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島崎藤村の小諸の宿「中棚荘」に日帰りで遊ぶ―今年の夏休み風景

毎年のことながら、いつ夏休みをとるかは悩ましいことである。
基本的に、「これが夏だ!」という実感がわく、入道雲が立ち上がる7月下旬から8月上旬の盛夏に休みをとりたいという気持ちが強いので、梅雨明けがいつごろになるかを当てなければならないからである。休みが梅雨明けの前になったり、梅雨明け直前の豪雨に当ることもあった。
その点では今年は梅雨明けの翌日からというジャストタイミングであった。7月30日から8月4日までが今年の夏休みになった。

マツムシ草

早くも赤とんぼが

蓼科は、車山のニッコウキスゲは跡形もなく終わっており、早くも秋のマツムシ草が咲いていた。今年はあまり動かないことにして、寝てばかりであったが、それでも思い立って、小諸の中棚温泉の中棚荘に日帰りの湯に行ってみた。
島崎藤村が、“小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ”で始まる「千曲川旅情の歌」を書いた宿として有名で、最近は初恋リンゴ風呂で人気がある宿である。
初恋が付くのは、言うまでもなく“まだあげ初めし前髪の,林檎のもとに見えしとき、前にさしたる花櫛の、花ある君と思いけり”の藤村の「初恋」に由来している。
中棚荘は、“暮れ行けば浅間も見えず、歌哀し佐久の草笛、千曲川いざよう波の、岸近き宿に登りつ、濁り酒濁れる飲みて、草枕しばし慰む”と読まれた宿である。

中棚荘玄関

裏口

藤村が明治32年から足かけ7年にわたって、英語教師として赴任した小諸義塾の校長であった木村熊二が開湯に尽力した温泉であり、近くには彼の別荘「水明楼」があり、藤村は中棚荘と水明楼に足繁く通ったということである。
場所は小諸城祉懐古園と千曲川にはさまれる所に位置し、宿から千曲川は望めるが、川端にあるわけではない。当時はおそらく旅館と川の間には建物も無く、岸に近い実感があったのだろう。
宿は古く、決して豪華ではないが、手入れの行き届いた、また館主のもてなしの心遣いが感じられる気持ちの良い宿であった。宿泊したわけではないので、本当のところは分からないが、立ち寄りの湯客に対しても宿のもてなしの気持ちは十分わかる感じが良いものであった。

展望風呂

脱衣場は畳敷き

ところで温泉であるが、リンゴ風呂は10月から4月までの季節限定のことであり、当日は普通のお風呂であった。軽く黒色がかった弱アルカリ性低張性温泉で40℃のぬるめの湯で長時間入っていても疲れない良いお湯であった。浴場の脱衣場は畳敷きで、脱衣篭を置く棚は無く、畳の上に置くというのも明治・大正の香りがして風情があった。浴室からは川面は見えなかったが千曲川岸壁が望め、その何処かに千曲川岸壁に建てられた布引観音堂があるはずと思いを巡らせた。

はりこし亭内部

敷地内には築200年という古民家を移築した食事処「はりこし亭」があり、蕎麦やお焼きを食べることが出来る。天井のむき出しになった梁組は我が山荘とは比べようもなく迫力があり見事なものであった。小諸には有名な蕎麦屋がいくつかあるが、ここの蕎麦も特段良くはないが、平均点は超えるものであった。日本画家の伊藤深水が好んだという名物「はりこし饅頭」は、あいにく当日は無く、代わりに北信州の有名店のお焼きが置いてあった。ちなみにネギ味噌のお焼きを食べたが、これはなかなか旨かった。
縁側の外には朝顔が簾がわりに植えられ、田舎の夏に来ている気分を満喫できた。
おそらく鶴川の白洲次郎邸も、今はこんな風情になっているのだろう、と思いを馳せた。
温泉に入って、お腹も満腹になると眠くなったので、そのまま帰ることにして、小諸から浅科村経由で望月町から白樺湖へ登るコースを走った。

浅科村は、佐久から望月町の間にある千曲川沿いの狭い鄙びた街道を走るのだが、それでもよろず屋や豆腐屋とか、蕎麦屋など昔からの店が街道沿いに残っている。
通るたびに気になっていた紫色の古びた電光看板が千曲川にかかる橋のたもとにあるが、今回も未だ残っていた。そこには「スナック遊子」と書いてある。あの「遊子悲しむ」からとったのだろうが、見るたびに、何とも言えない感慨を覚えるのである。
いつか一度は入ってみたい気がする。

イチボ肉500g

手作りルバーブジャムティ

その日は,イチボ肉500gを囲炉裏で焼いてみた。
昨日作ったルバーブジャムで食後のティーを。

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