅亡後もその地に住んだ者には必ず奇怪な事件がおきたので妙行寺に稲荷を勧進し追善仏事を行ったら納まった、というのが大方のあらましであるが、「東海道四谷怪談」では、伊右衛門もお岩の実父も、その他の登場人物も多くが主家が切腹断絶された塩谷(浅野)の家来であるという設定で忠臣蔵外伝となっている。
原作は、「浅草境内」~「地獄宿」~「浅草田圃」、「浪宅」~「伊藤家」~「浪宅」、「隠亡掘」、「深川三角屋敷」、「夢」~「蛇山庵室」の5幕からなっている。
ともすれば舞台がお岩の恨みや悲しみに焦点が当てられ、場面でいえば「伊右衛門浪宅」で夫の伊右衛門に裏切られたと知ったお岩が、騙されて飲んだ毒薬のために凄まじい形相に変貌して死に至る場面が強調されがちで、反面、「深川三角屋敷」は脇筋であるとして上演が省かれがちなところであるが、串田は四谷怪談がお岩の恨みや伊右衛門の業悪さだけが強調されるべきではないと考えてか、今回の「四谷怪談」では基本的には原作通りに5幕すべてが入っている。
また通常は、お岩の妹・袖の夫の与茂七が伊右衛門を討って舅と義姉の仇討が成就する大詰めも、大勢の人物が地獄の業火の中に落下してゆく様を見せるなど意欲的な演出も目立ったが、一方、スーツ姿で鞄を持った数名の男性が、時に現れては舞台を右から左に歩き去る演出は、小生には難解であった。それは、プログラムの表紙の写真が、大勢のサラリーマンの中にスーツを着た主演クラスの役者たちが紛れ込んだものであることが、その答えのヒントに違いないと思うのだが、あるいは単純に、色と欲の煩悩が、伊右衛門という悪党だけのものではなく、ごく普通の一般市民もが共有するものであり、四谷怪談のような話も、実は日常どこにでもありうる話である、と言いたいのかもしれないが、それは観た者がそれぞれが答えを出せば良いということなのだろう。

小生は、今回初めて二階席という所を経験したが、さすがに舞台は遠く、セリフも声は聞こえはするが、単語の聞き取りが悪く、終始イライラする思いであった。
人気が高く一階席が取れなかったにせよ、二階席なら次回は御免だなあと正直思った。

しかし、中二階には立ち見の観客も大勢いて、小生は本当の演劇・歌舞伎フアンには程遠い観客であると改めて確信することになった。

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