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日本画入門―高崎生活で学んだこと

高崎時代に僕の住んでいたマンションにあった高崎タワー美術館は
日本画好きには良い企画が多い。

昨年1年を振り返ると、1月には、中島潔の「生命の無常と輝き」展をやっていて、行ってみると、人間の寂寥感、無常感を詩情あふれるタッチで描いており,どこか琴線に触れ、リトグラフを2点ほど購入してしまった。

中島潔は当地では、なぜか人気で、いつもの催しより格段に賑わっており、倹約家の群馬人にも絵も良く売れていたようだ。

中島 潔 「紅葉003」

しかし、絵自体は日本画らしい、というよりアニメっぽいところもあり、
少々違和感があった。

その後9月には「日本画の若き力TOP RUNNNER」と称して若手の
日本画家、福井江太郎、加藤丈史、神戸智行、岩田壮平を紹介していた。

日本画若き力 001

花泥棒 001

続いて10月には「金銀の光彩、日本画のきらめき」のタイトルで,

中島千波、加藤又造、望月玉渓をやっていた。

中島千波,加山又造 001

彼等は既に名を成しており、格別新しい発見は無かった。

12月には「文化勲章受章―最高峰の日本画家たち」展で、

文化勲章の画家たち 001

横山大観、竹内セイ風、上村松園、安田ユキヒコ等、歴代の大物作家の作品を見せてくれた。

これぞ日本画という教科書のような絵が並んでおり、ため息の出るような美しさであった。

これだけの展覧会を、地方の一美術館が単独でやれるというのも驚きであった。(山種美術館の巡回ではなかったのだ。)

僕は絵では、若い時から日本画が好きで、山種美術館や根津美術館には、あてがなくとも、好んで行くが、最近の日本画は洋画との境界もはっきりしないようなものもあり、そのカテゴリーに迷うことがある。

学生時代に、根津美術館のお宝の尾形光琳の<かきつばた図屏風>を見て以来、琳派に興味が強くなり、琳派の催しには努めて行くようになり、特に酒井抱一の<夏秋草図屏風>のような琳派の植物画が好きで、若手でそのような画風の作家に出会うとつい食指が動く。

琳派、琳派とよく言いますが、同じように金銀を使う狩野派と基本的にどう違うか、良く分からないまま見ていたので、少し調べてみました。

また、一口に日本画と言っても時代によって、様式があまりに違うので、日本画とは何を指すのかも調べてみました。

日本画と言う定義は、明治維新以降に日本に入った油彩の洋画に対する呼称で、かのフェノロサ、岡倉天心に指導された東京美術学校に端を発する、江戸期から伝わった日本の絵画様式を基にした明治維新以降のものを言うらしく、したがって横山大観、竹内セイフウは日本画家と言うが、江戸時代の狩野永徳は日本画家とは言わないそうである。

日本の絵画を歴史的にみると、大きく「大和絵」「漢画」の二つの流れがあり、大和絵は『源氏物語絵巻』のような平安絵巻の様式、漢画は禅宗の水墨画の流れをくむものを言います。

狩野派は漢画を代表するもので、金箔の屏風でも画題は中国由来のものが多く、豪壮で武家好みで、有力大名をスポンサーにしていました。

大和絵は土佐派、住吉派が代表格で、王朝絵巻の伝統を引き継ぎ源氏物語、伊勢物語など平安文学を画題にし、公家がスポンサーになりました。

琳派というのは、17世紀始めに、京都の豪商をスポンサーとし本阿弥光悦がアートディレクターになり俵屋宗達らの絵師や蒔絵職人らを指導して作り上げた一つの美術様式をいい、派というものの、狩野派などのように当主や家元が居る組織があったわけではなく、その様式を取り入れた緒方光琳,乾山、酒井抱一、野々村仁清、中村芳中、鈴木基一と受け継がれてきた様式のことをいうらしい。

彼らには時代的にも互いに面識はなく、師弟関係もありません。

明治維新後も、アールヌーボーを通して光琳がヨーロッパでも評価されると、京都の陶芸家、日本画家の間でも琳派様式は再認識され、横山大観、下村観山らも日本と西洋の絵画表現を融合させる中で琳派を思わせる作品を残している。

その流れは大正時代にも引き継ぎ小林古径、前田青邨にも光琳の画風に似た作品が見られる。

現在の若手の日本画家にも、それに触発されたかのような作品を見ることは少なくない。

福井江太郎の「連」

連 001

もそうであるし、今、伊藤忠青山アートスクエアでやっている楚里勇己の
「イロノツラナリ」

楚里勇己 001

の一連の作品は、まさにそうである。

僕は個人的には、尾形光琳を始め、酒井抱一、鈴木基一、中村芳中、
伊藤若冲,前田青邨、田中一村らの植物画が好きである。

僕も前田青邨の紅白梅図を一枚持っているのが少々の自慢だが、
義父から譲り受けたものである。

前田青頓 紅白梅図

一方、モダンアート、コンテンポラリーアートは全く駄目である。

特に村上隆や奈良美智のようなものは生理的、感覚的に受け付けない。

大学時代からの友人の精神科医で、コンテンポラリーアートコレクターとして有名になり、(芸術新潮の特集号で知ったのだが)今やTコレクションとして、上野を始め全国の美術館を巡回するようになった目利きがいるが、やはりそれなりの時代を見る才能が学生時代からあったような気がする。

購入当時、全くの無名だった村上隆や奈良美智が100倍にも1000倍にも化けたそうである。

時代を見れない僕とは真逆である。

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