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ナショナルシアターライブ「The・オーディエンス」を見た-そしてポジティブ心理学について

演劇界の最高峰、イギリス国立劇場ロイヤルナショナルシアターが、厳選した名舞台をデジタル映像化してスクリーンで公開するプロジェクト「ナショナルシアターライブ」の日本公開作品第3弾で、イギリス女王エリザベス2世と歴代の英国首相たちとの謁見で繰り広げられるドラマを描いた「the・オーディエンス」が、昨年の6月に上映されたが、それがこの11月に渋谷のブンカムラ、ル・シネマで一日1回1週間のみ再上映されたので見に行った。
小生は、舞台、映画に関しては、ほとんど何の知識、造詣もなく無教養で恥ずかしいのだが、舞台女優をしているガールフレンド(?)に、「これだけは見なきゃダメ!」と誘われて行ったのである。

「the・オーディエンス」は、映画『クイーン』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したヘレン・ミレンが再びエリザベス2世に扮し、同じくピーターモーガンが脚本を書いた、最高傑作と評判の高かった舞台(トニー賞2部門受賞)の映像化であり、舞台を志す人にはヘレン・ミレンは見逃せない存在らしいのである。

1952年の女王即位以来、毎週行っている歴代英国首相との謁見(オーディエンス)の模様を描いているが、ヘレンが演じる女王の人間味あふれる苦悩、ユーモアは、ウイットに富んだ会話と、巧みな演出で2時間38分と言う長丁場も退屈することはなかった。
女王が毎週決まった曜日にその時の総理大臣を宮殿に招き、国や世界情勢について説明を受ける、その場面が時系列ではなく、時間軸を往ったり来たりしながら進行する。従って女王は若き日の女王から中年、老年を行き来しながら演じるのだが、舞台ならではの早替わりのシーンも見せる。
また映画だからこその演出もあった。脚本家ピーターモーガンへのインタビューが幕間に入っていて、彼の、そして英国民の女王への敬愛ぶりが伝えられたし、女王の衣裳や靴、帽子に至るまでのファッションが紹介され解説もされた。
即位する前の少女エリザベスが時折舞台上に並び、女王と語り合う演出も良かった。
(この演出は当初は小生は気付かず「あの子役は何?」と聞き、連れに笑われたのだが、、。)
王女時代のエリザベスが、「私は一生をかけて、この国の人のために尽くします、」と誓う所や、国民を思い、首相に辛辣な皮肉を言いつつも、「君主は首相を支持することになっている」と繰り返し述べ、立憲君主制を常に重んじるところなどは、ちょっと感動した。
鉄の女宰相と言われたサッチャー元首相とは、基本的にそりが合わなかったようだが、年齢が同じ年であることもあってか、二人の駆け引きは女同士の迫力が真に迫っていたが、ユーモアにもあふれていて見ごたえがあったし、貧困層出身の労働党のウィルソン首相とは、最初は氏育ちが違い過ぎて、ぎこちなかったが、人間性に触れるにつれ互いが胸襟を開くようになり、彼が認知症アルツハイマー病を自覚し、密かに退陣を決め女王に報告した時には、女王が「首相でいるうちに、(首相の)自宅に晩餐に招く様」に頼むところなど、泣かせる場面もあった。

 総じて、エリザベス女王は、国民に寄り添おうとし、思考もどちらかと言うと反戦、リベラルに親和性を感じたが、これは今の天皇、皇后に通じるところがあるような気がしてならなかった。エリザベス女王は、一時国民から疎んじられた英王室を、その国民への献身ぶりで、人気を復活させ、今は多くの英国民の敬愛を受けているが、日本の天皇皇后も、戦没者慰霊に人生をかけ反戦の意思を絶えず表明され、被災地には何よりも優先して出かけ国民に寄り添う姿勢で多くの尊敬敬愛を受けている。

 映画(舞台)は、単に女王と首相たちの掛け合いを演じたばかりではなく、「英国とは」「王室とは」「政治とは」について考える多くの示唆を与えていて、わが国の皇室制度を考える上でも参考になることは多かったように思う。
 英国と日本は、多くの点で対称的だが、長い歴史で君主を抱き、現在でも立憲君主制(あるいはそれに近い制度)を守っていることから、王室と皇室は共通性、類似性が多いのであろうか。

