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蓼科の春

里の春 たんぽぽと桜

五月のゴールデンウィークは例年蓼科の山荘で過ごします。
多くの場合、年が明けて初めてになり、小屋開きになります。
半年分の掃除が大変で、家内の顔色をうかがいつつの計画になります。

茅葺きの庵

山荘と言うと、洒落たロッジ風の建物を思い浮かべられるかも知れませんが、

実は30坪に満たない小さな茅葺の、庵というに相応しい建物です。

この建物は、芸術新潮の初代編集長であったY氏から譲り受けたもので、彼の人脈で著名な芸術家も訪れたという数々のヒストリーを持っているのがちょっとした自慢です。

但し、私の代になってからは、妙齢のご婦人達の影はあっても、文化人の訪問は一切ありません。(親愛なる客人たちよ、失礼)

当時、私が魯山人や浜田庄司の茅葺の家に憧れており、半ば衝動買いしてしまったものです。
今は茅がそろそろ葺き替えの時期になり、その大変さに、衝動買いを反省する日々です。

ま、考えてみるに私の人生は、衝動的行為と後悔の繰り返しであり、私の今の専門領域では、多分何らかのパーソナリティディスオーダー(人格障害)と言うのかも知れませんが、私が病気でない決定的な理由は、私は後悔しつつも「耐えること」を知っているという精神病理であり、例えば見事に持続させた結婚生活をはじめ、かろうじて社会生活を破綻させずに今日に至っている事が何よりのエビデンスであろうかと思います。

月見台から空を仰ぐ白樺の新芽

さて、この時期の蓼科山麓は、見るべき風景はなく、春(は?る)よ来いの気分で、鶯は鳴くものの、我が家の庭に自生する多数のタラの木も、タラの芽の収穫にはまだ数週早く、次回来たときには見事にギロチンの後を確認するばかりで毎年悔し涙にくれます。

 

漆の酒器、酒杯膳、
土筆のきんぴら

私は日頃は日本酒を余り飲みませんが、不思議とここでは日本酒が進みます。風景に酒器のしつらえが似合うからでしょうか。昨日は木曾の平沢宿に行き、木曾漆の曲げ物のぐい飲みを買ってきました。これを根来の卓に乗せ、妻が摘んできた土筆のきんぴらで一杯やるのは、私の気に入った心象風景です。

 

今のコロボックルヒュッテ

我が家からビーナスラインを15分程行くと、霧ヶ峰の車山の肩にあたるところにコロボックルヒュッテという昔ながらの山小屋があります。
そこにはこちらに来るたびに必ず寄ることにしています。
小屋主、オーナーの手塚宗求さんは、かっては先鋭的な登山家で、また名だたるエッセイストでもあり、多くの著作があります。

コロボックルのロゴ入りカップ

私は彼の熱烈な隠れファンであり(未だ彼には告白していませんので)、新しい著書が出ていないか確認に行くのです。
それと小屋で出るコーヒーとココアがまたおいしい。(いろんなタルト類や木のこのピラフなども負けずに美味です。)

 

今回は新作(諸国名峰恋慕―山と渓谷社刊)があり、嬉しくて一晩で読んでしまいました。山の夜は深くて長く読書にはうってつけです。

2012.5.5の新刊

手塚氏の著書 私の書棚より

ついでに猫のデザインがかわいい孫の手も買いましたよ。蓼科と猫の話(涙なしでは語れない)はまたいずれします。

霧ヶ峰は、高校一年の時、強清水から車山を越えて白樺湖まで2泊3日の初めてのテント行をした事があり特別な思い入れがあります。

当時ビーナスラインも下劣なファミリーランドも勿論無く、抜けるような青空と草原に群生するニッコウキスゲに圧倒され、静寂と神秘性に包まれた、立ち枯れた白樺が立つ湖畔にたたずむと、少年の心は、徒に怪しく騒ぐのでした。(当時の少年はみな純情でした。少女がどうであったかは知りませんが。)

切ない思い出を胸に、私の3泊4日の休暇は終わり、明日は群馬に帰り、また精神科医療に励みます。

何も出来ない野田内閣は、せめて連休をもっと長くして名を残せ!!(たらいいね。)
増税より増休を、増税の前に増給を!!(お願いします。)

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