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空耳妄言31:平昌オリンピック、婚約延期騒動について

空耳のように聞き流してよいが、誰かが呟いたほうがいいような話もある

①

*平昌オリンピックで思ったこと
韓国の平昌オリンピックは佳境を過ぎたようだが、日本勢は大活躍でいくつもの感動物語が生まれた。今回は、選手がひと一倍、真面目に求道的と言えるほどに努力したことに対して結果が付いて来たという感じが強く、またメダリスト達が周囲への心配りを忘れず、国民の共感と感動を深くしたのも特徴的であったように思う。
スピードスケートの小平奈緒選手は、大学で科学的ではあるが実験的なトレーニングを実践した学術的な成果でもあったし、所属が松本市の個人病院で、一開業医が見返り無しでスポンサーになって練習や遠征費用などを支え続けてきたことや、長年のライバルで、3連覇をかけ500メートル一本で臨んだ韓国のイ・サンファ選手が銀メダルに終わったことに対して示した気遣いや二人の態度の爽やかさなど、いい話がいっぱいあった。

一方で、今回ほどオリンピックが政治の舞台になったのも珍しい。
オリンピックがナチスなどに政治利用された歴史を反省し、政治からの中立性を強調するようになってきたが、オリンピック憲章には開催目的の一つに「平和に資するため」とあるから、平和へのきっかけになることを禁じているわけではない。だからこそサマランチ会長は急な北朝鮮の参加に積極的であった。
そして、平昌オリンピックをキッカケに韓国と北朝鮮の融和が急激に深まった。
昨今追い詰められた北朝鮮が日米韓の協調に楔を打って、米国の武力攻撃と制裁強化を回避するための時間稼ぎをしているだけだと、日米は韓国文大統領の態度にイライラを募らせている。もし北朝鮮が話し合いに応じ核開発を中止すると言ったところで、今までそうであったように、裏で核開発を進め、又騙されるに決まっているというわけだ。

確かにその見方の方が説得力があり正しいと思う。

しかし、日本が先頭を切って北朝鮮にさらに圧力を強め、アメリカが核態勢の見直し(NPR)で実践向けの小型核[戦術核]の開発配備を進めることを全面的に支持していくことが、本当に真の日本の国益になるか考えものだと思う。
なぜなら日本の国益の最優先は戦争回避のはずである。アメリカが軍事オプションをとれば日本国民の犠牲は数十万単位では済まないだろうというのが、世界の共通認識であるからだ。
韓国の北朝鮮融和策は甘いというかもしれないが、韓国と北朝鮮は同一民族であるから、戦争をしたくない気持ちは日本国民以上であろうことは、韓国と日本の立場を入れ替えてみれば想像もつく。
地政学的なバランスと同一民族内の争いは元々地平の違う話であるから、日米の都合を韓国に押し付けても無理があるのだ。裏切られても、裏切られても対話求めるうちに北朝鮮国民が気づき、動き出すのを待つというのもガンジーやマンデラの非暴力平和主義にも通じて可能性が全く無い話ではないのではないか。
歴史は暴力をもってして永続した平和・安定をもたらした例が無いことを教えている。

安倍政府の言う制裁強化、NPR支持、防衛軍備強化は、日本国民の命と平和な生活を守るためと大義もあり勇ましいので、支持も得やすいかもしれないがが、現状では戦争突入に最も近い道であり、そうなれば多くの国民が犠牲になるのである。
今私達は、殺されるのは決して他人ではなく、自分か自分の家族であるかもしれないと想像力を働かせてこの問題を考えるべきではないかと思う。

実は、日米が圧力を掛け続けるうちに、韓国が間を取り持って、突然、米国が北朝鮮と核装備容認・不使用で合意するというシナリオがないとも限らない。あるいは米国と韓国が出来レースをしていて日本が蚊帳の外に置かれているオプションも考えるべきではないかとも思う。それに中国が絡んでいる可能性も否定できない。かつて、ニクソン・キッシンジャーの頭越し米中和平もあった。
日本こそ、北朝鮮と米国の間に入って話し合い解決のリーダーシップをとるべき立場ではないか、それが一番我が国の国益になると思うが、安倍首相の頭にはそんなシナリオは全く描けないようである。

*皇族の結婚問題-眞子さま婚約延期騒動について
秋篠宮の長女眞子さまと小室圭さんの婚約が延期になった。週刊誌や裏チャンネルでは小室家の個人攻撃が凄まじいが、どこか違うような気がする。
皇室関係の意見は匿名性が担保されれば好き勝手に言いたい放題言うが、名前を出して意見を言う者は少なく、どこか卑怯さがぬぐいきれないと思う。

思うに皇族の結婚問題は、要はあくまで憲法が保証する個人の権利を重視する立場をとるか、皇族としての公人としての役割を重く見るかで違ってくるが、その片方に偏するからおかしくなるのである。
日本国憲法では、結婚はあくまで個人間の問題としているから、基本的には両親・家が、ましてや他人・社会が口をはさむ問題ではないが、天皇は日本国家、国民の象徴であるから、皇室・皇族はその一部を成し天皇を支える義務がある。天皇の象徴としての形に何を望むかは国民が決めることであるが、象徴に人としての高潔性、風格、品性、道徳性を求めるなら、皇族はそれに応えねばならないだろう。
そのために少なからぬ税が使われるのだから、秋篠宮が言うように、個人の自由意思を最優先してあくまで結婚を認めると言うのなら、一家で皇族を離れるしかないだろう。
さもなくば、長男悠仁親王が好きになった女性なら、それがどこの誰でも必然的に皇后になってしまうことになる。
今回の問題は、皇族の結婚相手が一般民間人なら、その出自の良し悪しの判断を、誰が何をもって正当に下せるかということである。例えば秋篠宮妃の00家、皇后の00家なら適正かと、最後は初めて民間人と結婚した天皇の問題に帰するのである。
天皇制の民主化と、象徴としての役割の両立は原理的に困難で難しいと思うからこそ、天皇制の維持には、天皇・皇族の象徴としての責任の自覚と努力、行政の支えが重要になると思うのである。
今回の婚約延期騒動の原因は、秋篠宮の皇族としての自覚の無さと、宮内庁の無責任さに尽きるのではないかと思うが、どうだろうか。
そのために(必要な時に必要な配慮がなされなかったために)、小室家は問題があるにしろ、必要以上に社会から誹謗中傷され迫害される犠牲者となってしまったように、小生には思えてしまうのである。

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