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空耳妄言33.イチローの引退会見

空耳のように聞き流して良いが、誰かが囁いたほうが良いような話もある

しばらくブログの更新をさぼっていたら、あいつも地獄に行ったらしいという噂が立ったので、未だ‘天国の門‘の手前にいることの存在証明のためにも、たまにはブログを書くことにした。

この間に言いたいことは山ほどあって、書かないことはそれはそれでストレスでもあったが、大半はもう忘れたので直近の印象深いことから始めようと思う。

野球のイチロー選手が引退した。
引退会見を深夜まで全部見た。
実に見事な1時間半であった。

特に印象に残ったのは、‘自身の一番誇れることは何か?‘、と聞かれた時であった。
「数々の記録は作って来たが、そんな記録なんてものは、いつか誰かに塗り替えられるものだから自分にとってはどうでもいいことだ。もし自分に誇れるとしたら、去年の春、登録メンバーから外された時から今日の日まで、それまでの現役時代と同じようにトレーニングを続けて来られたことだ」と述べたことだ。
逆境にあっても自分を律し、前を向き続けられるレジリエンスの強さに感動したのだ。

そして最近、彼が3度目の国民栄誉賞を辞退した時、彼の品性、品格の高さを見た。
それを報じた同じニュースで、同じくスーパースターで国民栄誉賞に輝いたミスターN氏が神宮球場の貴賓席で手を振っている姿を放映していたが、なんだか人間の差を見るようで寂しい気持ちになった。

人にとって大事なのは、何をするか(to do )ではなく、どうあるか(to be)であること、つまり品位、品性であることを僕に確信させてくれたのは、昨年のノーベル賞作家カズオイシグロだが、
それにしても、尽きるところ国家権力を私物化して、日本をかつてない程‘美しくない国‘にした政治家Aの品性とはいかほどのものであろうか。

イチローはこうも言った。‘皆さんは僕のことを感情の無い人間だと思っているかもしれないが、僕だって悲しい時は泣くが人前では決して泣かないだけだ。嬉しい時は嬉しいと感動もする‘と。

会見中に相手を見定めるように見開いた目が、時にうるんでいるかのように見えたのは僕の錯覚であったに違いあるまい。

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