 映画鑑賞は、良いものを見た感動で心地よく終わったのであるが、その後にちょっとしたハプニングがあった。
 映画が終るのが10時近くと判っていたので、彼女が贔屓にしていて、予約しておいてくれた恵比寿のビストロに行った。店の名は『コトラ・バーン』といい、そこのシェフは、今や日本を代表するグランメゾンを率いる『ヒラマツ』の全盛期の頃、今は恵比寿の「モナリザ」のオーナーシェフいなっている河野氏がヒラマツのシェフをしている頃にヒラマツにいて、同期に銀座の「マルディ・グラ」の和知シェフがいるなど華々しい経歴の持ちであり、若き日の平松夫妻を良く知る者として、何かと話題が弾んだのであった。
 コトラ・バーンは、モナリザのすぐ近くで、一人で切り盛りしている小さな店であったが、熟成ハラミ肉のステーキも数種類の前菜もそつなく美味かった。
 遅めの夕食は、殊の外旨かったし、コスパも良く、上機嫌で駅前で帰路のタクシ―に乗ったのだが、運転手に方向が逆と言われ、乗り換えることにして車から降りた。降りてスグに鞄(印伝の巾着袋)をタクシに置き忘れたことに気が付いたが、タクシーは次の客を乗せて出て行ってしまった後で、後ろ姿はみるみる遠ざかり追いかけることも出来なかった。僕たちはタクシーには乗車したわけではないので領収書はないし、雨の中でもあり、会社名も見ていなかった。客待ちをしていた前後のタクシーの運転手に聞くと、個人タクシ―であったと教えてくれたばかりであった。
 袋には財布とスマホが入っており、手元には雨傘の他は1円も、何も残っていなかったのである。
財布には、デートのこと故、多少の金銭は入っていたし、クレジットカードもカードキーも入っていた。それに最近デビューし、ようやく慣れたばかりのスマホもだ。
 白状すれば、財布を落とすのは名人級で今までに何度も経験があったが、一度だって戻ってきたためしはない。あったとすれば、金目のものはすべて抜かれた財布だけが拾われて警察から通報があった位である。従って今回も戻るはずはない、何をしても無駄だ、とすぐに思ったものである。
 このような思考過程を心理学では「学習性無気力」と言うらしいが、まさにマイナス思考である。
 悔やんでいても仕方ないから直ぐにでも、彼女にタクシー代を借りて帰ろうとすると、連れの彼女は、「なんてネガティブな人なの!ここは日本だから戻ってくるよ。戻ると信じて、やれることはすべてやろうよ。今ここで諦めればすべて終わりでしょ!」、と小生を駅前交番に連れて行った。
 ご存知のように、警察と言う所は、事件でもなければ、手続きだけはするが、後は、能動的には何もしないところである。盗難にあっても、被害届だけはやけに丁寧に書かせるくせに、その後は何もしない。ただ様子見をするだけである。これは何回かの盗難被害経験からの実体験からの感想である。その学習から届を出しても無駄だと決めつけていたのである。
 案の定、紛失届を出し終わるのに小一時間を要したのである。

 この間、彼女は、小生のスマホに電話を掛け続けた。運の悪いことに、映画を見るとあって、着信音はマナーモードにしたママになっていた。それでも余りの頻度に気が付いたのか、相手(拾得してくれたタクシーの他の乗客)から電話がかかってきたのである。それも、もう諦めてタクシーに乗って帰路につき、まさに彼女を途中で降ろそうとする時であった。
 彼女は、実に言葉巧みに、電話をくれた相手に謝礼を述べ、連絡が途切れるのを防ぐために相手の電話番号にrecall して確かめたうえで、明日の昼間に、駅で落ち合う手筈をつけてくれたのである。
 そして翌日は、「この際は女の方が、話が簡単に済むから」と言って、一人で鞄を受け取ってくれたのである。結果として奇跡的に、すべてが無事に戻ったのである。
 拾ってくれた人は、結局向うから電話をして来てくれたくらいだから、善い人には違いはないが、忘れ物を運転手に渡さずに持ち帰ったところに、一抹の不安があったので、段取りの打ち合わせはしておいたのであるが、それにしても彼女のポジティブシンキング、行動力にはほとほと感心したのであった。逆に自分が、いかにネガティブ思考に陥っているか多いに反省したのである。
 困った時でも、何とかなるさ、で何とかなってきた経験があれば、学習性オプティミズムにもなろうが、小生のように度重なる失敗体験からは学習性無気力感に落いざるを得なかったとは思うが、それでも日頃の基本的態度がポジティブ志向であれば、違う行動の展開もありえたのだろうと思った。

 最近流行のポジティブ心理学では、ポジティブな認知を形成するアプローチとして、「解決志向アプローチsolution focused approach」を紹介している。そこでは「例外」に基づいた「解決」を創りだし展開するとある。

 鞄を失くしたが、こちらからは、打つ手の施しようがない。唯一の望みは拾った相手が、警察に届けるか、こちらに連絡を取ってくれるしかない。それは経験上絶望的である。
 このようなネガティブな土俵をポジティブな土俵に移行すると「問題A]が「解決」という「目標Å」として認知できるようになる,という。
 それには「例外の質問」でネガティブをポジティブな文脈を変えて問題を捉えなおすリフレ―ミングを行うのである。

 つまり、相手から何らの連絡がないと決めつけていたことが、起こらなかったとき(過去)、起こっていないとき(現在)、起こらずに解決した(未来)後のこと、をイメージして「例外の事態」に関するイメージを膨らませるのである。
 つまり、相手は未だ、気がついていないだけで、気がつけば連絡が来る。(例外)来ればどのように問題は解決するか、とイメージをふくらませることが出来る。
 そうすれば、諦めずにこちらから電話をし続けるだろうし、警察にも届けておこうと思うようになるだろう。
 今回はこの「例外の質問」を無意識に彼女が実践しリフレーミングしてくれたことが、正に功を奏したといえる。

 ポジティブ心理学は、より良い生活、現在のウエルビーイングをさらに超える生活の質を求めるために、人間の長所、強味character strength ,自己効力感、ハーディネスと言う概念を有効に作用させ 利用しようとするこれからの心理学である。
 今回の経験から、ポジティブ心理学は私の言う「AIF自律統合性機能」の実践に深くかかわるものと実感することが出来、僕は彼女から、物質的なものだけでなく、知的にも大きなプレゼントをもらったのである。
 心から感謝します。

 

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