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高崎市美術館

私の高崎の住まいは駅のすぐ近くですが、
駅の東西出口の近くに高崎市美術館と高崎市タワー美術館があります。

東口の高崎タワー美術館はわたしの住まいと同じ建物の中にありますので、
これまでにしばしば行っていますが、

西口の高崎市美術館はこの度初めて訪れました。

催しはグラフィックデザイナーの福田繁雄大回顧展と言うもので、ポスター200点以上、トリックアートの立体作品が100点と力の入ったもので、十分楽しめるものでした。が、

それよりなにより、

 

同じ敷地内にアントニン・レーモンド設計の井上房一朗氏の住宅が残され、公開されており、それを見学しいたく感動してきましたので、その話ををします。

 

 

その建物は、決して華美ではなく、天井の梁、作りつけの家具などの簡潔なラインが強調された、吉村順三の和モダンに通じる、どちらかと言えば、質素なたたずまいで、凛とした中に住み手の強い感性が肌に伝わってくるような建築となっています。
丁度、鶴川の白洲次郎の武相荘、もっといえば目黒のアールデコの庭園美術館で感じるものに通じるところがあります。

 

?房一郎自身による作庭は、?野趣と言うより緻密に計算されデザインされた、かといって京都に多く見る形式化されたものではなく、独創性に富んだ完成度の高いもので、駅前という立地の喧操さを寄せ付けない力強さを感じさせるものになっています。

 

井上房一朗は、あのちょっとグロテスクな高崎観音を作った実業家、井上保三郎の長男として生まれ早稲田からパリに遊学し、絵画、彫刻を学び、帰国後は、戦前はブルーノタウトを高崎に招き工芸運動を展開し、戦後は高崎市民オーケストラを結成し、現在の群馬交響楽団へと育てたことで有名です。

その音楽ホールの設計を、工芸運動で知己となったアントニン・レーモンドに委託し、その際自宅も建築、それが今美術館内に残されている住宅です。
また群馬県立近代美術館設立に当たっても尽力し、設計に若き磯崎新を起用するなど、その慧眼ぶりもうかがえます。

一方、地元では「ふさいっちゃん」と親しまれ、無類の酒好き、女好きで鳴らしたそうである。

誠、男と生まれしからにはかくあるべし、と絵に描いたような羨むべき人生である。

後世に、企業名を冠とした美術館を残すような実業家は少なくはないが、さほど広く知られることなく郷土の文化人、パトロンとして密かに敬愛され続けている所が心地よい。

高崎に来て2年、初めて、高崎と言う町に、
ちょっと愛着を感じ始めた、と素直に告白しておきます。

 

リビングルーム

室内から望む

住宅全景

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